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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十五章:なつくもの ―弥生・上旬― 其の十七

* * *


 携帯電話を閉じて、一つ深い溜め息を吐く。

「終わったか、電話は。橘くんは何か言っていたか?」

 傍らをちらりと見れば、仁王立ちしている父――正一(まさかず)

「『趣味が合いますね』とでも言っておけってさ……親友の優しさ、プライスレス」

「そうか」

 問いかけておきながらの短い返答には、(ほぞ)を噛まずにはいられない。けれども慣れを覚えているのも確かだ。この人はこういう人だとわかっていれば、さして怒りも湧いてはこない。


 外の寒さとは関係のない白煙を吐き出して、「じゃ、そろそろ行くぞ」と会場へと促される。火の不始末をきちんと片付けたのは、桐谷だった。


 軋むことのない木製の廊下は塵一つ落ちておらず、窓からの陽光を受けて光沢を放っている。窓越しに、色とりどりの鯉が優雅に泳ぐ池が見えた。いかにも「金持ち御用達」といった風情だ。


 天気は快晴だった。己の気分とはあまりにも落差が激しくて、この期に及んで嫌みの一つもつい言ってしまいたくなる。

「煙草臭い。ガム持ってないの……?」

 そう言って一つ差し出せば、「おう、悪いな」と容易くかわされてしまった。

 煙草の臭いとミントの香りを混ぜながら、正一はにやにやとした口を開く。

「まぁ、お前は見た目は悪くない。あとはそのぼーっとした締まりのない表情と言動、慇懃無礼な態度を表に出さなきゃ良いだけだ」

 止せばよかった。嫌みを一つ言えば、何倍にも返してくる人だったことをうっかり忘れていた。


「あとはまぁ、そうだな。橘くんの言うとおり、『趣味が合いますね』とでも言っておけば完璧だな」

 親友のアドバイスが(けが)されたような気がして。桐谷は表情にこそ出さずとも、やはり気分は落ちるところまで落ちてしまった。なぜ同じことを言っているはずなのに、こうも纏う響きが違うのだろう。


 長い廊下を渡りきり、「鶴の間」という襖の前で足を止める正一。桐谷もそれに倣うと、正一が目配せをする。先程の嫌みったらしい目はどこへやら、どこか「頼むぞ」とでも言いたげなそれ。


 かくて、襖はゆっくりと開かれる。


「失礼致します」

「やあ、桐谷くん。久方ぶりだね」

 本来ならば、こちらが先に部屋に着いているべきだったのだろう。詫びる正一に、いやいやこちらが早く着きすぎたんだと朗らかに返す相手方。

 見合い相手となる女性も、立ち上がり深くお辞儀をしている。


 桐谷は相手方の社長とは何度も会ったことがあった。白髭が印象的な還暦過ぎの男だ。幾重の皺をたたえた目尻が恵比寿顔を思わせる。

 彼の娘である彼女も父親に似たのだろうか、目尻を下げてにっこりとした表情を浮かべていた。

 互いの自己紹介をそれぞれに済ませると、どんな仕事をしているか。学歴はどれほどか。どんな性格なのかか……本人たちのことをなぜか双方の父親が説明するのだから、少し滑稽に思えてしまう。


