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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十三章:のぞむこと ―睦月― 其の弐

 スコップを壁に立てかけて振り返る。そこに予想通りの眠たげな目が見えて、小夜子は内心くすくすと笑った。

「桐谷先輩、明けましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いします」

 髪の色に近いキャメル色のコートに身を包んだ桐谷に会釈すると、

「こちらこそ、今年もよろしくお願い申し上げまする~……」

 礼儀正しいのだかそうでないのだかよくわからない応えが返ってきた。彼が会釈を返せば自然、その背後にいる人物も見えてくる。


「橘さんも、明けましておめでとうございます」

 黒いコートが似合うなぁ、なんてぼんやり思いながら、橘にも同様に挨拶をする――が、彼の様子がおかしいことに気づいたのはその刹那だ。

 顔色は青ざめている上、視線をこちらに合わせてくれない。橘さんにしては珍しい、と小夜子は思う。真っ直ぐな目で話しかけてくれる、彼のそんなところに誠実さを覚えていたのに。


「今年もよろしくお願いします。……あの、橘さん、元気ないです?」

 一瞬の躊躇いの後にそう問うも、当の本人は未だに目を合わせてくれない。が、

「いや、大丈夫だ」

 そう言われてしまっては、こちらとしてもこれ以上の詮索はできない。

「なら、良いのですが」

 はぐらかすように、ちっともそうとは思っていないことを小夜子は言った。


 冷たい空気に耳たぶがひりひりする。無意識にそれに触れつつ思ったのは、橘と桐谷の体はきっともっと冷えているはず、ということだ。

「えーっと、今朝もいい天気ですがやっぱり寒いですよね。さ、中に入って……」

「ねー、さよさよ、聞いてよー。きょーやったら酷いんだよ~……」

「へ? 何がですか?」

 何故か小夜子の言葉を遮る桐谷。見れば、背後の橘も訝しげに彼を見つめている。橘の視線には気づいているのだろうが――桐谷はそれでも口を開いた。


「新年早々、きょーやが猥談(わいだん)をしかけてくるわけよ……」

「……え? は、はい……」

「き……っりたに! お前は突然何をっ」

 焦った様相の橘に茶の髪を掴みかかられるも、当の本人は無表情を貫いている。そのまま、さらに言葉を続ける余裕さえも持ち合わせているようだった。

「俺としてもそういう話は別に嫌いじゃないんだけどさー……お正月の清々しい朝にはその(たぐい)の話はご遠慮願いたいわけね?」

「は、はぁ……そうなんですか」

 桐谷の言いたいことの大凡が小夜子にも理解できたのだが、それよりも彼の背後で顔を赤らめたり青ざめたりさせている橘のほうにばかり注目してしまう。以前、感情表現が苦手だと橘は言ったことがあったが、少なくとも己や桐谷よりはだいぶ分かりやすい人だと小夜子は思った。


「……あ、早く入らないと体が冷えちゃいますよ?」

 事も無げにスコップを軒先に仕舞うと、奏一郎のいるであろう台所に向かう小夜子。背後で、

「お前という奴は! どうして、わざわざ俺の利にならないようなことを言うんだ!?」

「ちょっとした意趣返し的な……」

「そういう余計な一言が無意味な誤解を招くんだ!」

 という(いささ)か穏やかでない雰囲気のやり取りが聞こえたが、あまり気にしないことにした。


 それよりも、小夜子には気になることがあったのだ。


 台所の暖簾(のれん)をくぐると、冷蔵庫から昆布巻きを取り出す奏一郎の姿が目に入る。若草色に乗せられた、決して華美でない古典柄の和服には、やはりどこか素人目にも品が感じられた。柔らかな印象を抱かせる薄卵色の羽織もまた、彼の纏う雰囲気に調和している。

