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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十四章:なくすもの ―如月・中旬― 其の弐十弐

 敷地内に入ってみると、小夜子には具体的な名前もわからない、とにかく工事現場に使われるのであろう起重機が並列されていた。

 中にはかつて、『心屋』の屋根に刃を差し込まんとしたものまで。


 ――……よくよく考えると、お店を立ち退きさせようとしていた人なんだよなぁ、桐谷先輩って。


 もちろん、彼自身がその発案者ではなかったのだが。とはいえ、そんな相手とバレンタインデーにお菓子のやり取りをするようになるだなんて、と。奇縁、の二文字が頭をどうにも掠めてしまう。


 すると、鴬色の作業着を身に纏う男性が一人。ダンプカーの傍ら、珍しい物を見るかのような目で。

「すんません、どちら様です?」

 ぶっきらぼうな、それでいて律儀な口吻だ。

「あ。こ、こんにちは。えーっと、桐谷せんぱ……桐谷さんはいますか?」

「桐谷……。社長? それとも若?」

「わ、ワカ?」

 聞き慣れない単語。思わず、鸚鵡返し。


「社長はもう帰ってるだろうから……まあ、たぶん若の方っしょ。たぶん、この先の小屋にいると思います」

 指を差されたのは起重機の列の先。あまり灯りも多くはないが、迷うこともないだろう。

「あ、ありがとうございました!」

「ノックはしてあげてくださいね~」

 ふらふら、のんびり、と。工具を抱えて彼は建物の中へと入っていった。


 先の彼の言うとおり、起重機をなぞるように歩を進めれば小屋の屋根が見えてくる。近づくほどに、所々錆びているようにも見えるが、反対にどこか新品らしくも見えるのは気のせいか。作られたのはまだ最近、使用した木材が古かったのか。


 トントン、トントン、と。小さなノックの音が小さく反響する。

「き、桐谷せんぱーい。こんばんは、です。小夜子ですー!」

 中からはテレビの音がする。人がいるのは明らかだ。そして返ってきたのは、明らかに彼の声だった。

「……小夜子さん、あなたのあだ名はなんですか……?」

 ……同時に、唐突にして実に彼らしい問いだった。


「あ、あだ名……ですか!? えーっと。さ、『さよ』……」

「ぶー。不正解。本人認証不可。ここを開けることはできません……。それと、声が小さすぎてもダメです」

「えぇ……!?」


 明らかに、扉の向こうにいるのは桐谷だ。ということは、だ。彼が付けたあだ名、といえば。


「……さ……」


 恥ずかしい。呼ばれるのはさすがに慣れていても。自ら名乗るのは、実に恥ずかしい。それも大声で、なんて。


「さ……『さよさよ』、です……!」

「はい、せいかーい」

 勢いよく開かれる扉。現れたのは相変わらずの無表情。垂れがちな褐色の瞳。見紛うことなく、目の前にいるのは桐谷由良その人である。


 ほっとした、けれども同時に、小さな怒りが燻り始めるのは自然なことだった。

「もう……なんでそんな意地悪するんですか……?」

「いや……。さよさよってなんか、いじめたくなるんだよね……良い意味で」

「誉めてないですよね、それ!?」


 まあ、そう怒んないで。そう言いたいのだろう。闘牛を鎮めるかのようにどうどう、と手で制すと、桐谷はそのまま小屋の中へと小夜子を誘っていった。


 お世辞にも片付いているとは言えない空間だった。まず目につくのは、明らかに人為的に裂かれた革製のソファ。先程からその存在を主張していたテレビの傍らには、以前まで使われていたのであろう画面の割られたテレビが鎮座している。積まれた漫画雑誌に、こんもりと山が出来上がったゴミ箱。奏一郎の部屋のような殺風景さも、橘の部屋のような整然さもそこにはなかった。


 なんと言おうか。世間でもよく言われてはいるが――


「部屋ってさ、その人の性格が出るよね……」

「すごい。まったく同じ事を考えてました」


 促されるまま、綿の見え隠れするソファに腰かける。向かいのソファに深く座って、伸びをする桐谷。

「んー、と。今日はどのようなご用件で……?」

「あ、いえ。大した用事じゃないんです。ただ、これをお届けしたかっただけで」


 鞄の中からいそいそと、黄緑色のリボンでまとめたマフィンを取り出す。受け取るやいなや袋の中身を確認し、沈思黙考。やがて、一言。


「……マフィンだ……やったー。ありがとう、さよさよ。でも、何でわざわざ俺に……?」

 頬をふわりと緩める彼。普段が無表情なせいだろうか、ちょっとした表情の変化も可愛いと思えてしまうのは。


「何でって、今日はバレンタインデーですから。桐谷先輩には日頃たくさんお世話になっているので、感謝チョコですよ!」

 より正確に言えば、袋の中身はチョコレートではないのだが。義理チョコ、よりはずっと聞こえがいい。


 小夜子の台詞に、ぽかんと開く口。

「そっか。今日ってバレンタインデーだったのか……忘れてた」

「え……。桐谷先輩が誰よりも楽しみにしていそうな行事なのに……?」

「うん……」


 ちょっと最近忙しくてね、と笑う。

 今度の笑みは、少しだけ力なく。頼りなく。疲れている、ように小夜子には見えた。


 お見合い話のせい、なのだろうか。そう思っても、どこまで首を突っ込んでいいものやら小夜子にはわからない。


「そうですよね。社員の方に道案内をされた時も、桐谷先輩のこと『若』って言ってましたし……次期社長、ですもんね。お忙しいですよね」


 恐らく、先の社員の口にしていた「若」とは「若社長」を指すのだろう。


「気が早いよね……まだ就任してもいないのに。俺としては、あと十年は自由に遊んでいたかったのに……」


 桐谷はそうぼやくけれど、小夜子はふと奏一郎の言葉を思い出していた。


 寒空の下、何の変哲もない夜空を見上げたその横顔も。


 ――「相手の名前を呼ぶということは、つまり……相手の存在を認める、ということだからね」――


 正確には名前ではない、けれども。

 本人がいないところでも「若」と呼ばれているのならば、きっと桐谷は次期社長として社員からも認められている、ということなのだろう。


「……見合いの日取りも会場も着々と進んできてるしさぁ。バックレたい。バックレたいの極み……」

「あ、ええっと。橘さんから聞きましたよ、取引先の社長のお嬢さんって」

「……きっちりスーツ着て、会話のキャッチボール。相手の機嫌を損なうことなく。噴水の見える庭で優雅に散歩しながらエスコート、とか。ほんっと無理。無理の極み……」


 まるで小夜子が隣にいないかのように、ぶつぶつと呟き項垂れ始めた。折った膝に頭を擦り付けている――ここまで落ち込む彼を見たのは初めてだ。


「そ、そんな見るからに落ち込まないでください。静音ちゃんも後でここに来るって言ってました……桐谷先輩がそんなじゃ、心配させちゃいますよ?」

「……静音、が?」


 声のトーンが、変わった。

 それはもう、驚くくらいに変わった。


 まるで……今の今まで、彼女の存在をすっぽり忘れていたかのように。


「あれ? 静音ちゃんから、聞いてなかったんですか?」

「……何も言われてない」

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