第十三章:のぞむこと ―睦月― 其の十七
「大丈夫だよ、萩尾さん。何も無かったから」
そんな彼をフォローするかのように口を添えたのが芽衣だった。芽衣の耳に届かぬよう声を潜めたつもりが、一言一句漏らさず聞かれてしまったようだ。が、彼女は――意外なことに、眉を下げて。困ったような笑みを浮かべていた。どうやら、気分を害したわけではないらしい。
「さよは、良い友達を持ったな?」
細められた碧眼に見下ろされ、小夜子は首を傾げる。
「彼女、とても親切でね。なんと、子猫の引き取り手を一緒に探してくれるそうだよ?」
その、思いがけない言葉に。褐色の目と――琥珀色の目が。同時にくるりと丸くなった。
「いやあ、さすが楠木神社のお嬢さんだねっ」
「ちょ、そんなこと、私……」
芽衣が真剣な表情で、何かを言い終える前に。小夜子は彼女の手をそっと両手で包み込んでしまっていた。
平生、俊敏というわけでもない小夜子があまりの素早さを見せつけたから、だろうか。琥珀の目はさらに丸みを帯びていった。
「ありがとう、楠木さん……!」
頭一つ分身長の違う彼女を見上げる。小夜子は嬉しかった。嬉しかったのだ。
子猫の引き取り手として桐谷を紹介してくれたのが静音だと判明した時と同じように。蕾が朝日を受けて、ふわりと咲き誇るような心地だった。
「近頃、誰からの連絡も無くて、すごく困ってて……! だから手伝ってくれるなんて、すごく、すっごく嬉しいよ……!」
小夜子の言葉に、芽衣はただただ固まって、目を丸くするばかり。一瞬、刹那の間だけ。その琥珀の目が恨みがましく細められたのを見たような気がしたけれど。
「どう……いたしまして……」
その言葉を聞いてしまえば、すべてがどうでもよくなってしまった。
* * *
目の前では、子猫の写真の引き渡しやら、引き取り手が見つかったときの連絡先やら、主に小夜子と芽衣による段取り説明のやり取りが行われていた。それを静観する形で、ようやく落ち着いた、と言わんばかりに奏一郎が腰かけている。
綻んだ表情の小夜子に、本当に何も無かったかのように微笑む奏一郎。この二人のことを、橘はほっと胸を撫で下ろしながら見つめていた。先ほどまでこの空間に漂っていた緊張感はどこへやら、いつの間にか和やかな雰囲気へと変貌を遂げていた。
奏一郎が無事で良かった、と思う。が、それ以上に。小夜子の表情から翳りが失せ、年相応の笑顔を浮かべていることに。それに安らぎを覚えてしまう自分がいることに、橘は戸惑いすら覚えていた。
「ふーん、好きなんだ?」
そんな不躾な――小声なだけ、まだ良心的か――問いをしてきたのは傍らにいた純だった。相変わらず、鼻をかんではゴミ箱へ、かんではゴミ箱へを繰り返している。




