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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十七章:みえたもの ―卯月・中旬― 其の十四

 冷たい言い方ではなかった。それが当たり前であるかのようにただ、淡々と。だからわかってしまう。これがつい先ほどのような意地悪などではないことがわかってしまう。思い知らされてしまう。

「……そんなに驚いた顔をするなよ」

「ご、ごめんなさい。やっぱりなにか、怒ってらっしゃるんですか? 私がその、迷惑をかけた上に変なこと言ったから」

「いや、怒ってはいない。心中穏やかと言えば、きっと嘘になるだろうが。期待に添えずに申し訳ないなとも思う」

 頭の中、整理が追い付かない。ちりちりと燻る火種が焦りを助長して。表情からも言動からも、橘が何を考えているのか読み取れない。目の前にいるはずの彼が、視点が定まらないほどに、遠い。

 重苦しくも沈黙は続く。こんなとき、終止符を打ってくれるのはいつだって彼だったように小夜子は思う。……結局今日も、そうなってしまった。


「冷えてきたな。君は早く中に入れ」

「た、橘さんも」

「いや、俺はもう……」

 彼がそう言いかけた、その時だった。背後からの足音にあんずが真っ先に反応する。聞き慣れた、耳に心地よい草履の音。

「もう動いても大丈夫なの?」

 振り返ってみれば、奏一郎が紙袋を抱えて佇んでいた。小夜子を見てさして驚くでもない、なにやらきょとんとした表情で。

「こんな所で立ち話? 空気も冷たくなってきたし、続きは中に入ってからにしたらどうだい?」

「ああ、ちょうどよかった。俺はこれから帰るところだ」

 遮られた台詞の続きが、小夜子の耳を通り抜ける。

「おや、そうなのか。夕食を振る舞おうと思って色々と買い込んできたんだけどな」

 ちらり、紙袋の中身に視線を送る奏一郎。しかし橘の表情が変わることはなかった。

「悪いな。俺の分もあいつらにたくさん振る舞ってくれ。招待してくれてありがとな」

「いえいえ、こちらこそ。またおいでね」

 短く……とても穏やかなやり取りの後、小夜子は橘の背中を見送ることになった。彼は最後のその瞬間、目を合わせてはくれなかった。視線に入れることすら躊躇しているかのように。あの黒くて真っ直ぐな瞳から、追い出されてしまった。


 冷たい風が体を突き刺す。早く温かいところへ行きたい。皆のいる賑やかなところへ戻りたい。そう願わずにはいられないのに。なぜか足が動こうとしない。たとえ心屋に戻ったとしても、そこに橘はいないのだ、と思うと。


 なぜかそれがとても、悲しいことのように思えて。


「……どうしたの? こっちにおいでよ」

 静かな声は、不思議なほどに頭の中に響いて……小夜子を誘う。やがて、後ろ髪を引かれる思いをしながらも踵を返し。店内に足を踏み入れるのにさほど時間はかからなかった。


* * *


 小さく、小さく呟く。階下は賑やかだなぁと。傍らのオレンジのランプが煌々と部屋を照らしてくれているのは、まあいい。けれど分厚い毛布の重さに押し潰されてしまいそう。それだけが不満だ。

 体温こそ平熱に戻ってはいるものの、倦怠感と食欲の無さから絶対安静を言い渡されてしまったのだ。

 たしか今夜はお鍋にすると言っていたっけ。皆で一つの鍋を囲むなんて、きっと楽しいだろうな。……などとそんなことで頭がいっぱいになってしまう。いっぱいにしておかないと、するり。いつの間にか脳みその隙間を縫って、橘の表情、声や言葉が入り込んでしまうから。


 思えば、彼は駆け込み寺だった。この人にならなんでも相談できる。困ったときには「橘さん」。つい最近の静音との一件もそうだ、自分がいくら暴走しても後からフォローしてくれる。すべて、厳しさの中にも無償の優しさを孕んでいたから。


 けれど、今回は違った。

 「名前を呼んでほしい」──理由を添えれば彼は望み通りにしてくれたのだろうか。

 断られると思っていなかった。どこかでいつも、ずっと、甘えていた。


 そんなところを見透かされたのかもしれない。いい加減、嫌気が差してしまったか。愛想を尽かされてしまったのかもしれない。

 考えてもわからないことばかりなのに、不安。焦燥。一人でいると、そんなことばかりが頭の中を占めてしまう。


 コン、コン、コン。ノックが三回。

「起きてるかな? 入っても平気?」

「……どうぞ!」

 急いで手櫛(てぐし)で髪を整える。終わりと同時に入ってきたのは奏一郎。両手には湯気を立たせた器と、れんげ。

「食欲は無いって言ってたけれど。雑炊なら食べられるかなぁと思ってね。どうかな?」

「あ、ありがとうございます」

 部屋に出汁(だし)の香りが充満すると、無かったはずの食欲がむくりと体を起こさせる。

 熱いから気を付けて、と手渡された器には、煮詰まれた少しの野菜とその出汁でぴかぴかに光るお米。熟しきっていない玉子がぷるぷると震えている。

「美味しそうです……いただきますっ」

 息を何度か吹きかけて口に運ぶ。しっかり冷ましたはずのそれが、口の中ですぐに猛威を振るい始めた。察したのか奏一郎がすぐに水を差し出してくれる。……そんな小さなハプニングも、奏一郎が笑ってくれるから救われる。

