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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十四章:なくすもの ―睦月・下旬― 其の壱

 何も、聴こえない。

 無音の世界。

 

 そこに身を投じて、ふわりふわりと漂って――どれくらいの時間が経った頃だろう。

 気まぐれに、(おもむろ)に。小夜子は閉じていた瞼をゆっくりと開くことにした……そうして、次の瞬間には。

 ここは、一体どこなのだろうか。どうして自分はこんな所にいるのだろうか、と褐色の瞳を瞬かせる。


 目の前には、木材で組み込まれた古い格子の扉――否、牢、だろうか。


 反射的に一度、二度。三度、四度と叩いてみるも、堅牢なそれはびくともしない……だけでなく。叩いた掌の感触はおろか、耳に届くはずのその音も、何一つ響きはしない。

 格子のさらにその奥に、視線を向けようと試みるも――ただ、真っ暗な闇を四角く縁取っているだけである。


 刹那。背中に嫌な汗が伝う。

 そう、小夜子は理解したのだ。

 真っ黒、ではないのだと。真っ暗、なのだと。

 たった一つ、ただ一筋の光さえここには無いのだと。


 格子の隙間は拳一つ分だ。手首、肘を通して、二の腕を掠って――肩で通せんぼをされる。自由に身動きすることすらできない。


 一体どういうことなのか?

 ここはどこで、自分はどうしてこんな所に一人で閉じ込められているのだろうか。


 焦燥感が募る。息が詰まる。呼吸が、乱れる。

 ここへは初めて来たはずなのに。どうしてだろう、「初めて」という気がしないのは。

 どうしてだろう、この空間を、途轍もなく「怖い」と思えてしまうのは。


 誰か助けて、と。思わず呟く。けれども、それが声になることはなかった。小夜子の耳にも届くことなく――霧散していくようだった。まるで、格子の奥でただ静かに鎮座している常闇に、飲み込まれていくようだった。


 その時だった。常闇の、その中から。およそこの闇色に溶け込むことの無いであろう、“彼”が現れたのは。


 こちらに気付いているのだろう、真っ直ぐに彼は小夜子の元へと歩みを進めている。やがて二人の距離は、格子を挟んでではあるけれども、目の前に佇むまでに近付いた。白い髪が、碧い瞳が、彼の肌が、表情が、所々四角く切り取られている。

 小夜子は、咄嗟に手を伸ばした。


 ――お願いです、奏一郎さん。ここから……!


 「出してください」と、言葉を紡ぎたかった。それなのに、やはりそれは声にならなくて。叫んでも、それでも、不可能で。


 しかし、彼の耳にはちゃんと届いていたらしい。


「駄目だよ」


 返ってきたのは、拒絶の言葉。


「ここからは……」


 落ちていく。格子から、引き離されるように、落ちていく。小夜子にはわからなかった。床なんて無かったはずなのに、どうして足場を崩せたのか。己の背中、落ちていく先には、何が待っているのか。一瞬だけ垣間見えた彼の目に、どうしてあんなにも生気が無かったのか。

 わからないことだらけで、理解が追いつかないことばかりで――これまた、気まぐれに、(おもむろ)に。小夜子は再び瞼を閉じる。


 ……ああそういえば、彼は最後に、何と口にしていたっけ。


 たしか……たしか、こう言ったのではなかったか。


「絶対に、逃げられないよ」

 と。


* * *


 けたたましい携帯電話のアラーム音。

 それを止めるべく毛布から腕を突き出せば、冷たい空気に肌が晒されたせいで一気に目が覚めてしまう。騒音を鎮めると、小夜子はむくりと体を起こし額を押さえた。


 ――……また……?


 ここ最近、毎晩のように同じ夢を見る。

 暗闇の中、たった一人でいる自分。目の前には格子。身動きすることも、声を上げることもできず、孤独を、闇を、ただ享受するだけの夢。


「……奏一郎さんが出てくるってところだけは、“良い夢”なんだけどなぁ」

 小さく、とても小さく呟く。口にしてみたくなった、だけだ。安心したかった、だけだ。


* * *


 ルームウェアに着替えてから階段を降りると、まだ陽が昇って間も無い頃だろうに、お味噌汁の香りが立ち込めている。奏一郎が朝食を作ってくれているらしい。小夜子の姿を見るや、彼はきょとんとした顔をする。その表情は子供のようなあどけなさをまとっていて……先程の夢のせいだろうか、ほっと胸を撫で下ろしてしまう。


