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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十七章:みえたもの ―卯月・中旬― 其の四

 そういえば、と小夜子は口を開く。

「桐谷先輩、お見合いはどうなったんですか? その後を詳しくは聞いてなかったなと思って」

「……あー、うん。俺も当日まで知らなかったんだけど。相手がきょーやの同僚? っていうか後輩で」

「え?」

「しかもきょーやのことをずーっと前から好きな子で」

「ええ!?」

「俺とは何だかんだ言って良い友達になった」

「ちょ……!? 意味がわかりません! 端折(はしょ)りすぎです!」


 桐谷曰く、見合いの相手は橘の後輩。乗り気だったのは親だけで、彼女は橘への想いが強く本当は見合いにも参加したくなかったのだと。円満な関係を装い、両親たちを上手いこと騙していこうかという算段を桐谷に持ちかけたその時──。


「そこにきょーやが登場するじゃん? まあ、あれだよ。白馬の王子様だよね。メロメロだよね」

「メ、メロメロ……!」


 久しく耳にしていなかった言葉に、そしてその意味するところに驚きを隠せないが、橘を見ても何の突っ込みもせずいなり寿司を咀嚼している辺り、その表現できっと合っているのだろう。


「……あの後は大変だった。きょーやは別に君を迎えに来たわけじゃないんだよ~って説明するのに一時間。理解させるのに一時間。納得させるまでに一時間。俺もきょーやも、土日潰れる勢いだった……」

「た、大変でしたね……」

 喉を上下させた橘も、口を開く。

「思い込みの激しいタイプだからな。三時間で済んで良かったよ」

「さすが、きょーやはああいう手合いに慣れてらっしゃる……」

 モテる男は違うねぇ、と。呑気なことを言いながら、奏一郎も日本酒を口にした。


「でも、このお見合いって会社の命運がかかっているって聞いてましたけど……」

「それもね、解決した。『こんな素敵なお友達を持つ人なんですから、きっとこの人はとてつもなく良い人です。そんな人が勤めている会社なんですもの。お見合いなんて関係なく、永久的なお付き合いをしましょう!』って、その子が父親に説得してた」

「……え、それで了承した、んですか?」

「……父親ってのは娘に弱いのかねぇ」

 つまり万事解決したということだ。

 けれど、よかったですね、なんて軽々とは小夜子は言えない。静音を思っての行動が、もしかしたら桐谷の会社を窮地に追いやっていたかもしれないのだから。……橘の協力無しには、この円満な結末には至れなかっただろう。


 お猪口を空にした橘。礼の気持ちを込めてお酌をすると、意図を汲み取ったらしい。気にするなとでも言いたげに、彼は瞼を伏せる。

「ありがとう」

「いえいえ!」

 お礼を言いたいのはこちらの方です、と心の中で呟きつつ、ほんのり紅潮した頬に微笑みを送る。


 すると小夜子から視線をそらしたかと思えば、

「そうだ、桐谷。奏一郎に言いたいことがあるんじゃなかったか?」

 傍らの桐谷にそう問いかける。

「あー……うん。そうだね。心屋さん、言いたいことがあるんだけど。……あの時のこと」

「うん? 何だい?」


 何かあったのだろうか──と刹那、思いを馳せるも。真っ先に思い出されるのは割れた湯呑みの音。乱れた奏一郎の共襟(ともえり)。そしていつも穏やかでぼーっとしているはずの、桐谷の怒号。店の外に隠れていた小夜子にも、その殺伐とした空気を伝えてしまうほどの。十年前の彼が荒れていたのだと思い起こさせるほどの──。


「掴みかかっちゃってごめんね?」

 緩い。あまりにも緩い。かつて本当に荒れていたのかと疑ってしまうほど。

 対して奏一郎も、

「いいよー」

 酒がそうさせたのか。何とも緊張感の無いふにゃっとした、締まりの無い笑顔だ。……恐らく彼は、桐谷に対して何一つ怒ってなどいなかったのだろう。


「おっと。お茶を持ってくるのを忘れていたね」

 すっと立ち上がると奏一郎は一人、蓙を離れ。

「ちょっと待っててくれ」

 木々の間に片足を差し込んだかと思えば、舞う花びらを視線が追っているうちに姿を消してしまった。緩慢な所作のはずがあっという間だ。


「……足取りもしっかりしてるし、呂律(ろれつ)も回ってるし。顔も赤くなってないし、失敗かな……」

 ぽつり、くぐもった声。小夜子が振り返ると、ジュースを空にしたビニールコップの中、桐谷がそう呟いたのだとわかった。

「失敗? って何のことですか?」

「ほらよくあるじゃん、昔話とかで。宴会で酒を振る舞ってベロンベロンに酔わせて、人間に化けている奴の正体を暴く──みたいな」

 度数が強いやつ持ってきたんだけどな、とつまらなそうに日本酒のラベルを見つめている。


 この無表情の奥、彼が何を考えているのか──。ある程度の見当は付いても、そうあってほしくないという思いがふつふつと。自然、唇は戦慄(わなな)く。

「き、桐谷先輩、一体何を言って──?」

「だって心屋さん、人間じゃないでしょ?」

 表情を変えることなく彼が言うので……小夜子は思わずフリーズしてしまう。硬直した体の代わりに、視線だけを橘へ移して。けれど彼は驚きもせず、まるで得心がいったとばかりに(まばた)き。

