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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十三章:のぞむこと ―睦月― 其の十八

 そんな事も無げにこぼされた言葉に、橘は顔に熱湯を、それでいて背中に冷水を一気に浴びたかのような感覚を覚えた。突然に、しかも聴こえてはいないだろうが小夜子の目の前で、なんて爆弾を落としてくれたんだ、と。


「ち、違うぞ! 俺は別に、あの子のことは……っ」

 何とも思っていない、と。そう口にしようとした時だった。純が、また笑ったのだ。それも今度は、先ほどの幼気なそれとはあまりにも遠い――狡猾な笑み。

「俺、別に小夜子さんのことだなんて一言も言ってないよね? 猫の引き渡しのやり取りをじーっと観ているもんだから、ああ、猫好きなんだなあと思っただけなんだけど?」


 ……これはもしかして、はめられた、のだろうか。いや、きっとそうなのだろう。齢十五の少年にここまで「してやったり」な目を向けられる日が来ようとは、夢にも思わない橘だった。


 やがてその焦香の瞳は、橘でなく件の彼女へと向けられた。橘もそれにつられる。視界には、芽衣と会話をしている小夜子がいる。その褐色の瞳に映るのはもちろん、目前にいる芽衣であろう――そのはずなのだが。どうしてだろう、彼女の意識は目の前でなく、傍らにいる奏一郎に常に向けられている気がするのだ。背後からでは、彼女の視線がどこを彷徨っているかなどわかるはずもないのに……。


「……正直に言うと、望み薄って感じだけど、さ」

 そう零す純は、「かわいそうに」とでも言いたげだ。目は口程に物を言う、というのはどうやら本当らしい。


「……まあ、俺もあんたのことは嫌いじゃないし。一つだけアドバイスしておいてあげるよ」


 別に、小夜子のことを好きだなんて、自分の中で確定しているわけでもないのに。

「何度手を伸ばしても、届かないことだってあるけれど。欲しいと思ったものは手を伸ばさないと、絶対に手に入らないよ」


 どうして、こんな占いにも似た助言を聞かされなくてはならないのか。


「何事も、重要なのはタイミング。間違えないようにね。手を伸ばす、タイミングを」


 どうして、そんな言葉に素直に耳を傾けてしまうのか――橘には、わからなかった。


* * *


 奏一郎と、小夜子と、橘。この三人が鳥居をくぐって、階段を下っていく。その様を階段の上、じっと芽衣は見つめ続けているのだった。三人の姿が見えなくなるまで。傍らの純も、同じように。

「……私の目がおかしくなったわけじゃないって、わかってくれた?」

 問いに黙って頷く弟。頬が赤く染まって見えるのは、熱が上がったからか。それとも、夕陽に照らされているせいだろうか。


「信じるしかないよ、あんなの見ちゃったらさ。でも……人間じゃないってんなら、一体何なんだろう。破魔の水に何の反応も無かったっていうなら、幽霊なんかじゃないだろうし」

「邪気が無いというのも気になる。私も出会ったことはないけれど、(あやかし)……とかいう部類なのかもしれない」

「そもそも今時いるんかね、そんなの……」


 やり取りの最中にも、見送る背中は豆粒のように小さくなっていく。並ぶ三人の中でも奏一郎の背中だけが、相も変わらず閑散としていて――寒さ故にか、その不気味さ故にか、全身に走る鳥肌が止まる気配は見えない。


 果たして、彼は何者なのか?

 人間ではない、これは確かだ。

 けれど、人間でないのなら何なのだ。

 唯一、それを知る手がかり程度にはなろうと踏んでいた破魔の水にも、なんの抵抗も示さなかった。

 一体、彼の正体は? その目的とは――。


 ……堂々巡りだ。同時に溜息を吐く姉弟。自然、吐息は白い靄となり、眼前を覆いつくす。クリアな視界が束の間でも奪われるのに苛立ちを覚え、芽衣は思わず、今度は小さな舌打ちをしてしまうのだった。


「……とにかく、今は情報が少ない。情報を集めてから、また作戦会議ってことで、どう?」

 あからさまに不機嫌な姉を気遣っての言葉なのかもしれない。遠慮がちにそう呟く純は、目を潤ませていた。その目を見て、やっと気づいた。ああ、そうだ。この子は不調を押して協力してくれていたのだったと。


「えっと……萩尾さんたち、連れてきてくれてありがとう、純。無理をさせてごめんね」

 へらり、と純は力なく、だけれどとても嬉しそうに微笑んだ。それはまるで、幼い子供のような表情で。

「姉ちゃんの『ありがとう』、久々に聞けた」


 体重のかかっていない静かな足取りで、純はそのまま先に、真っ直ぐ自室へと向かっていったらしい。


 その背中が見えなくなった頃になってようやく、彼の言葉が、その意味がやっと浸透し始めた。

 ずっと、忘れてしまっていた。ありがとう、なんて言葉を口にする余裕を、持ち合わせていなかったのだ。

 それなのにさらりと舌にその言葉を乗せてしまえたのは、きっとすぐに「ありがとう」を口にする誰かさんが傍にいるせいだ――いや、いるおかげ、だ。

 彼女が現れるまで、どれだけ切羽詰まっていたのだろうか、と自嘲の笑みすら浮かべてしまう。もちろん、今のこの状況も余裕があるとは言えないが。


 さて、どうしたものかと芽衣は独り、腕を組む。

 自分たちと同じように化け物を見る目を持つ者がいれば、相談することもできよう。が、皮肉なことに芽衣も純もそこまで交友関係が広いわけではない。あまりにも狭いコミュニティの中で、「化け物を見る目を持つ」人を捜すのがいかに大変なことか。


「……唯一、頼れるとしたら」

「おお、芽衣。お祓いご苦労さん」

 振り返ると、そこにはにこやかな表情の父がいた。

 そう、唯一頼れるとしたら――長年、楠木神社にて神主をしているこの父である。娘の芽衣より低い身長に、やや後退しつつある前髪。芽衣からすれば威厳など皆無だ。けれど、唯一の頼りはこの頼りなさそうな父なのである。

「さっきの男性、奏一郎さんと言ったか。ヤバいのに取り憑かれていたんだろ? それにしちゃ短かったな、お祓い最短記録じゃないか?」

「ああ……えっと……うん、まあね」

 うきうきとした様子でお祓いの様子を聞いてくる。

 そう、芽衣の父には――霊感が無いのだ。

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