第十四章:なくすもの ―如月・中旬― 其の弐十壱
「そういえば静音ちゃん、ずっと聞きたかったんだけど。桐谷先輩の会社ってどこにあるの? マフィン作ったはいいけど、場所がわからなくて……」
「あー、そっか。そうだよね! んーと、口じゃちょっと説明しづらいかな。道が入り組んでるから……」
手慣れている、とばかりにメモ帳を取り出すと、さらさらとペンを走らせている。青葉商店街を抜けて、南へ数百メートル。五つ目の信号を右折、すぐに左折。二つ目のブロックをぐるりと回ると会社の門が見える、らしい。
「結構遠いんだねぇ……」
「徒歩だとねぇ。地図は一応書いておいたけど、駅からバスが出てるからそっちを利用した方がいいかも。小夜子、道に迷いそうだし」
くくく、と悪戯っぽく笑う静音。
まさか、ばれているのではないか。
静音の家から帰路に就く際に、思いっきり迷っていたことを。その後、橘に助けて――より正確には、保護して――もらい、事なきを得たのだということを。
後ろめたいことは何もしていないはず。それなのに、静音に悪いような気がしてしまう。
見れば彼女の机の傍らには、赤いリボンでラッピングされたガトーショコラが眠っている。小夜子は思う。きっとそう、これは――橘へ贈られるものだ、と。
「……静音ちゃん、ちゃんと占い実行してるんだね」
小夜子の視線に気づいたのか、ああ、と嘆息を漏らし。力なく笑みをこぼす。
「告白する気もないくせにねー。こういう所だけ、気合い入っちゃってさぁ」
「……告白、しないの? どうして?」
同じ問いを以前、彼女からされたのだ。奏一郎に告白はしないのか、と。好きなんでしょ、と。
己の気持ちにまっすぐで、「好き」という感情がはっきりとしている彼女が。
なぜ、己の気持ちを伝えないのか。
小夜子には、知る由もなかった。
自習時間を告げる鐘の音は、静音の台詞を掻き消して。小夜子の耳には届かない。
「……ごめん、言えないや」
その分、じわりじわり、と。
教室の誰のどの笑顔とも違う、静音の作ったような笑みが――視界に強く、強く焼き付いた。
* * *
本来ならば、静音と一緒に来られたらなお良かったのだろう。たまたま日直の仕事が残っているとかで、彼女はそのまま教室に居残り。そういうわけで小夜子は独り、バスに揺られている。
日はとうに落ち、窓を眺めても何の面白みもない。わざわざこの時間帯から市役所を訪れる者も少ないのだろう、車内も空席が目立つ。
一人でバスに乗るのは久しぶりだ。ほんの少しだけそわそわしてしまうのは、緊張感を覚えてしまうのは何故なのか、小夜子にはわからなかった。初めて赴く場所で、本当に桐谷に会えるのかどうかわからないから、か。
子猫を引き取ってくれたり。入院した時には毎日お見舞いに来てくれた。そういえばお正月には、クレープまでごちそうしてくれたっけ。恋愛相談にまで乗ってくれた。
いつもお世話になっている彼に、少しでも感謝の気持ちが伝われば。
「早く着かないかなぁ……」
ぽつり、吐息と共に。誰の耳にも届かないそれは、窓をほんの少しだけ白く染め上げて――再び、闇色に溶かされた。
* * *
言われていた通りの停留所、何の目印もない住宅街に足を降ろす。小夜子以外は誰も降りてこなかったので、バスが出発してしまえば自然と訪れる、静寂。手渡されていた地図によれば、そう目的地から離れてはいなかった。
数ブロック先の、まだ明かりの点された大きな建物。
急ぎ足で向かってみれば、やはり。『桐谷建設』の看板がお出迎えだ。
「よかった~……。無事にたどり着いて」
また迷ってしまったらどうしようか、と思ったが。ひとまずは順調そのもの、だ。




