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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十七章:みえたもの ―卯月・中旬― 其の壱


 ぱちり、目を開ける。目の前には十字に組まれた古い格子。格子の奥、そして背後に広がるのは深い、常闇。まただ、と小夜子は焦る。ここがどこなのかは知れない。この闇の向こうに何があるのかも、何故自分は囚われているのかも知れない。けれどこの後に何が起こるのか、誰がここを訪れるのかは知っている。それなのに焦る。焦燥が尽きないのだ。


 早くこの状況を打破したいと。強く、強くそう思ってしまう。


 腕を伸ばせど、堅牢な格子が行く手を阻む。声を出そうにも、声になる前にそれは消え失せる。いつもならば、そろそろ奏一郎が現れて──不穏な言葉を残していく。そして自分は落ちていくのだ。崩れた足元から、奈落の底へ。どこまでも、どこまでも──。


 しかし不思議なことに──奏一郎がいつまで経っても現れない。こんなことは初めてで、小夜子は暫し、声を出そうとするのを止めた。何が起こっているのだ。彼の身に何が起こっているのだ。

 一気に押し寄せる不安に膝を折ってしまう。ぺたり。冷たい感覚を下半身が占める。その時だった。ことり、と。いつの間にか、右隣には鬼灯の灯り。暗闇の中、それだけが煌々と光を放つ。どこかで見た覚えがあるような……そう思いながら、小夜子は恐る恐るそれに手を伸ばした。

 格子の隙間を縫って、その奥を照らしてみる。残念なことに、淡い光はせいぜい小夜子の両腕を闇に浮き上がらせるだけだった。照らすためにあるのではないとしたら。ではこの灯りは一体、何のためにあるのだ。誰が用意したのだろう……。


 次の瞬間、小夜子は息を止めた。人がいる。鬼灯の光が僅かに届く距離に。けれど、それが一体誰なのかはわからない。

 小さく丸まった背中が物語る。何の変哲もない着物を纏った子供だ。身長から察するに、年はせいぜい十歳前後だろう。膝を埋めているので顔はわからない。長い黒髪が地面に触れているのが辛うじて見えるくらいだ。


 ああ、きっとこの子は見張りなのだと小夜子は思った。自分が逃げ出さないようにするための。だって……夢の中で以前、奏一郎も言っていたではないか。

 「ここからは絶対に、逃げられないよ」と。


 ふっと消えた、鬼灯の灯り。

 その瞬間に背後に感じる──気配。


 奏一郎であればいい、そう思った。けれど背後から聞こえる声は、明らかに彼のそれとは違った。


「……鬼灯……は……り。……から……に……」


 声変わり前の少年のような声だ。鬼灯、といった台詞は聞き取れたものの、それ以外はまるで聞こえない。そこだけ音声を切り取ったみたいに。


 小夜子は、鬼灯をぎゅっと抱き締める。今はこの灯りだけが命綱だと、そう感じて──。


* * *


 ぱちり、再び目を開ける。まず感じたのは両腕の鈍痛、下半身の温かさ。どうやら両腕を枕にして、下半身を炬燵に預けていたらしい。

 眠たげな眼で辺りを確認すると、そこは障子に囲まれた空間だった。小夜子の傍ら、ノートと参考書を下敷きに寝入っているのは静音だ。


「おはよう」

 凛とした声。向かいに腰かけた芽衣の表情は、微笑ましいと言わんばかりだ。


「……私、寝ちゃってた?」

「一時間くらいね。原はもっと長い。二時間」

 そう答えている間にも、芽衣は課題の空欄をどんどん埋めていく。

「原は今日中には課題終わらないかもね……」


 生暖かい視線に気付いてか、静音がもぞりと肩を動かす。

「うー……? あっれ、もしかして私めっちゃ寝たー……?」

「それはもう、がっつり寝てたよ」

 手渡されたティッシュを不可解そうに眺める静音。芽衣が己の口元を指したのでようやく察したらしい、おとなしく顎を拭っている。

「ごめんごめん。炬燵が気持ちよくてつい!」

「まあ、炬燵の魔力には抗えないよね」

 つい先ほどまでの長閑な雰囲気はどこへやら、声のボリュームが上がるにつれ賑やかな空気が生まれる。これも静音の成せる業だ。


「それにしてもさ~、こんな大量に課題出してくれなくてもいいよねー! いくら三年生になったからって急にぱっと頭切り替えられるもんでもないしさぁ」

「そこはもう仕方ない。腐っても進学校だし」

「楠木は真面目よのぅ~」


 二人の会話を耳にしながら、日本史のプリントを眺めつつ。小夜子は未だにはっきりしてくれない頭を抱えていた。

 奏一郎が登場する夢はここ数ヵ月で何度も見ていたのだが──あの夢の続きを見たのは今日が初めてだ。あの子供は一体誰だったのか。背後の気配の正体、そして背後からの声は自分に何を伝えたかったのか、と。謎は残るばかりだ。


