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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十六章:ちかうこと ―弥生・下旬― 其の参

* * *


 奏一郎に導かれるまま、小夜子は森を歩く。彼は左手に鬼灯の灯り──どうやらこれは心屋の商品らしい──を。右手には縦に膨らんだ風呂敷をそれぞれ持っている。ところどころ地面から盛り上がった木の根に足を取られないよう慎重に進むため、小夜子は奏一郎に置いていかれそうになる。けれど、その度に彼は振り返って立ち止まってくれる。

「転ばないように気を付けてね」

「はい!」

 草履の方がよっぽど歩きにくいだろうに。忠告をしてくるだけあって彼は……どこを踏めば良いのか熟知しているようだ。一切足元を見ることなく、余裕綽々に進んでいる。それどころか彼が見つめているのは──またしても空だ。


 相も変わらず人の侵入を拒むかのような鬱蒼とした森の中。細かな枝の先が胡桃色の髪の毛を拐う。自分よりもずっと背丈の大きな奏一郎は無事だろうかと心配になってしまうが、どうやらそれも杞憂のようだ。


 橙の鬼灯が、揺れる。ゆらゆらと森を、奏一郎を照らしている。


「奏一郎さーん、どこに行くんですかー?」

「んー……まあ、ついておいでよ」

 強い口吻ではないのに、有無を言わさぬこの言い方。実に彼らしいと思ってしまうのはきっと、一つの慣れというやつだ。


「ねぇ、さよ。今年の卒業式は、桜は咲いていたかな」

「桜……ですか? はい、満開まではいきませんが。きっと今年の冬が長かったからでしょうね」

「そうだね。桜というのはそういうものだ。周囲からすぐに影響を受けてしまう気分屋さん。稀に狂い咲き、なんてものもあるしね」

「狂い咲き? あ、聞いたことあります!」

「咲くべきじゃない時にぱっと咲いてしまうのさ。例えば夏や秋にね。……慌てん坊さんなのか、のんびり屋さんなのか。どっちなんだろうね」

 奏一郎の言い方に、小夜子は思わずふっと笑みをこぼす。

「どっちなんでしょうね」

「……ううん、きっとどちらでもないんだろうな」

 自分がどちらを答えようと、彼の中での結論は変わらないのだろうなと小夜子は思った。きっと彼の胸の内には、既に答えは出ていて。


「一人だけ咲いて……自分だけが特別になって、それがどうなるっていうんだろう。皆と同じように咲いて……同じように散っていければ。それがきっと、一番良いはずなのに」


 怒っているような口調では、なかった。冷静に、穏やかに。それどころか口角は上がったまま。


「……馬鹿だよね」


 鬼灯が揺れる度に、影も揺れる。ゆらゆら、ゆらゆら。自分の影が揺れるのを視界の端に捉えながら、小夜子は密かに息を飲んでいた。奏一郎の口から出た(そし)りの言葉。悪口とはいえ、小学生にだって使えるその言葉はきっと棘は少ないはず。もし誰かにそう言われても、笑って受け流すことができるだろうと思えるくらいの。それなのに、なぜ。彼の言葉の持つ響きはこんなにも、簡単に胸を締め付けるのか。


 口の中が異様に渇いているのを感じたのは、一つ、二つと息を整えた時だった。

「……私、は。私はそうは、思いません」

 彼の目を見ることをこんなに難しく感じるのは久しぶりのことだった。緊張で口が回らないのだってそうだ。けれども……伝えなくてはと思った。伝えたいと。目を見て伝えたいと、思ったのだ。


「昔、本で読みました。狂い咲きは……天候や気象によって発生するんだって。自分の意志で、じゃないんです。だから狂い咲いてしまった花だってもしかしたら……皆と同じように咲きたかったかもしれません。皆と同じように、散りたかったかもしれません」


 瞬きの最中(さなか)、小夜子は想像してみる。

 そっと芽吹き、膨らんだ蕾から、やがて花が開いて。けれど周りには自分以外、誰も咲いてない。誰もいない。一生懸命枝を伸ばしても、ぽつん。自分と共に咲いてくれる(はな)はいない。ぽつん。どこにもいない。ぽつん。

 一人だけ咲き誇るその花は……もしかしたらとても綺麗、かもしれない。綺麗で、孤独で、孤高で、美しく。そしてとてつもなく、寂しいかもしれない──。


「……私は実際に見たことはありませんから、想像してみるしかありません。けれど、もし。もしも狂い咲いた花をこの目で見ることがあったら、その時は……」

 ゆらゆら、ゆらゆら。碧い眼が鬼灯に照らされて、揺れる。ああ、なんて。なんて綺麗で、孤独で、孤高で、美しい。


「……慌てん坊さんでものんびり屋さんでも。たとえお馬鹿さんだとしても……愛おしいなって。ずっと、見ていたいなって。……きっと、愛おしく、思います」


 木々のざわめきが、風の居所を知らせる。さわさわと吹き抜けるそれは髪を撫で付け、どこかへ拐っていこうとする。

 橙に染まった白髪がふわりと着地、落ち着いたところで。奏一郎の唇がゆるりと弧を描くのを、小夜子は見逃さなかった。


「……さよと話していると、不思議な気持ちになる」

 白い睫毛に縁取られた美しい眼は、瞼で覆い隠される。

「この世界が少しずつ、温かく見えてくるみたいだ」


 こちらの台詞だ、と小夜子は思う。胸や、体をぽかぽかと温めて。時には喉の奥、眼球に熱を与え。呼吸すらも乱していることを知っていますかと問いたい。答えなんて、訊く前からわかりきっているようなものだが。


 先を行く件の彼が、足を止める。

「……うん、やっぱりここが一番だな」

 納得したかのようにそう呟いたかと思えば、背後の小夜子に手招き。それに従い、狭い木々の隙間を縫ってひょこりと顔を出すと──目の前には驚きの光景が広がっていた。


 よく手入れされた畑。広い縁側。扉の隙間から漏れるオレンジ色の灯り。言わずもがな……ここは心屋である。


「……あの……奏一郎さん、お店の裏手に戻ってしまっているみたいですが……?」

 恐る恐るそう問いかけるも、奏一郎は至って涼しい顔だ。

「ああ。他にも良い場所が無いかなぁと思ったんだけれどね。やっぱりここが一番良い。ほどほどの広さに日当たりも申し分ない」

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