第十四章:なくすもの ―如月・中旬― 其の弐十五
どうしたものかと俯いて、目が泳ぐ。そうすると自然、橘の左手の紙袋が視界に入った。
色とりどりの包装紙。筆記体で記されているのは、どれも有名な高級チョコレートメーカーだ。誰もが一度は目にしたことのあるだろうそれらに、思わず目が見張る。
「橘さん……こ、これまさか、全部今日もらったん……ですか?」
「え」
途端、しまったという顔の橘。陰に隠そうとするも、とっくのとうに手遅れだ。
「さすが……女性にモテモテなんですね。橘さん、すごいです!」
「いや、その、だな」
素直にそう思って口にしたのに、不思議と彼はあまり嬉しそうではない。ばつが悪そうに口ごもって、何か言いたげだ。
十数年生きてきて、片手で数えられる程度にしか味わったことのないチョコレートが目の前に。大きな紙袋いっぱいに詰め込まれ、愛情の塊と化している。小夜子にとっては実に羨ましくもあるが、見ているだけでもお腹いっぱい、口の中が甘く感じられてしまう。
そして次第には溢れてくる。申し訳ない気持ちが、じわじわと。
「ごめんなさい。こんなにたくさんの人から貰ってるのに、お渡ししちゃって。ご迷惑でしたね……」
「やっぱりそういう風に考えちゃうんだな君は……!」
だいたい毎年のことなんだからいいんだ、とか。
そもそもチョコレートは苦手だからマフィンの方が嬉しいんだ、とか。
念のため言っておくと、別に君のマフィンだから嬉しいわけじゃないんだからな、とか。
橘が必死に支離滅裂なことを言の葉に乗せてはいるが。
それを耳にしている一方で――相槌を打つ一方で――小夜子は全く別のことで頭がいっぱいになっていた。
勘違いか、そうだろうか?
数々のチョコレートの、一番上に鎮座している――明らかに手作りであろう――水色のラッピング袋に、白いリボン。
あれはたしか、静音のものではなかったか?
余ったから純にも分けてあげて、と彼女が芽衣に手渡した時――同じラッピングをしてはいなかったか、と。
そこまで考えて、ふと思い直す。
市販のありふれたラッピング袋に、何の変哲もない白いリボンだ。たったそれだけで静音から贈られたものだと断定するだなんて、我ながらどうかしている、と。
「……もうこんな時間か。遅くに届けさせてしまって、悪かったな」
腕時計を確認しながら、そう呟く橘。
今度も、ちゃんと相槌を打てていただろうか――遠い思考の中、疑問符は走る。
「それにしても別々に届けに来なくても……今朝、静音に任せるなりしてもよかったんじゃないか?」
「……え?」
ぴたり、思考停止。
それでも疑問符だけはずるずると、歩みを止めようとはしない。
「え……と。朝、静音ちゃんが来てたんですか、ここに?」
「ああ。わざわざ一限の自習をサボったみたいでな。知らなかったか?」
「いえ、知ってましたけど……。あ、あれ?」
何の得があろうか、橘が嘘を吐くはずもない。
「今朝、静音が市役所まで来ていた」と彼が言うのならば、彼女はここに来たのだろう。
けれど。
そんなはずはない、そんなはずはないのだ。
本当に彼女が、橘に会いに行ったのなら――
「赤いリボン……何で教室にあったの……?」
たしかに小夜子は教室で目にしたのだ、赤いリボンを。
ちゃんとおまじないを実行しているんだね、と言ったら。
告白する気も無いくせにね、と……彼女は弱々しくも笑っていたではないか。
「おまじないの赤いリボンは……橘さんじゃなかった……?」
ぶつぶつ呟き始めた小夜子と、不思議そうにそれをただひたすら聞いている橘。いや、口を挟むことができないのだ。小夜子の言が、何を意味しているかを彼なりに悟ろうとして。
そんな健気な彼の努力の傍ら、小夜子は思考の海へと浸っていく。
――……そもそも私は、どうして……思ったんだっけ? 静音ちゃんが橘さんを好きって。
誰かがそう言っていた? 否。
静音本人から言われた? 否。
回顧する。
きっかけはたしか、そう……文化祭の時だった、と。
好きな人が劇を観に来るのだと言った、強張った面持ち。
それから。
橘の存在を認めるのと時を同じくして――珍しくも、頬を赤らめたのだ。いつも人前でも威風堂々と振る舞い胸を張る彼女が。
それを見て小夜子は思ったのだった。
静音が想いを寄せる相手は、橘であると。そう、勝手にそう思い込んでいただけだ。
「違、う……?」
思い出せと、疑問符は走る。ドクドクと。
止めておけと、心は逸る。ドクドクと。
そう、大きな窓から漏れる陽気。夏の暑さを忘れた、心地の良い澄んだ空気。あちらこちらから響く、響き合う、賑やかな声。
人、人、人で溢れた廊下に。
……そうだ、あの場には――小夜子と、静音と、橘。
それだけではなくて……もう一人、いたではないか。
「……桐谷、先輩……?」




