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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十八章:かわすこと ―皐月・初旬― 其の五

 渡されたパンフレットを眺めてみる。調理コーナーや学生の作品の展示、セミナーなども開かれているようだ。学園祭と学校説明会とを混ぜたみたいだな、と小夜子は思う。じっくり眺めているうちに、ふと視線が止まったのは「管理栄養士セミナー」という言葉だった。現役の管理栄養士が講師を務めるセミナーらしい。会場の場所も、開始の時間もちょうどよさそうだ。

「奏一郎さん、私、ここに行ってみたいです!」

「うん、そうだろうと思った」


 大講堂というだけあって、会場は目を見張るほどの広さだった。高校の教室とは比べ物にならない。しかしそれに比例して参加人数も多かった。空席を見つけるのに時間がかかってしまうくらいには。まだ開始時間まで余裕はあるというのに。

「大人気みたいですね、こんなに混んでるなんて」

 小夜子の疑問に、パンフレットを眺める奏一郎が応える。

「ここには『めでぃあにも多数出演』って書いてあるから、そうかもしれないね」

「それでこんなに混んじゃうんですね」

「……さよ、僕は他を見てくるよ」

「え!?」

「この分だとまだまだ混みそうだ。他に聴きたい人もいるだろうし。僕は学生じゃないからね」

「そ、そうですか……」

 気付いた時にはもう遅かった。隠せていない落胆の色。取り繕うと言葉を探すも、奏一郎にはもう悟られてしまったらしい。

「終わった頃には会場の外で待ってるからね。後でどんな話を聴いたか、僕にも教えてくれ」

「……はい!」

 宿題ができた。思わず背筋をぴんと伸ばしてしまう。


 奏一郎が会場を出て間もなく、見知らぬ同世代の女の子が隣席に腰かけた。周囲を見渡してみると既に空席はない。

 やがてプロジェクターの調整のためか、一人の女性が入ってきた。すらっとした人だ。パンフレットと同じ顔は、教室が薄暗くなったためよく見えない。プロジェクターの準備を終えると、空調の温度設定を確認。同時進行でマイクテスト。

「あー、あー。えー、こんにちは。本日講師を務めさせていただきます、よろしくお願いいたします」

 プロジェクターの画面が切り替わる。どうやら彼女のプロフィールらしい。この大学を卒業し、管理栄養士免許を取得。現在に至るまで医療の現場にて食事療法の指導、栄養管理……。

「まあ私のプロフィールなんてどうでもいいでしょうから、さっさと次に進めますね」

 再び切り替わる画面。

「ここにお集まりの皆さんは、おそらく栄養士になりたいという方がほとんどだと思います。ではなぜ、なりたいと思ったのか。それを改めて考えながら聴いていただけたらと思います」

 白板に大きく書かれたのは、「衣食住」。

「服を着ること、食べること、住まうこと。生活の基本です。これを衣食住といいます。この言葉を日常生活で使うことは少ないかもしれませんが、おそらく誰もがこの言葉の意味は知っていることでしょう。しかし、この言葉の意味をより深~く考えてみてください」


 小夜子は、前から手渡された資料を開いた。視力の弱い人への配慮だろうか、プロジェクターがそのまま印刷されている。

「服を着ないことは、ものすごく恥ずかしいことかもしれません。が、極寒の地や炎天下さえ凌げてしまえば、直接命に関わることはあまり無いと言っていいでしょう。住むところだってそうです。現代人の私たちにはもう無理かもしれませんが、雨風さえ凌げれば人は生きていけました」

 では、食はどうか、と。彼女は続けた。

「一週間、服を着ない。食事がない。家がない。果たしてどれが一番辛く、命の危機が迫るでしょう。……恐らく多くの人が『食事がない』を選ぶのではないでしょうか。あなたたちが今こうして、心も体も大人に近づいているのは食事を摂ってきたから。栄養を摂ってきたからです。極端な例を挙げてしまえば、ネグレクトを受けてきた子供たちの多くは……痩せ細り、骨の発達も不十分で。同い年の他の子と比べ、身長も伸びない!」