「さよ、どうしたの?」

「へ?」

「顔色が悪いみたいだから。……どこか体調でも悪いのか?」

 鍋を温めていた火を止めると、奏一郎は眉を八の字にし始めた。


「昨夜は冷えたものな、熱は無いか?」

 それだけ問うと、まるでそれが当たり前かのように額に触れてくる。不意打ち、さらに寝起きということも相俟って、反応が遅れた。その冷たい感触を享受してしまう。


 心配そうに揺れる碧眼。それが、すぐ目の前にある。その乾いた爽やかな空色に、思わず吸い込まれてしまいそうだーーけれども、寝起きの顔を、至近距離で見られるというのは苦痛に等しい。


「……うん、熱は無さそうだね」

 事も無げに、どこか安心したように、ぽつりと言葉を落とすから。彼は綺麗に笑うから。

「か、顔を洗ってシャンとしてきます!」

「はい、行ってらっしゃい」


* * *


 身支度を整えると、朝食の準備に小夜子も参加する。奏一郎に教えてもらった玉子焼きの作り方も、完成品が不格好ではあれども、彼の味に近づけることはできている、はずだ。

 かつて、『心屋』に初めて来た頃と比べたら、目覚ましい成長ぶりだと思うのだがーー奏一郎から下されたのは、

「さよも、料理中はドジを踏まなくなってきたね」

 優しいような、意地悪なようなそんな評価。暗にまだまだだ、と言われているようだった。いつか「美味しい」と言わせてやる、と闘志を燃やすきっかけにもなったのだけれども。


 朝食は焼き鮭、ほうれん草のお浸しと、昨夜の残り物の煮物だった。里芋がほくほくと煮込まれていて、ゆっくり食べないと口の中が火傷してしまえそうだ。


「さよ、今日はどこかお出掛けするのか?」

「え?」

 彼の突然の問いにギクリ、と背中が強張る。


 そう、今日は土曜日。当然ながら登校日ではない。けれどもそう、彼の言うとおり、小夜子には「お出掛け」があるのだ。


「はい、そうなんです。もうすぐで学期末テストなので、静音ちゃんのお家で勉強会をしてきます……」

 嘘は言っていないはずだ。本当のことも、すべては言っていないけれども。

「そうか。それじゃ、お土産に南瓜でも持っていくか?」

「南瓜?」

「榎本さんが実家から送られてきたからって、二つ分けてくれたんだ。一つ持っていくといいよ」


 お土産に南瓜を持っていくのは、もしかしたら珍しいことなのかもしれないが。静音ならば、喜んで受け取りそうな気もする。

「甘すぎるものは苦手だって言ってましたけど、南瓜プリンは食べてましたし……。きっと喜んでくれると思います。ありがとうございます」

 そう告げれば、彼はにこりと笑って一言だけこぼすのだった。

「がんばっておいでね」


* * *


 玄関先に腰かけて、ショートブーツに足を通す。雪はほとんど溶けているので、足元もさして寒くは無いだろう。


 立ち上がろうとした時だ。ニャァ、という甘い声が小夜子の動きを止める。背中に大きな茶の斑のある子猫だった。

「フチタロー、行ってくるね」

 フチタローと呼ばれた子猫は、首を撫でてやると満足げにきゅーっと目を細めた。


「フチタローも大きくなったねぇ」

 生まれた頃と比べると、やはり成長している子猫たち。生後5ヶ月近くともなると、やはり足の長さも徐々にしっかりしてくる。


「さよ。フチタローって?」

 見送りに来てくれた奏一郎。小夜子が子猫を「フチタロー」と呼んだのを、何とも言えない表情で見つめている。

「この子、背中に大きな斑があるじゃないですか。だからその、名付けてしまったのです。愛着が湧いてしまうので、止めた方がいいかなとは思ったんですけど」

「……ふーん……」


 やはり、名前を付けるのは不味かったのだろうか。天井を見上げる奏一郎。何か考え事をするときの、彼の癖。


「や、やはり止めた方がいい……ですよね」

「ああ、いや。それは別に、さよの自由だと思うけど」

 考えるのを止めたのか、目線はこちらに向けられる。

「どっちが先なんだろうと思って。名付けるのと、愛着が湧くのと」

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