「では、あとは若い二人に任せましょうか」

 ベタだ。あまりにもベタだ。ドラマや漫画でしか聞いたことのない台詞に、思わず噴き出しそうになるのを必死に堪えている内に、還暦前後の二人は鶴の間から出ていった。


 さて、気を引き締め、ここで改めて相手の女性に向き直る。

 年は若い。たしか、まだ二十五にもなっていなかったはず。写真とは異なり、腰まで届きそうな濃い茶の髪を今日は一つに纏めている。


「二人きりにされてしまいましたね」

 年に似合わぬ、落ち着いた声。真ん丸の愛くるしい目、主張の少ない小ぶりな鼻。ゆったりと弧を描く唇は育ちの良さを物語る。

 なるほど、世の男が放っておかないタイプの女性だ。


「……ですね」

「あ――――、や――っといなくなった!」

 ん? と思ったのも束の間。相手の女性は声を濁らせて肩を伸ばし始めた。先程までの上品さなど、微塵も感じさせない振る舞いで。


「ほんっと、さっさといなくなればいいのにいつまでーもベラッベラ喋ってるんだから!」


 ――え、なに、この人こわい……。


 桐谷は気付いてしまったのだ。二人の父親の足音が消えたのと、彼女が本性を現したタイミングが重なることに。


「由良さん、でしたよね? 最初に言っておきますね。私は今、誰とも結婚する気無いので。このお見合いの時間も無駄ですよ。あなたからしたら残念かもしれないですけど」


 ――今となってはまったく残念じゃないです。


 口が避けてもそんなことは言えない、ので。代わりにふわりと湧いた疑問を口にする。

「えー……っと。それは何故……なんでしょうかね……」

「私には好きな人がいるからです。邪魔されそうだから、父には内緒ですが」

 ああ、なるほどね、と桐谷は理解した。お互いに……本当にお互いにこの見合いは望んでなどいなかったのだ。


「早めに言っておけば、お互いに無駄に気を遣わなくて済むでしょう? わざわざ休日に時間をもらってるんですから、そこはまぁ、あなた宛の私なりの誠意ってことで」

「はぁ、まぁ、ありがたいですね……」

 ただの性悪かと思いきや、一応こちらを気遣っての言動、そして行動だったらしい。


「そもそも……! 私の好みはあなたみたいにぽーっとした可愛らしいベビーフェイスな人じゃなくて、もっとこう知的で……綺麗な黒髪で眼鏡の似合う、そんな男の人なんです!」

「……趣味が合いますね……」


 彼女の力説にぱっと思い付いた顔に、思わず笑みがこぼれる。

 ああ、なんだか――肩の力が、ふっと抜けたようだ。


 * * *


 車に揺られること数分。校門前に着くやいなや、小夜子は降りるよう促された。

「静音を連れてきてくれ」

 端的な、とても短い要望を添えて。


「わかりました……でも。連れてきたとしてそれで、その後はどうするんですか?」

「それはこれから考える」

 当然とばかりにそんな台詞を投げかけられるので、いよいよ小夜子はぽかんとしてしまう。


 要するに、小夜子が静音をここまで連れてくるその間に、その後の行動をどうするかを考えておくと橘は言っているのだ。それも桐谷も彼の会社も、静音をも傷付けない行動を取る、その方法をだ。

 訝しいと思ったのが、顔に出てしまっていたらしい。

「大丈夫だ。信じろ」

 小夜子にそう語る一方で、とうに目線は遠くを見据えている。既に頭の中で、何通りものパターンを考えているのだろう。

 橘に「信じろ」と言われた以上、信じるしかない気がしてしまう。ならば自分に出来ることは、彼から与えられた使命を遂行することだ。己に言い聞かせ、小夜子は校門を跨ぎ小走りで教室へと向かう。なぜ小走りかって、本気で走ったらきっと、橘は怒るだろうから。


 小走りとは言えど、小夜子の体力は落ちに落ちていたらしい。教室の前にたどり着く頃には凄まじい息切れを起こすほどだ。

 息を整えつつ、廊下からひょっこりと教室を覗いてみると、一心不乱に机に向かう静音の華奢な背中が見える。教卓には読書に耽る杉田も。二人ともが小夜子の存在には気づいていないらしい。

 右手のシャーペンを颯爽と走らせている静音。どうやらまだ試験中のようだ。問題は解けているだろうか、どこかで躓いてはいないだろうか。再試験となった後にも共に勉強をしたものだから、つい気になってしまう。

 橘を待たせている焦りから、早く時が過ぎ去ってほしいと思う反面、ゆっくり集中して解いてほしいとも思ってしまうのだ。


 どこか心配性な母親めいた視線を送り続けていると……、

「よっしゃー、終わったぁ」

 解放感に満ち溢れた声。動いたのはそれと同時、だった。

 扉を開く。杉田の、そして静音の丸みを帯びた眼が小夜子を捉える。静音の唇が形を変える前に、杉田が瞬きを終える前に――。

「静音ちゃん……来て!」

 逸る気持ちで静音の腕を掴み、そして駆け出す。静音も引っ張られるまま、小夜子に続き大人しく教室を飛び出す――わけもなく。


「小夜子! なに、どうしたの、一体!?」

 静音は小夜子よりも身長が高い。その上積極的に体育の授業にも参加しているのだ。力に任せて彼女を引っ張ろうにも小夜子の渾身の力は、静音の戸惑いが見せるちょっとした抵抗に易々と負けてしまう。

「もー! 何で黙ってんの!? 何か言ってよー!」

 言えない。小夜子は何も言えない。だって橘とは何の打ち合わせも出来ていないのだから。ここで下手なことを言ってしまっては、後に矛盾が生じてしまう。


「……ねぇ、小夜子! まさか外行こうとしてんの!?」

 上着は教室だよー、と嘆く親友の声を背中が拾う。

「上着なんて私が貸してあげるから……!」

「な、何でそんな必死になってんの!?」

次回更新は土日です。

よろしくお願いいたします。

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