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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十四章:なくすもの ―如月・中旬― 其の十九

 ああ、そうだった。この子もまた、恋をしているのだった。それも、結ばれることのないだろう相手への片想いだ。


 お見合いの話題の時でさえ、彼の口からたったの一言も、名を触れられなかったというのに。それでも彼女の想いは純粋に、まっすぐだ。


 ふと、静音に同情してしまう。

 「結ばれることのない片想い」には、身に覚えがありすぎるから。


 鞄を漁る彼女。取り出したのは水色の巾着に、白のリボンでラッピングされた――

「シフォンケーキだよー。他のみんなはガトーショコラだけど。チョコレート苦手なの、覚えてたからね」

「……そうか、ありがとうな」

 橘の言葉ににっこりと笑みを浮かべ、静音はくるりと踵を返す。

「じゃ、私はもう行くね~」

「裏口から出た方が、学校に近いぞ」

「このまま奏一郎さんにも届けに行っちゃおうと思ってさ。時短時短! 今しかない、貴重な青春の有効活用!」


 気持ちよい語呂でそう返し、少しだけ伸びた黒髪を揺らめかせ。静音は姿を消した。その足取りは軽かった。まるで春の草原を跳ねる兎のよう。


「……橘さん、今の女の子誰ですかぁ?」

 またしても、だ。背中に冷や汗が伝う。

 気配を消すことに長けているのか。瀬能が背後にぴたりと張り付いていた。先程と違うのは、声のトーンがいつもより低いことくらいか。


「もしかして、彼女さんだったりします……?」

「いや、友人の妹だ。昔からの知り合いでな」

 嘘は吐いていない。ありのままの事実だ。瀬能もその言葉を信じてくれたらしい、安心したようにゆるりと頬を緩ませている。


「そうですよねぇ! 十も離れた女子高生のことが好きとかだったら、いくら橘さんでもドン引きしちゃいますよ~!」

「え」

 口を挟む、隙などなかった。挟める口など、橘にはなかった。


「制服が好きなのかな~、とか。セーラー服が好きなのかな~、とか。いつまでも若い()を追いかけたいのかな~、とか。もしくはロリコンなのかな~!? とか、世間は思っちゃいますもんね」

「……ま、まあ、そう……だよな……。はは……」


 絞り出すように力なく、笑いながら。ああ、やはり。静音に同情してしまう。


 世間的には認められないのだ、純粋なれども、我らのこの片想いは。


* * *


「……今日の空に名を付けるならば、『悲喜こもごも』といったところだね」


 心屋の店先に佇む奏一郎へと駆け寄って。やがてはその碧眼と視線がかち合う。ふっと微笑んだかと思うやいなや、挨拶代わりとばかりに彼はそう呟いたのだった。


 静音が予想していた第一声とは、あまりにもかけ離れていた。『おはよう』でも『学校はどうしたの?』でもなく。静音が訪れたことへの驚きなど、微塵も無かった。まるで此処へ来ることが約束されていたみたいだ。彼には、わかっていたみたいだ。


「悲喜こもごも?」

 鸚鵡返しにそう問うと、さらに目尻を下げる彼。

「喜びも、悲しみも。今日はいつもよりも色が濃そうだな、と。そう思ったのさ」


 彼に倣うようにして、静音も目線を上向けるけれども。青い空に、白い雲。何らいつもと変わりない、ごく当たり前の色合いがそこには在った。

 自分とは違う色が見えているのか、それとも自分とは違って“何か”が見えているのか……とも思うけれど、それすらも「面白い」と思ってしまえるのが静音だった。


「あはは。相っ変わらず奏一郎さんってばよくわかんないですねっ」

「そうかなぁ。僕には君たちの方が、よっぽどよくわからないんだけどなぁ」

 そう言い合うと、顔を見合わせて微笑む二人。


 静音としては、さらりとガトーショコラを渡して退散するつもりだったのだが。何故だか『心屋』に来ると、奏一郎と話していると、時間の経過を忘れてしまう。まるで時が止まっているかのような。ここだけ、時間の流れるスピードが違うような。


 消え失せた焦燥感と、逸る気持ち。「落ち着く」というのはこういうことを言うのだな、と静音は思う。

 ここはそう、とても落ち着く場所だ。「ここ」が『心屋』を指すのか、奏一郎を指すのかははっきりとはわからないが。


「さて。せっかくだし、お茶でもいかがかな?」

「え!? いやいや、さすがにそこまでのゆとりはありません!」

 冗談っぽく誘ってきた奏一郎。やはりわかっているようだ。静音が授業を抜け出して来ていることを。橘とは異なり決して咎めないあたり、実に彼らしい。


「バレンタインデーなので、ガトーショコラをお届けに来たんですよー」

「ばれんたいんでい……?」

 白いラッピング袋に、水色のリボン。ふんわりと包まれたそれを受け取ると、

「ばれんたいんでい……」

 まるで初めて聞きました、とでも言わんばかりの復唱だ。心なしか表情もきょとんとしている、ような。


 いやいやまさか、このご時世においてバレンタインデーを知らないわけが――

「てやんでい、みたいなものかい?」

「嘘でしょ!? 本気で言ってます!?」

 ……どうやら彼に限っては、それも有り得ることらしい。


「ああ、たしかスーパーへ買い物に行った時に見かけたなぁ。『大好きなあの人へ気持ちを込めて、チョコレートを贈ろう!』とかなんとか書かれた看板……。もしかしてそれかな?」

「わぁ~、よかった! そうです、それです!」

「そうか、なるほど……。それでわざわざ届けに来てくれたんだな。ありがとう」

「いえいえ!」


 興味深そうにガトーショコラを見つめる彼。心なしか、その目がふっと緩んだ、ような。


 静音ははっと思い立ち、やっと時計を確認する。もう少しで一限も終わりだ。

 踵を返す。あとはもう、別れの挨拶を口にするだけ。

「それじゃ、また……」

 遊びに来ますね、と。そう口にするだけだ。それなのに。


「ねぇ」

 奏一郎の言葉には、自然と足を止めてしまう。地面に縫い付けられたみたいに。ただの呼び掛けのはずなのに、何故。

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