 張りつめた空気。思わず息を呑んでしまう。

 ああ、そういえば。父と二人きりになってしまった頃はコンビニ弁当や出来合いのもので済ませることが多かったなぁと、小夜子は思う。料理に自信も実力もなかったのだし──それは父も同じだった──お互いに作る気になんてなれなかった。それで結局、体を壊してしまうことも多々あったわけで。


 ……救ってくれたのは、奏一郎だった。


「栄養が必要な子供たち。食事療法を必要とする病院の患者たち。栄養指導を必要とする福祉施設。……服を着ること、家があること。それらが生活を豊かにすることであるならば……私たちの仕事は適切な食事を提案すること、すなわち命を育むことです」


 ここで彼女は、またも問う。

 なぜ、あなたは栄養士になりたいと思ったのかと。


 きっとこのセミナーに参加した人の数だけ、理由はあるのだろうけれど。


 ──そうだ、私は……。奏一郎さんがしてくれたことを、私もしてみたいって。そう思ったんだ。


 小夜子はひとり、胸がきゅっと締め付けられる思いでいた。背筋はいまだ、曲がることはなく。


* * *


 一時間弱の講演は、大きな拍手で幕を閉じた。暗い会場から明るい廊下に出たためか、少しだけ目がくらくらしてしまう。

 ……けれどそんな症状も、すぐに治まってしまった。目の前に広がる光景のせいだ。


「そうかぁ、関東圏外じゃなきゃダメ、なんてことはないんだね?」

「そうなんですよ~。私は北海道から来てて~」

「私は四国から上京でー。同室の子は東京出身ですからぁ」

 ……奏一郎はたしかに約束を守ってくれてはいた。たしかに会場の外で待ってくれてはいた。小夜子が許せないのはその両脇に女の子を座らせていることだ。恐らく女子大生だろう。きらびやかな雰囲気だ。


「あ、さよ」

 無邪気な笑みを浮かべる奏一郎。その笑顔に免じて許してしまいそうになるけれど、小夜子はいやいやと首を振る。

「ナ、ナンパとかしちゃダメって言ったじゃないですか……!」

「え、してないよ。ちょっと話していただけで」

「それをナンパというのでは!?」


 彼の背後に取り残されていた女子大生たちは、視線を合わせて何やら目配せを始めていた。

「お兄さん、私たちもそろそろ戻らないと」

「まだ訊きたいことがあったら、また保護者カウンターまで来てくださいね!」

「ああ、ありがとう。とても参考になった」

 彼女たちに礼を言うと奏一郎は、小夜子の肩に手を回す。驚いて、あまりにも驚いて。小夜子は自分の心臓が止まったんじゃないかと思った。


「この子が今年、受験生なので。もし新入生になったら優しくしてあげてください」

「ええ、もちろん! 受験がんばってね!」

「え、あ……ありがとう、ございます」

 小走りで去っていく背中。絞り出したお礼の言葉は、果たして彼女たちに届いたろうか。


「保護者カウンター……ですか?」

「うん。質問したいことがいっぱいあったからね。彼女たちに質問してたら休憩時間が来ちゃったみたいで。親切なことにここまで案内してくれたのさ」

「じゃ、じゃあ奏一郎さんがナンパしたわけじゃないんですね!」

「むー。最初からそうだって言ってるのに」

 再び唇を尖らせる奏一郎。心屋ではあまり見ない表情だ。


「ごめんなさい……。奏一郎さんが、女の子と楽しそうに会話してたので。少し、面白くなくて」

「え、そんなに楽しそうだった?」

 きょとん。本当に不思議そうにそう問うものだから、思わず心の中で大きな溜め息を吐いてしまう。

「と、とても楽しそうでしたよ!?」

「うーん……まあでも、愛想くらい振り撒かないとねぇ」

 そんな、他の人も言いそうなことを口走る奏一郎は嫌だ。

 けれど、どんな経緯があろうとも女の子たちと話してほしくなんかなかった。……そんな風に思ってしまう自分が、本当に嫌いだ。


「だって、さよの未来の先輩になるかもしれない人たちだからね」

「……ほんと……ほんっと、奏一郎さんってそういうとこズルいですよね……っ」


 ──ああ、本当だ。ちゃんと『保護者』してる。

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