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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十六章:ちかうこと ―弥生・下旬― 其の壱

 その日、小夜子は「在校生」だった。一度だけ間違えて「卒業生、起立」の号令に立ち上がってしまったが、それでも小夜子は在校生だった。


 背中を眠たげに丸めている者、ぴしっと背筋を伸ばしている者。幾百にも並び立つ後ろ姿、その形は人それぞれに違った。それらを後ろから眺めているこちらも似たようなものだ。けれど来年の今日、あの場所に立つのは自分たちなのだと思うと、小夜子はとても背中を丸めてはいられなかった。一年後、自分の背中はあの場所で、どんな形をするのだろうかと想像してしまったから。


 この日は、あいにくの曇天。なれど──そもそも空が笑っていようが泣いていようが無関係のイベントである──三月二十四日、卒業式。


 教室に戻ってからは、皆との写真撮影だ。デジタルカメラのシャッター音が重なり、時折、不意打ちのフラッシュが瞬く。

 まるで自分たちが卒業式を迎えたかのような賑わいぶりだが、さして過言でもないのだろう。2-Aというクラスは、今日で終わりなのだから。


「またこのクラスで集まろうねー!」

 実現されるのかされないのかもわからない口約束があちこちで飛び交う。この時期、こういった約束が交わされること自体は何度もあったなぁと小夜子は思う。けれど、それが実現されたことが果たして両手の指を使うほどあったかどうか。


 そんなペシミストじみた考えをしていても、

「もしもだよ、仮にだよ? ……別のクラスになってもさ、また一緒に遊ぼうね!」

 涙ぐんだ静音の言葉を、

「……私も、二人とまた同じクラスだったら嬉しい」

 少し沈んだような芽衣の言葉を……信じてしまいたくなるし、そうであってほしいと強く願う。何度も何度も、頷いてしまう。


 教室からクラスメイトが一人、また一人と姿を消していく。それにつられて交わされる口約束の数も、声のボリュームも、だんだん少なく、そして小さくなっていく。やがては静音と芽衣、そして小夜子の三人だけが教室に残された。他の教室からも人の気配はしない。まるで世界中から人が一斉に消えてしまったかのような、そんな静けさだ。


「あ~あ……二年生が終わっちゃったねぇ。三年生かぁ、受験生かぁ。つまんないのー」

 椅子に座って伸びをしたかと思えば、静音はその上半身を勢いよく机に叩きつけた。シャーペンで描いたのだろう机上の落書きを、消しゴムで乱暴に消している。

「ついこの間まで進級のピンチだった奴がよく言うよ……」

 呆れたと言わんばかりに溜め息混じりの芽衣。静音が作り出した消しゴムの細かなカスを集め、几帳面にゴミ箱に捨てている。


「でも、受験生になるって実感があまり湧かないなぁ……。どうしてかな?」

 手持ちぶさたに小夜子は膝を抱えた。「受験」という言葉があまりに遠く感じてしまうのだ。進路こそはっきりしているのに、何故なのか。


「小夜子は調理系の大学に進むんだもんね~。ちゃんと勉強しておかないとね!」

「ふふ、ほんとに。静音ちゃんは専門学校だっけ?」

「そうそう。音楽系か美容系かで悩んでるとこなんだけどね! 早いとこ決めないと~」

「芽衣ちゃんは? もう進路決めてるの?」

 少しだけ耳を赤くして、芽衣は口を開いた。

「私は……まだまだ、全然。大学に行くことだけはとりあえず決めてるんだけど……どこの学部にするかなんて、想像もつかない」

「ふーん? でもさ、まだ焦んなくても良いんじゃない? オープンキャンパスとかもあるしさ、色んなところ行ってみれば、興味のひかれるところなんていくらでも見つかるって」

「ゆっくり決めていけたら良いねっ」

 こくんと首肯する芽衣に、思わず小夜子は笑みを浮かべてしまう。


 突然にすくっと立ち上がり、すたすたと黒板に向かう静音。一体どうしたのか、と呆気に取られていると、彼女は振り返って笑った。右手に握られていたのは、白いチョーク。左端に「4月」と書いたかと思えば、長い直線を黒板の右端にまで引いていく。

