第十三章:のぞむこと ―睦月― 其の弐十壱
奏一郎がそう言って静かに微笑むので、思わず小夜子は口を噤んでしまった。彼は徐にカップを持ち上げると、薄い唇に押し当て、一口。ひく、と上下する喉仏。その緩慢な所作が一通り済んだ頃には、先ほどまでの穏やかな表情はさらに磨きがかかっていた。
彼の一挙一動に目を奪われてしまうのは、小夜子も、そして橘も同じだった。
「喉を通った後の風味には、かなり近いものがあると思うよ、僕は」
ピッチャーを傾けた途端、透き通っていた濃い赤が、真っ白なミルクを迎え入れて混じり合う。混じり合い、やがては一つの色に馴染んでいく。
その何てことない様すらも、奏一郎は無邪気に楽しんでいるようだった。カップの中身を見つめる碧眼は大人しい装いをしているはずなのに何故だろうか、小夜子にはそう見えたのだった。
「でも、そうだね。ミルクを入れてしまっては、見た目だけは多少、違うかもしれないね」
「……そう、ですね」
透き通った緑と、濁った胡桃。似ても似つかない二つの色。
そう、わかるわけが、ない。
この二つが、元は一緒であるだなんて。考えも及ばないのだ。
わかるわけが、ないのだ。
「さよ」
名を、呼ばれる。碧い目は微笑む。唇を開く。言葉を、紡ぐ。
「見た目だけ、だよ。さよ」
何故、彼が自分の名を呼んだのか、微笑んでくれたのか。どうしてそんなに優しく口角を上げて、言葉を、空に放ったのか。
「もちろん、緑茶を飲んでいてのんびりするんだけどね。ミルクティの方が……何て言ったらいいのかなあ」
小夜子にはわからなかった。先ほどの純との会話を、奏一郎に聞かれてしまっていたかもしれない。もちろん、その逆もあり得る。だから、わからない。
先の自分がしてしまった「勘違い」が、本当に勘違いだったのか、そうではなかったのかわからない。
もしかしたら、勘違いだったかもしれない。でも、そうじゃなかったかもしれない。
「安心する、とでもいうんだろうか。この色を見ているだけでも、とても落ち着くから」
静かに零される声が、鼓膜を震わせる。その度に、先ほど髪を耳にかけたのは失敗だったと、薄らとだが後悔してしまう。鏡など見なくともわかる。きっと、紅茶なんかよりもずっと濃い色に、この耳は染め上げられているのだろう。
「優しくて、温かくて。触れたらふわふわしていそうで。……とても綺麗で、素敵な色だって僕は思うから」
まるで自分の髪が、そう思われているみたいだと。
期待、してしまったから。
これまでたくさんの人にからかわれ、好奇の視線を注がれ続けたこの髪。
それなのに、それすらも、奏一郎のたった一言――それも自分に向けられたか知れない――が耳を掠めただけで。この髪の色に生まれてよかったと心から、思わせられてしまうものだから。思わず、目の前のメニュー表に顔を埋めてしまう。
「おや、メニューは決まったの?」
そんなことをのんびりと訊いてくるのはもちろん奏一郎だ。顔をほんの少し上げてみれば、ミルクティを片手に、人の気など知らぬとばかりにまったりとティータイムを満喫しているようだ。
ああ、この人の無邪気たらしい笑顔に、何てことない仕草に、真意を悟らせないながらも温かな言葉に、自分は振り回されて、踊らされてばっかりだなあと小夜子は思う。振り返ってみれば昨年もそうだったな、と。だからきっと、今年も。これからもそうなのだろうと彼女は思う。
そして、それがどうしても、どうしようもなく。とてつもなく、嬉しいと思ってしまうのだ。




