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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十七章:みえたもの ―卯月・中旬― 其の参

 先を行くのは奏一郎。向かう先は森の奥。深く生い茂るそこを、和服で身動きの取りづらいはずの奏一郎が軽々と進んでいく。橘にとっても桐谷にとっても、この森に入るのは初めてのことだった。土から盛り上がった太い根っ子に足を取られそうになったり、背の低い枝に袖を引っ張られたり。そんなことを繰り返して、数分の後。辿り着いたのは広々とした空間だった。鬱蒼とした森とは打って変わって開けた視界。


 その視界の中心には、ほっこりと咲き誇る薄紅色の桜の木。

「橘さん、桐谷先輩、こんにちはっ」

 そしてその満開の桜の下、(ござ)に腰かける小夜子。


 橘は彼女の頭上の花びらたちに注目したが、一方の桐谷は彼女の傍ら、つまりはお重に視線を注いでいる。男同士、親友なれど、二人の視線が重なることはなかった。

「桐谷先輩はバレンタインデー以来ですね、お久しぶりです!」

「さよさよお久~」

 緩い挨拶と共に、蓙に上がる桐谷。橘もそれに続く。

「……この森にこんな開けた場所があったんだな」

「ここに近づこうとする人自体、なかなかいないからね。たぶん誰も知らないんじゃないかな? 僕たち以外はね」

 橘から差し出された土産を受け取りつつ、そして箸を全員に渡しつつ。奏一郎はそう言って微笑む。


 橘が持参したのは漬け物だった。というのも、叔父夫婦から毎月のように送られてくるので消費に困っているらしい。

 タッパーを開くと胡瓜に茄子、大根の漬物が整頓されて並んでいる。仄かに香る味噌の風味に、小夜子は思わず喉を鳴らした。

「助かるよたちのきくん。お漬け物は用意していなかったからね」

「そうか、なら良かったよ」

「俺はね、これ持ってきたよー……」

 なにやらビニール袋でガサガサと音を立てたかと思えば、桐谷が取り出したのは──、

「……お酒、ですか?」

「うん、日本酒。俺はお花見には日本酒って決めてるの。……そういえば確認してなかったけど心屋さん、飲める人?」

 見たことのない白濁の瓶に、小夜子は思わず注目してしまう。そして次には奏一郎へと、視線が忙しい。


「そうだね。たぶん飲めると思うよ」

 あっさり快諾する奏一郎に、桐谷の無表情もぱっと明るくなる。

「きょーやも飲むでしょ?」

「桐谷、お前は()めとくんだよな? いつも暴れるだろ……」

 ジュースで我慢するよ、と頬を膨らませる桐谷。小夜子は思う。その膨らんだ頬を見て、思う。


 ──本当にこの人は自分より十歳も上なのだろうか……。


 そんな疑惑の最中にも、二人のお猪口(ちょこ)に日本酒は注がれていく。小夜子と桐谷はもちろんジュースだ。


 青空の下、ついに宴は開かれる。


「それじゃ、えーっと。……かんぱ──い……」

 ……なんとも、なんともゆるゆるな音頭と共に。


 一段、二段、三段と。お重を広げる度に桐谷の目が光り輝く。いなり寿司、豚の角煮、玉子焼き、ほうれん草のおひたし。蛸に見立てたウィンナーと、生姜の風味漂う唐揚げ。サーモンと玉ねぎ、そしてパプリカの入ったカルパッチョ。桜餅は人数分。隙間なく敷き詰められたそれらは前日から仕込んでおいたもの。早朝から小夜子と奏一郎が丹精込めて作ったものだ。