「ちょっとだけ落書きしていこうと思ってさ。題して『私たち年表』!」

「年表って言ってもこの一年のことでしょうが」

 早速の突っ込みを入れつつも意外や意外、芽衣も黒板に向かっている。彼女が手渡されたのは黄色のチョークだ。


「まずね、四月! ……って言っても私と楠木さ、全然喋らなかったよね。喋った記憶無い。楠木が相手してくれなかったからだけど」

「体育館に移動する時に足を踏まれたことくらいしか思い出がない」

「え、そんなことしたっけ?」

「めちゃくちゃ重かった……と」

 黄色のチョークが悪態を吐く。小夜子は椅子に腰かけたままだったが、笑い声を堪えきれない。


「次、五月! 球技大会で楠木が大活躍したんだよね~」

 白いチョークが「2-A優勝」の文字を刻む。かと思いきや、

「でも協調性無さすぎて逆に孤立していったっていうね! 超レアなパターン!」

 そっと添えられる、「楠木ぼっち度高まる」。……これには笑っていいのかどうか。


「次、六月ね! ……あまり大きなイベントは無かったかねぇ」

「修学旅行くらいじゃない?」

「めちゃくちゃでかいイベントじゃん! 何で忘れてるかな私!?」

 巨大な白文字で書かれた「修学旅行」に、小夜子が久々に口を開く。

「修学旅行はどこに行ったのー?」

「沖縄だよーん! 小夜子は?」

「私も沖縄だった。時期は皆とは少しずれてるけど」

 この二人と旅行に行けたらきっともっと楽しかっただろうな、と妄想してしまう。いつか一緒に行きたいね、行こうね、行こうよ、と口に出すまでに時間のかかるのが小夜子だ。


 すると、途端に顔を見合わせたかと思えば、静音と芽衣は互いに苦い表情を見せていた。

「そういえば私と楠木、修学旅行のグループも別々だったわ……」

「自由行動も全く別のコース選んでたしね。私と原ってたぶん、とことん趣味が合わないんだと思うわ」


 白いチョーク、黄色のチョークがバチバチと火花を散らしている。この二人はもしかしたら、本当に相性が良くないのかもしれない。けれど二人ともがすぐさま黒板に向き直り、

「七月は期末試験でしょ? 楠木がクラスで一番の成績だったの覚えてるわ」

「そうだったかもね。で、八月は夏休みで丸々潰れるから……接点なし、と」

 黒板の真ん中に差し掛かった頃だ。静音の左手には、もう一色のチョークが忍ばされていた。


「九月。転入生・小夜子!」

 赤いチョークが、黒板に小夜子の名を乗せた。胸がきゅっと締め付けられるような、体温が上がったような。そんな不思議な感覚が全身を走る。


「初めて見た時はさ、『あちゃ~、緊張しいだよこの子!』って思ったもんよ。たぶん、クラスの全員がそう思ってたね~!」

「私は保健室に行ってたから、自己紹介は見てない。けど……たしかにすれ違った時はガチガチに緊張してたように思う」

 能天気に腹を抱える静音に、冷静に感想をこぼす芽衣。どちらの反応も、小夜子の頬を赤くさせるには充分だ。


 席を立ち、俯きながらも二人の隣まで足を運ぶ。手渡された赤いチョークを、黒板の上で滑らせていく。

「えっと、十月……は、文化祭準備と三者面談だったよね」

「その頃からだったよね~、楠木との関わりも強くなっていったの」

 静音の言葉に、ああ、そうだったなと小夜子は思い返す。悪意に満ち満ちた梢の行為の数々。自分に向けられたわけでもないのに怖い、怖いと強く感じてしまっていた。だからこそ、嫌がらせにずっと独り耐え続けてきた芽衣を心の底から大事にしたいと思う。