「萩尾さん?」

「小夜子?」

 いっぺんに名を呼ばれ、小夜子ははっとした。心配そうに己を見つめる二人の目。頬をぱしぱしと叩き、頭を無理やり覚醒させた。

「ごめんね、ちょっとボーッとしちゃったみたい!」

「調子悪いなら……無理しなくていいんだよ?」

「大丈夫、大丈夫! 炬燵の熱でうとうとしちゃってるだけだから! それよりも……」

 そう、小夜子はどうしても芽衣に訊きたいことがあったのだ。

「本当に良いの? しかも二匹も、なんて」


 九月に四匹生まれた子猫の内、一匹は桐谷の所へ。残りの三匹は引き取り手が手を挙げることなく、心屋にてすくすくと成長している。誰か引き取ってくれないものかと思っていたのだが──、

「うん。お父さんもお母さんも、猫好きだから」

「楠木ん()は広いしね~」

 ……楠木家がなんと二匹も引き取ってくれると言うのだ。子猫との別れはもちろん辛いが、ありがたいことこの上ない。


「ただ、純がね……」

 声を落とす芽衣に、小夜子は少しどきりとしてしまう。

「純くんが?」

「猫だけじゃなくて、動物全般苦手なんだ。アレルギーがあるとか、そういうわけじゃないんだけど」

「ええ? じゃ、ダメなんじゃ……!?」

 驚く静音。対して、芽衣は冷静だ。いつものポーカーフェイスをまったく崩していない。

「め、芽衣ちゃん。もし反対されたら私からも説得してみるけど、それこそ無理しなくていいからね……!?」

「いや、たぶん大丈夫。純は私の言うことなら聞くと思う」

 ぽかん。口を開いたまま見つめ合う小夜子と静音。その自信は一体どこから来るのだと問いたい。


「今は部活に行ってるけど、もうすぐ帰ってくると思うから話してみるよ」

 噂をすれば、というやつだ。芽衣が口を閉じた途端に、「ただいま」という声が玄関口から聞こえてくる。廊下を歩く音が近づいたかと思えば、するりと障子が開かれた。


「あれ。やっぱり小夜子さん来てたんだ。いらっしゃい」

「純くん、久しぶり! お正月ぶりだね! 背伸びたね!?」

「わかりやすいお世辞、ありがと。一ミリも変わってないよ」

 学校指定のジャージに身を包んだ純は、身長こそ変わらずともやはりどこか大人っぽく見えた。相変わらずの切れ長の琥珀色の瞳。色白のつるりとした肌は陶器を思わせる。漂わせる雰囲気や声のトーン。やはり芽衣と純はどこもかしこも似ていた。

 そこで、小夜子ははたと気付く。純の纏うジャージに、見覚えがありすぎて。


「純くん、もしかしてうちの高校に入学したの?」

「まあね。これからよろしく、小夜子先輩」

 小夜子先輩、と。言われ慣れていない呼び名に思わず胸の中が熱くなる。


「純くん、だっけ? こんにちは、お姉ちゃんにはいつもお世話になってまっす! 私は原 静音! 気が向いたら静音先輩って呼んでね!」

 静音のにこやか、かつ爽やかな挨拶。誰もが好印象を抱くであろう模範的な──。けれど純は、上から下まで静音を眺めたかと思えば、こう言いかけた。

「……ああ、失恋……」

 「失恋した人」と言いかけたその口を、光の速さで勢いよく塞いだのは芽衣だ。さすがに、まだ。まだそれは解禁じゃない。


「ど、どしたの楠木?」

「何でもないから……! 本当に何でもないから……!」

「そ、そうだよ静音ちゃん、何でもないよきっと!」

 言いながら、たらりと背中に冷や汗が伝う。たしかにこの姉弟は似ている。似ているけれど、よりマイペースなのはどうやら芽衣ではなく純の方らしい。


「でさ、純。一つ相談があるんだけど……!」

 話題を変えたい、そして本題に入りたい芽衣が口を開く。

「なに?」

 解放された純がぱちくり、と瞬き。途端に訪れる、緊張の一瞬。

「萩尾さんの下宿先から子猫二匹をウチで引き取るんだけど、いい?」

「いいよ」


 ──早っ!


 小夜子も静音も、驚きに目を見開く。

「じゅ、純くん、本当にいいの? だって動物苦手なんじゃないの!?」

「……そうだけどさ。俺が動物苦手なのと姉ちゃんが猫引き取りたいっていうのは、また別の話でしょ。克服の良い機会かもしれないしね」

「お、大人だ……!」

 先ほどまで先輩、なんて呼ばれていたのに。二つも年が離れているのに。この落ち着きようは見習わなくてはならない、と小夜子は肝に命じるのだった。

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