第十四章:なくすもの ー睦月・下旬ー 其の七
先頭を歩く橘の背中を、追うようにして小夜子は歩く。その距離、人二人分。
あのお正月の一件からそこまで日数は経っていない。けれども、
――そんな君だから、見守っていけたらと思ったんだけどな――
あの、諦観の色にさらされた言葉……今でも、耳に残っている。
結局、あの言葉の意味は考えても考えても小夜子にはわからなかった。橘が、彼女にわかるようにこの言葉を発したとも限らないが。……本人すらも意図せぬ独白、という可能性も。
「……君は」
いつの間にか流れていた沈黙。それを破ったのはやはり橘だ。また、彼に気を遣わせてしまった。
「は、はい」
ほんのすこし、早歩き。人、一人分。橘の傍ら。
「さっきまであそこで何をしていたんだ? あの辺りは住宅街しか無いだろう」
「あ……えっと、もうすぐで期末試験があるので、静音ちゃん家で勉強会を!」
正確には、ほとんどお菓子作りで埋め尽くされたようなものだったが。なんとなく、「バレンタインに向けてお菓子作りの練習をしてました」とは言い辛い。なぜか、特に、橘には。
「なるほどな。たしかに静音の家はこの辺りだったな」
得心がいった、とばかりに頷く彼。そんな彼に、褐色の瞳はぱちくり、と瞬く。
「……橘さん、静音ちゃんのお家知ってるんですか?」
「昔、桐谷が場所を教えてくれたことがあった。さすがに行ったことはないが」
「そう、なんですか……」
質問をしておきながら、相手に答えさせておきながら、失礼なことなのかもしれないが。小夜子の心はここに非ず、だった。
そう、まだ静音の家は目と鼻の先。
もしも彼女が今、自分と橘とが二人で歩いているこの場面を見たら、どう思うのだろうと思うと心臓がざわめいて落ち着かないのだ。
無論、橘に対して特別な感情を抱いているわけではないけれども。静音――親友――を裏切っているような気分になる。橘が過去に、それこそ「特別な感情」を自分に向けているような言動をしてきたのだから、尚更。
……ならば、橘の気持ちは?
小夜子への気持ち、ではなく。
「あ、の……」
途切れた会話を、再開させたのは小夜子だ。
「橘さんは……」
聞いてどうなる? 聞いてどうする?
脳内に疑問符が走り回るけれど、それを止める術を小夜子は知らない。
「静音ちゃんのこと、どう思ってるんですか?」
一度放たれた言葉は、決して取り戻せはしない。案の定、だ。きょとんとした黒の瞳が、こちらを凝視している。
「どうって、『桐谷の妹』としか」
当然、と言った調子だ。まるでそれ以外の回答は持ち合わせていない、とでも言いたげな。
「そ、そういうことではなくて。……上手く言えないんですけど」
聞いてどうなる。聞いてどうする。
それを聞いて、何がしたいのだ、自分は?
眉を顰め始める橘。当然と言えばそうだ。問うた本人ですらも、この問いに何を求めているのかわかっていないのだから。それでも橘は、真剣に応えてくれる。じっくりと、時間をかけて。
「……そうだな、考えたこともなかったが。淑やかじゃないのは確かだが、よく笑うし、気も利く。其処にいるだけでも場をぱっと明るくさせることのできる子だな」
「は、はぁ。そう、ですね」
たしかにそうなのだが。聞きたかったのは、そういうことではない。一般論などではなくて。橘が静音を「女の子として」どう思うか、ということだったのだが。
さすがの橘でも、小夜子の思惑を読み取ることは難しかったらしい。
「で、なんでそんなことを訊くんだ?」
「え、えーっと、ですね……!?」
少し考えればわかることだ。質問の意図を問われる可能性が、0ではないということに。