 それに応えるかのごとく、黄色のチョークが言葉を紡ぐ。

「嫌がらせに拍車がかかる、と」

 ……これまた、笑っていいのか悪いのか分かりづらいことを。


 頭を抱える静音も何か言いたげだが、すぐにぱっと明るい表情に戻した。

「……ま、まあいいや、ね。良いことも悪いことも全部引っくるめて、『過去』ってことで!」

「うん。私の中ではもうとっくに『過去』だから」

 すっぱり言い切る芽衣に舌を巻く小夜子。その傍ら、白いチョークは「文化祭」、「小夜子の入院」、「期末試験」の文字を黒板に埋めていく。


「あとは年も明けてお正月。そして……」

 二月。失恋、と小さな文字で。


 思わず唾をごくりと飲み込んでしまうが、どうやらそれは芽衣も同じのようだ。だってまだ、彼女が気持ちの整理をつけてから数週間しか経っていないのだ。

 視線に気付いてか、黒板から目を離して。へら、と静音は笑う。

「良いことも悪いことも全部引っくるめて『過去』だってば。過ぎたことはもうね、グチグチ言っても仕方ないっ!」


 そう言って、三月二十四日──今日の日付──に「卒業式」と。その横には、筆記体の「HAPPY BIRTHDAY」を。


 目を丸くしたのは、小夜子一人だけ。二人は目を合わせて悪戯っぽく微笑んでいる。


「こうして眺めてみると、振り返ってみると……萩尾さんがこのクラスに来てからの方が、私は楽しかったように思うよ」

「うんうん。トラブルひっさげてくることもあったけど。助けられたことも、それ以上にたっくさんあったしね!」


 芽衣が囁く。いつもありがとう、と。


「小夜子。お誕生日おめでとう!」


 静音のかけ声を合図にか、芽衣が教卓の下に手を伸ばす。そこには白い箱が鎮座していた。その形から、大きさから推測できてしまう。覗かずとも、中身がわかる。

「原と二人で作ったんだ。この教室で三人で食べようって」

「二年生最後の思い出に! ね、食べよ食べよ!」

 言われるまま、促されるまま小夜子は椅子に腰かけ。切り分けられたショートケーキを一口頬張った。その瞬間、じわり。スポンジと生クリームが舌の上で溶けていく。

「す……すごく美味しい……っ!」

 この反応には、静音と芽衣も満足そうだ。けれども小夜子は美味しい、はずなのに。喉に鈍痛が走って──上手に、味が全身に伝わらない。だっておかしいじゃないか。ショートケーキがしょっぱいわけ、ないじゃないか。


「あっれ~? もしかして、あまりの美味しさに泣いちゃいそう?」

 にやにや、と静音が顔を覗きこんでくるので、小夜子は潤んだ瞳を隠した。すんでのところで、涙は流れずに済みそうだ。

「えへへ。うん、泣いちゃいそう。だって本当に美味しいんだもん」

 いつもありがとう、はこちらの台詞だと小夜子は思う。二人の優しさに、温もりに。これまで何度救われてきただろうか。


「私……ここに来るまでに色々あったけど、ね。二人と会えて。仲良くなれて、友達になれて。本当によかったなぁって思う……。今日も、いつも本当にありがとう。ありがとうね……」

 じわり、舌の上でケーキが溶けていく。甘くて甘くて、甘いはずなのに。やはりどこか、何かがしょっぱい。ああ、どうして。「ありがとう」という言葉は……口にすると、涙も付いてきてしまうのだろう。


 その時だ。ひたり、足音。教室をひょこりと覗きこむ大きな眼。

「あれま、まだ残ってたんだ、あんたたち。もう他には誰もこの校舎に残ってないよ?」

 担任の杉田が目を丸くして、黒板と三人の顔を交互に見つめている。

「杉田ちゃん、見回り?」

「全部の教室に鍵かかってるかどうか、のね。……へぇ、青春してんじゃん」

 叱るどころか嫌みの無い言い方だ。ニヒルな笑みからしても、「こういうの嫌いじゃない」というオーラが滲み出ている。すると、後ろのポケットから何やら取り出したと思ったら、どうやら携帯電話のカメラを起動しているらしい。

「ケーキと、あと黒板も背景に撮ってあげるからポーズとりなよ」

「杉田ちゃんさすが! 好き!」

「おう、私も愛してるよ」


 おふざけの愛の応酬にひとしきり笑ったところで。一枚、二枚と。最終的に杉田は、十枚近くも三人を撮影してくれた。「それにしても、あんたらが仲良くなるとは予想外だったね」と、しみじみ呟きながら。


 彼女の厚意でゆっくりケーキを味わい、綺麗に後片付けも済ませ。黒板消しを窓から(はた)き、白煙を(くう)に漂わせて。ようやく杉田と、そして三人は教室を出る。卒業式が終わったのは正午過ぎだったにも関わらず、廊下の窓から見える景色はとうに夕暮れだ。

 そっと振り返ると、何も書かれていない黒板。落書き一つ無い机の数々。整然とされた空間がそこにはあった。先程までたしかにそこにいた自分たちの気配も──この春休みのたった二週間の間に、消えて無くなるのだろう。


「鍵かけるからな、忘れ物無いなー?」

「無いでーす!」

 元気よく答える静音の声と、小さな金属音が重なる。


 カチャリ。……まるで、時が止まったみたいだなと小夜子は思った。

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