「美味しそ~……。いっぱい食べてもいい?」

「もちろんです! たくさん召し上がってください!」


 いただきます、と手を合わせて。それぞれが紙の皿を空にしていく。小夜子だけ、皆の喉が上下するまでじっと待つ。……それにもちゃんと、理由はあった。


「美味い」

 豚の角煮を口にした橘が、ぽつりと。

「んまい……」

 玉子焼きを頬張る桐谷が、しみじみと。

「美味しいってさ。よかったね、さよ」

 お猪口を片手に奏一郎が、ほのぼのと。


「えへへ、本当によかったです」

 思わず漏れた笑みに、橘と桐谷が首を傾げる。

「あ、えーっと。実はこの角煮と玉子焼き。あ、あと唐揚げ……私が作ったものなんです」

「へー……すげぇね。さよさよって料理上手なんだね。そういえばマフィンも美味しかったもんね」

「いえいえいえ! 本来はすごく苦手なんです、本当に恥ずかしいくらい料理下手なんです……!」

 ぶんぶんと激しく首を横に振る小夜子に、橘は心の中で小さく頷いた。彼女が以前お粥を作ってくれたことはあった──味は問題無かった──が、完成してからの前置き、もといハードルを下げるのにかなり時間をかけていたことを忘れてはいない。


「どうせドジ踏んで失敗するからって尻込みして……お母さんのお手伝いもなかなか進んで出来なくて。だから、教わってこなかった分を取り戻したくて、今は奏一郎さん指導の下、修行中なんです!」

 ぱくり、唐揚げを口にする。……朧気に思うのは、母の味とは少し異なる、ということ。母の作る唐揚げはもっと味が濃かった。ここまで生姜の風味が鼻に抜けることもなかった。けれどきっとこれが、やがて自分の味になっていくのだ。咀嚼する度に、己に言い聞かせる。


 ふと料理の師匠なる奏一郎を見ると、にこり。途端、背中に嫌な予感が走る。それは久方ぶりに見る、意地の悪い笑みだ。

「そうそう、ここに来たばかりの頃のさよなんて酷いものだったよ。真っ黒焦げのホッケなんて見たの、久しぶりだったからね!」

「そ……!?」

 青ざめる、のと同時に横目で二人を見る。橘も桐谷も、お重の中身を注意深く見ているのがわかる。悲しいほどによくわかる。


「奏一郎さん! あ、あの時はちゃんと最後まで食べてくれてたのに……何で今になってそんな風に言うんですか……!?」

「いやあ、懐かしくなってね。他にも味噌の溶けきっていないお味噌汁とか……」

「も、もう、止してくださいよ……っ!」


 ……このやり取りが、まるでテレビの向こう側で繰り広げられているように感じたのは橘だけではない。桐谷も、だ。小夜子と奏一郎には聞こえないくらいの小さな声で、二人の男は意思の疎通を図る。

「……ねぇ、きょーや。念のためもう一度訊くけどさ、この二人って本当に付き合ってないんだよね? なんか馴れ初めを聞かされてる気分なんだけど……」

「付き合ってない……はずだが」


 小声のやり取りの最中(さなか)にも、小夜子と奏一郎は──傍目に見ればじゃれ合っていた。

「奏一郎さんなんて、お酒飲んで潰れちゃえばいいんです!」

 そう言いながら徳利を傾け、お猪口に注ぐ小夜子。それを受ける奏一郎は満足げに微笑むだけ。

「おや。さよからお酌をしてもらうのは初めてだ。嬉しいものだね、可愛い子からしてもらえるなんて」

「……奏一郎さん、もう酔っているんじゃありません……っ?」

 しかし、奏一郎の頬はいつもと変わらぬ雪色。頬を紅く染めているのはむしろ、小夜子の方だった。


 再び小声の会議は始まる。

「……ねぇ、きょーや。この二人って結婚してないんだよね? なんか新婚夫婦のお花見にお邪魔してるような気分なんだけど……」

「もはや俺に何も訊くな……」

 その瞬間、会議は終わる。

 風に舞う桜の向こうに、桐谷は傍らの親友を見る。その眼鏡の奥、双眸(そうぼう)には失いがたい恋が映っているのだろうと思うと──甘いはずのオレンジジュースに、ほろりと苦味が加わるのだった。

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拙作『ツクモ白蓮』を含む

小説家になろう掲載作品が多数、

中国の小説サイトに

無断転載されている問題を受けまして

その対策の1つとして「前書き」に小説の本編を

掲載しております。

なお、安全性が保証されていないため、当該サイトにアクセスすることは推奨できません。

というよりも、アクセスしない方が賢明と思われます。


見辛くなってしまっているかもしれませんが

ご理解ご協力のほど、よろしくお願いいたします。


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