「……また、謝ることが一つ増えたな」

 呆れたように、再びお猪口を空にした。


「な……何で知ってるんですか!? 橘さんから聞いたんですか!?」

「あー、その反応ってことは、やっぱりそうなんだね……」


 しまったと口を押さえるも、もう遅い。代わりに口を開いたのは橘だ。

「『花見には日本酒』……なんて、妙だと思った。どちらかというと桜餅か三色団子だろ、桐谷(おまえ)は」

「さすがきょーや。俺のことよくわかってる……」

 呑気にオレンジジュースを注ぐ桐谷は心なしか嬉しそうだ。一方の小夜子は呑気ではいられない。奏一郎が人間ではない、と打ち明けてしまったも同然だ。仮に確信していたとしても、それを決定的にしてしまったのは自分なのだから。


「で、でも本当に何で……そう思ったんですか? 奏一郎さん、桐谷先輩の前で(ほの)めかしたりはしてないと思うんですけど」

「んー……心屋さんが知ってるはずないのにな~ってことを言われたこともあったし。振り返ってみれば、第一印象からして人間っぽくないな~と思ってたんだよね……」


 ……大人というものを見くびっていた、と小夜子は思う。いやいや、大人ならばなおのこと、「奏一郎が人間ではない」なんて現実的ではない結論には至らないだろう。つまり小夜子は大人ではなく──無意識に桐谷を見くびっていたのだ。このマイペースな無表情の奥、どれだけ柔軟かつ浮世離れした思考が渦巻いているかをもっと考えるべきだった。


「さよさよの発言しかり、この落ち着きっぷりを見ると、きょーやもきっと知ってるんだろーね」

「確信に至ったのはもう少し前だけどな。人間じゃないなら何なのか……までは、さすがに知らん」

 アルコールがそろそろ回ってきてもおかしくないだろうに、はっきりとした声色でそう答える橘。

「それにしても随分あっさりしてるんだな。もっとこう、怖いとかそういう感情は湧かないのか……?」

「え……うん。心屋さんが良い人なんだろなーってのはわかるし。まあ勘だけど」


 ああ、そういえばと。橘が当初、奏一郎のことを怖いと言っていたことを小夜子は思い出す。まだ知り合って間もない段階でそう感じていたらしいから、きっと橘も桐谷と同じく第六感がかなり優れているのだろう。


 頭の中で冷静に分析する一方で、背中の冷や汗は留まることを知らない。なぜなら桐谷が言うのだ。

「俺の予想ではね~、まぁ見た目のイメージだけど。魔法使いとか仙人とか、妖怪とか狐とか、そういうのなんだよね~」

「ジャンルごった煮すぎるだろ……」

 なにやら奏一郎の耳に入ったら厄介なことになりそうな。もしかしたら彼は気にしないかもしれないが、本人のいないところでこんな話題で盛り上がるだなんて、良い気はしないかもしれない。ここには奏一郎がいないのだから、言ってもさして問題はない──わけではない。決してない。

 どうしてかって、その理由は小夜子の傍らに鎮座する銀色の水筒にある。


 今でこそ何の変哲もない水筒の形をしているが、彼は「とーすい」という名を持つ……奇妙な水筒である。ちょこちょこと頼りない手足を生やし、黒ごまのような円らな瞳を持ち、自らを誉めそやす自信たっぷりナルシストな水筒なのである。

 そして、とーすいは奏一郎から創られたと小夜子は聞いている。つまり二人は、想像も及ばぬようなところで繋がっている──。今この場で繰り広げられているやり取りすらも、奏一郎の耳に入ってしまっている可能性が高い。


 にも関わらず、

「ねー、さよさよは知ってるの? 心屋さんの正体。っていうか何も知らないわけないよね。一緒に住んでるわけだし」

 ぐいぐいと。これでもかとばかりに食い付いてくる。桐谷のことだ、きっと嘘をついても見破られてしまうだろう。はぐらかしても無駄なのだろう。唯一の(たの)みの(つな)である橘でさえも、やはり気になるのか静観を貫いている。


 ──ど、どうしよう、とーすいくん。このままじゃ全部喋っちゃうよ、私……!


 ぎゅ……っと銀色の水筒を握り締める。けれども、彼は何の反応も示さない。ほんの少しでいいのだ。せめて小声で何か釘を刺してくれればいいのに、それだけなのに。

「え……えっと。私が知ってる限り、ですと……」

 さすがに話し始めたら止めに入ってくれるだろうと……小夜子は思っていた。しかし依然、水筒は水筒のまま。何も指示を出してはくれなかったのである。


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