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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十四章:なくすもの ―如月・中旬― 其の十八

「……相手の存在を、認める? ……って、どういうことですか?」


 言葉通りの意味だけれど、と言いかけて、奏一郎は表情を緩めた。

「きっとさよも、近い内にわかる時が来るよ」


 それだけ言い残し、再び顔を上向ける彼。傍らに小夜子がいるのにも関わらず、とうに意識は夜空へ向けられている。恐らくまた一人、思案の世界へ飛び立っているところなのだろう。


 考え事をしていたというその内容もたいへん気になるが、それ以上に。彼にとって名前を呼ぶというのは「相手を認めている」ということなのか、と。

 たしかに静音や、敵対視されている芽衣の名前さえも彼は「ちゃん」を付けて口にするが。桐谷にも、「くん」を付けて口にするが。


 それでは自分はどうだ、と小夜子は眉を八の字にする。彼は「さよ」と呼んでくれはするが、それはあだ名のようなもの。名前で呼ばれているとは厳密には言いがたい。


 ――もしかしたら私はまだ、奏一郎さんに認められていないのかもしれない……?


 彼の言う「認める」ということ――それが何を意味しているのかわからないのに、それでもほんの少しの寂しさを覚えてしまう。


 いや、たしかもう一人。

 彼に名前で呼ばれたことのない、それどころか妙なあだ名を付けられた人がいたなぁ、と。


 漏れる笑み。自然と口から吐き出されたそれは、小夜子の心をふっと軽くした。ほんの少し、だけだったけれど。


* * *


 翌朝、バレンタインデー当日。


「橘さん、今年もすごいですねぇ~」


 出勤して間もなく、すれ違った同僚たちに「おはようございます」よりも先に言われるこの一言。


 橘――奏一郎に妙なあだ名を付けられた男――のデスクの上には、既にラッピングされたお菓子たちの山々が出来上がっていた。


 椅子に腰かければ、お菓子の山の頂きと目線がちょうど同じくらいになる。瞬間、ラッピングがいくら厳重に施されていようとも、微かな隙間から漏れ出てしまうのか……甘い香りがぷんと漂う。


「他の課の女の子からもたーくさん来てますね~」

 焦げ茶の髪は、今日もくるくると巻かれている。年下の女性職員・瀬能 桃はなにやら得意気な笑みを浮かべながら、いつの間にか橘の背後に立っていた。そして本日は、いつもより三割増で声のトーンが高い。


「でもでも! 安心してくださいね~、チョコレートは一つも紛れていないはずですから!」

 なぜそんなことがわかる、と。表情が物語っていたらしい。何も言わずとも、彼女は鼻高々に続けた。

「なんと! 橘さんがチョコレートが苦手だってことは、事前にこの瀬能が女性職員に浸透させておいたんですよ~!」

「……おい、ちょっと待て? なんで君がそれを知ってる」


 チョコレートが苦手だなんて……いや、事実ではあるのだが。橘は瀬能にはもちろん、誰にも伝えていなかったはずなのだ。これまでも受け取ったチョコレートは捨てずに我慢しながら食べてきたのだから、誰も知っているはずがない。それなのに、なぜ。

 自然、背中に冷や汗が伝う。


「橘さんの情報はファンの女の子みーんな欲しがってますからね~、共有財産です。自然と耳に入りますよぉ。高校時代はモテまくりのチョコレート貰いまくり。食べ過ぎで苦手になったってことまで、たぶんみーんな知ってますよ?」

 女性の連携は時として恐ろしいと聞く。もはや橘は二の句が継げない。なぜ己の預かり知らぬところで、そんな個人情報を流布されなければいけないのだ。


「親切に応対してくれたから、なーんて言って、去年は市民の方も渡しに来てくれましたもんねえ。さすがに私たちもチョコレートの件、市民の方には伝えようがないですから……橘さん、今年もファイトですよ~」


 ああ、そうだった、と橘は頭を抱えた。職員以外からも来るのだった、チョコレート攻撃は。たしか去年は、最初に応対した女性から早速チョコレートをいただいたのだ。

 時計を見てみれば、間もなく応対の時間が始まる。まさか来るのか、今年も来るのか。


恭兄(きょうにぃ)――!」


 嫌な予感に囚われかけた橘を救ったのは、透き通ったような澄んだ声だった。

 楽しそうにはためかせるのは艶めいた黒髪。頬を紅潮させつつ、ぶんぶんと手を振りながらこちらに向かって走ってきたのは――静音だ。

「静音……どうした? 何かあったのか?」

「バレンタインデーのお届けにまいりました~」

 にへら、と呑気に笑う静音。

 何か緊急事態かと思ったものだが、あっという間に杞憂に終わる。


 そして、ふと生まれる疑問。なぜ学校にいるはずの彼女がここにいるのか、と。

「静音、学校はどうした? まさかとは思うが……サボりか?」

「違うよー、そんなことしません! 一限が自習になってさぁ。先生の見張りもないし、こんなチャンスも滅多にないし。抜け出してきたんだー」

「結局サボりじゃないのか……?」


 そう問うと、先程まで紅潮させていた頬を今度はぷく、と膨らませる静音。しっかり者ではあるが、こういうところが少し子供っぽいなと橘は思う。

「もう! せっかく届けに来てあげたのに、固いことばっか言わないのー!」

「いや、それはもちろんありがたいが。別に渡すのは放課後でもよかったんじゃ……」

「それじゃだめなの! 日直だから遅くなるし、だから、これは時短テクニックで……っ」


 女性というのは、バレンタインデーになると気分が高揚する生き物なのだろうか。先程の瀬能といい、目の前の静音といい。あまりにも浮かれすぎだ、と言葉にしないまでも、小さな溜め息を吐いてしまう。


 ――ああ、だけど、そうでもないのか。


 静音の頬が再び赤らむ。まるで何かを思い出したかのように。誰かを、想い描いたように――。


「……お兄ちゃんの所に持っていくのが、遅くなっちゃうから……」


 先程までの、溌剌とした口調や雰囲気は何処へ行ってしまったのか。

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