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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十三章:のぞむこと ―睦月― 其の四

 首をぶんぶん、と振り否定すると、もうそれ以上は口を噤んでしまう小夜子。桐谷はそんな彼女の傍らで、呑気にクレープを頬張り始めていた。もっちゃもっちゃと美味しそうに口を動かす桐谷を横目に、小夜子は重い口を開く。


「あ、あの……橘さんは、どうしてあんな、ことを……したのでしょう?」

「……あー……それなんだけどね」

 ごくん、と何度も咀嚼したクレープを飲み込んでから、彼は申し訳なさそうに瞼を閉じた。

「きょーや、覚えてないんだって。わからないんだって。何でちゅーしたのか」

「そ……そうですか」

「……あれ、怒んないの?」

 不思議そうに丸まっている茶の目に、小夜子は微笑みで応える。

「はい。あの日、橘さんはすごい熱を出していて……目に見えて意識が朦朧としてましたし。仕方ない、と思います」

「……そっか」


 それだけ返して、桐谷は再びクレープを食み始める。その表情には――申し訳なささを感じさせつつも、どこか安堵の色が窺えた。何を考えているのかわからないその横顔には、首を傾げずにはいられない。

「あの……桐谷先輩? 桐谷先輩はどうして、橘さんがあんなことをしたんだと思いますか?」

 純粋に聞きたかったことでもあるが、これは一種の探りでもある。

「んー……、どうだろうね。わかんない。俺、きょーやじゃないし」

 恐らく、本当にそう思って言っているのだろう。ということはどうやら、彼はそのこと――なぜ橘がキスをしてきたのか――を考えているわけでもなさそうだ。しかしそこまでわかっても、結局のところ彼が何故思案顔をしているのか、小夜子には想像するしかないのだった。


 一方で、彼が己を誘い出したのは、この話がしたかったからなのだろうな、とも小夜子は思い始めていた。それも、単なる興味本位からではないのだろう、ということも。

 となると、あらゆる可能性の中で一番、有り得そうなことといえば。

「……もしかして、私が怒っていると思っていたんですか?」


 口の中にものを含んでいるからか、黙って頷く彼。その素直な反応には小夜子も笑みがこぼれる。数回の咀嚼の後、やがて喉は上下して。桐谷は乾いた空に視線を送った。

「きょーやはたぶん、ううん絶対、その時のことをさよさよに謝ってくると思うのね……。でも、当人が覚えていないことを謝られてもさよさよは不誠実に思うだろうし……むしろ怒って当然だと思うんだけど、ね。きょーやって、人から嫌われることに慣れてないだろうから……だから、頭ごなしに叱りつけるのは勘弁してあげてほしいな……と思っただけ」

「怒りませんよ、きっと事故ですもん」

「……そうなのかな。でも」

 俺は、そうとも限らないと思うけど。


 言い終わりに近づくにつれ、声を落としていく桐谷。それと同時に、浸透していくその言葉の意味。彼の言わんとしていることが小夜子にはわかる。わかる、けれども。

「まあ、今のきょーやにもわからないことだからね。この話はひとまず止めておこうか……」

 ぼーっとした茶の目がそう言うので、黙って従うことにする。


 それにしても、今日の桐谷はやたら饒舌だと小夜子は思う。それほどまでに小夜子が怒っていないか、橘が怒られないかどうかを案じていたのだろう。友達思い、という安易な一言では簡単に流せそうにないが――それよりも、気になったのは。

「ところで、人から嫌われることに慣れてないって、どういうことですか?」

「……きょーやは、優しいから」

 そう前置きして、桐谷は再び口を開いた。


「しかも、誰にでも分け隔てなく、自然に優しく振舞うから。みんながきょーやに惹かれて、みんながきょーやを好きになる。……妬ましく思う奴も中にはいたけど、きょーやを嫌いだって言う人を俺は見たことがない……」


 高校時代に思いを馳せているのか、どこか遠くを見つめている細い目。小夜子はそれを見つめながら、橘という存在がいかに特異であるかを思い知らされた気がした。二十年以上生きていて、人から嫌われたことがほとんどない、なんて有り得るのか。もし、本当にそうだとしたら。

「人間離れ、してますね」

「……見返りを求めないからね。きょーやの優しさは、神様みたい」

 そういう意味で、たしかにきょーやは人間らしくはないかもね。


 そう言うと、桐谷は早くクレープを食べるよう勧めてくる。先程まで白い湯気を発していた手の中のそれは、既に仄かな冷たさを帯びていて。それでも、カスタードも狐色の林檎も、シナモンの香りもどこか温かく――。

「美味しいです……。でも、桐谷先輩はこの後、お餅も食べる気ですか……?」

「……二人には内緒だよー?」

 そう零す桐谷の唇も、微笑みを作った。唇の端っこに抹茶が付着しているのだが、それは指摘すべきなのだろうか。


 証拠隠滅、と呟きながら、手元の包装紙を燃えるごみに入れる桐谷。それとは別の証拠は口元に付着したまま、隠滅できていないのだが。

「じゃ、そろそろ帰ろうかー……」

「あ……はい」

 彼のこういう少し抜けた所が小夜子は好きだ。放っておくのも一興かもしれない、と一度思い始めると、もう教えてやる気も霧散してしまった。


 再び雪道を歩く二人。鼓膜を振動するは、ビニール袋の揺れる音。それから自然と思い出されるのは――素直でない、黒髪の青年だ。

「……でも、本当に橘さんって優しいですよね」

「ん、なんでそう思ったー?」

「お餅です」

「……お餅……?」

 首を傾げる桐谷を見て、ああ、気づいていなかったか、と小夜子は笑った。

「はい、お餅ですよ」

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