「本当に、何から何まですみません……じゃなかった、ありがとうございます。明日にはいつも通り元気になってますので!」

「そうだね。明日には良くなってるだろうね」

 空になった器を見ながら、奏一郎が満足げに微笑んだ。


「それじゃ、ゆっくり休むんだよ?」

 分厚い布団を被せながら、器とれんげを回収する彼。

 ああ、行ってしまう。また一人になってしまう。

「あの、奏一郎さん」

「ん?」

 気付けば、呼び止めてしまっていた。

 嫌気が差してしまうかもしれない。愛想を尽かされてしまうかもしれない。

 そんな不安が首をもたげるけれども、またあの夢を、そしてその続きを見てしまうかもしれない──これ以上の恐怖は、なかった。


「私の名前……呼んでくれませんか?」

 ぱちり。短い瞬きの間に、彼は答えを出してくれたらしい。白い前髪の隙間、碧い眼が細められている。

「……いいよ? いっぱい呼んであげる」

 この前とは逆だね。悪戯っぽく、そう付け足して。


 落ち着いた声で紡がれる己の名に、小夜子はゆっくりと瞼を閉じた。彼の声は子守歌に似ていた。優しさに包まれて、心が穏やかになる。人柄をよく表しているなぁ、なんて。そんな呑気なことを考えながら。


 重たいはずの布団も、意識から遠のいて。ゆっくり、ゆっくりと。深海へ落ちていく気分だ。奏一郎の声も徐々に遠く、小さくなっていく。

「さよ、大丈夫だよ」

 恐らく、そんな言葉を彼は落としているのだ。安心する言葉を。夢の中の彼とはえらい違いだ。


「……君は、牢の外にいるんだから……」


 深く、深く。小夜子は海底へと沈んでいく。もう奏一郎の声も聞こえない。己の名が遠くなっていく。ああもう少し、もう少しだけ声を聞かせてほしい。そんな心の声も、意識とともに徐々に薄れていく。海に溶かされていく気分だ。自分というものが無くなっていく。消えていく。


 徐々に、ゆっくりと。だが確実に、消えていく。


* * *


 静音や桐谷、そして子猫たちと別れの挨拶を済ませ。仄かに寒気の残る夕闇に身を投じて間もなくのことだった。

「お墓だよ」

 ぽつり、傍らの純がそんなことを言ったのは。街灯に照らされた彼の顔色は昼間よりもずっと良くなっている。けれども、今度はこちらの顔色を変えてしまうような一言を彼は言ったのだ。

「お墓?」

「森に入る前に石がたくさん並んでたでしょ、これくらいの」

 両手で輪っかを作る純。成人男性の握り拳ほどの大きさ。芽衣もたしかに確認したが、地面に突き刺さっていたそれらは一つや二つではない。とうてい数えきれないほどの──、

「小動物の墓だよ、あれは。それも猫がほとんど。あれだけの数をあの人が一人で世話してたと考えると……少しね、ぞっとしたよ。何年生きてるんだよこの人って」

 ぶるり、肩を震わせる純。


「……大丈夫? 森の中でもずいぶん気分が悪そうだったけど」

「ああ、うん。あそこから出ちゃえばずいぶん楽になったよ。あそこは……呼吸するだけで気持ち悪くて仕方なくて」

 姉ちゃんは感じなかったと思うけど、と付け加えて。やはり繊細な彼の力は、自分なんかよりもずっと情報収集に向いていた。


「左右前後、触れる木の全てから、あの人の気配を感じてさ。首を絞められているような息苦しさだったよ。さっき、誰かが森にしたんだろうって言ったけど……その誰かは間違いなくあの人だと思う」


 人が一人、迷い込んでしまうほどの広さの森。それを奏一郎が作り上げたとでもいうのか。芽衣には理解しがたかった。なぜって、そんなことをするメリットが見当たらない。

「何のために?」

「……相手は人間じゃないんだ。もしかしたら目的なんてなかったかもしれない。そうしたかったから、そうしただけなのかもしれない。だから具体的にはわからない、けど。ただ……」


 口を濁す純の、言葉の続きを芽衣は待った。やがて紡がれるその台詞に、鳥肌が立つ予感を覚えながら──。


「姉ちゃん、あそこはね……人が死んでる。何十年、何百年も昔のことかもしれないけど。たくさん、たくさん死んでる。だから、もしかしたらだけど。あの石ころがそうだったみたいに……」



 あの森のすべてが、墓なんじゃないか。



 ……ひやり。風が(うなじ)をさらりと撫でる。


 所詮、憶測の域を出ることはない。けれど考えていたところでわかりっこない。真実に近づくためには、考えるよりも前にすべきことがあるのだから。

「……調べてみないと。過去にあの場所で何が起こったのか」

「俺も手伝うよ。蔵の中でしょ?」


 芽衣は琥珀の瞳を丸くした。面倒事には自ら首を突っ込まないタイプだと知っているから。そんな彼がまさか助力してくれるだなんて思ってもみなかったのだ。

 視線の意味に気づいたのか、純が口を開く。


「姉ちゃんは受験生だからそんなに時間もないだろうし、調べものは二人でやった方がずっと早いよ。……それに急いだ方がいいと思うんだ。早くしないと、小夜子先輩……消えちゃうような気がするんだ」

それは(うつつ)(まぼろし)

あなたには何がみえましたか?


〈第十七章:みえたもの〉 終


☆ここまで読んでくださり、ありがとうございます

☆物語の、一つの区切りとなりました

☆面白いと感じていただけたなら、↓で評価していただけると嬉しいです

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