「奏一郎さん、お二人がいらっしゃいました」

「おお、そうか」

 少し急がなければね、と彼が微笑むので、小夜子も急いで踏み台に足を乗せる。もう、耳たぶに走っていたひりひりは消えていた。


「赤いお重箱だよ。干支の柄が入っている方」

「はい!」

 やや体を右に傾けて、指示された通りの重箱を掴む。今年の干支の描かれたそれに、白い南天文が赤い世界を背景に散りばめられていた。これは見ているだけでも「お正月だ」と実感させてくれる代物である。


「ありがとう。さよは先に、二人分のお茶を用意しておいてくれ」

 踏み台から降りて目に入ったのは、先ほどの言とは裏腹に悠長にも緩慢にして優美な笑み。本人は否定するかもしれないが、恐らく奏一郎は全く急いでなどいないと小夜子は思う。だから――訊くしかないと。訊くなら今しか無いと、思ったのだ。

「奏一郎さん」

「ん?」

「猥談って、何ですか?」



 お正月の朝というものは、空気が澄み切っているせいか、賑やかながら静かなものである。

 しかし、この瞬間、この場は――あまりにも静かだった。奏一郎の表情は変わらない。笑顔のままだ。が、あまりにも変わらなすぎなのだ。つまり彼はその端正な(かんばせ)に笑みこそ浮かべてはいるが、そのまま固まってしまっているのだ。稀なその反応に、訊いてはいけないことを自分は訊いてしまったのかもしれない、と小夜子は背中に冷や汗を覚える。

 やがて開かれる形の良い唇。そこから漏れる言葉は夜の海のように穏やかで、それでいて陰鬱としていた。


「……さよ。どうしたの、急に」

「なんでも、橘さんがそんな話をしたがっていらっしゃるらしいです」

 嘘は言っていないはずだ。そう思いながら、奏一郎と目線を合わせることにどこか躊躇いを覚えてしまう。重箱を小夜子から取り上げ、それを昆布巻きの隣に鎮座させる彼。

「そう……。さよ、ちょっと待っててね」

 強い口吻ではなかったはずだ。それでも有無を言わせない迫力を灯したその台詞に、小夜子はただただ首肯した。台所の暖簾をくぐり、軒先をくぐり抜け――橘と桐谷の元へと彼は向かっているらしい。ひとり残された小夜子は箸を掴み、昆布巻きを重箱に入れる。


「たーちのーきくーん。さよに何てことを吹き込んでくれたんだい?」

「ほらな! 何でか知らんが曲がって伝わっただろうが!」


 一方は歌うように、他方は叫ぶように。

 一見和やかでいて、実際はそうではないだろうやり取りが耳を掠める。結局のところ、先ほどの単語はどういう意味を持つのだろうか――。


* * *


 卓袱台の上に乗せられたお節に、桐谷の目がキラキラと輝いている。上下する喉から察するに、今にも涎を垂らさんとする勢いで唾を飲み込んでいるらしい。相当空腹なのかと思いきや、

「美味しそ……」

 ぽつりと呟くものだから、もしかしたらお節料理がとても好物であるというだけなのかもしれなかった。

 橘はといえば、今日もケージの中で元気な子猫たちをちらちらと盗み見ている。その綻んだ表情に、小夜子は子猫たちをケージから開放したいと強く思ったのだが、彼らは卓袱台の上のものを盗み食いすることがあるので、今は橘に我慢してもらうことにした。親猫であるあんずは卓袱台の上にあるものには絶対に手をつけないのだから、よく出来た猫である。


 全員分の箸も並べ終えたところで、奏一郎が湯呑を手に、台所から現れる。

「お待たせしたね。固い挨拶は抜きにして、食べようか~」

「あの、奏一郎さん。先ほどの単語の意味は……」

「さよ、世の中にはもっと他に知っておくべきことがあると僕は思うんだよ」

 強い口吻ではなかった、はずだ。それなのに小夜子の言を封殺させてしまえるのだから、彼が、彼自身の発した台詞にどれほど強い想いを込めたのかがよくわかる。とりあえず、“意味を訊いてはいけない単語”なのだなということを薄らとだが小夜子は理解した。


「たとえば、そうだな。お節料理に込められた意味、とかね」

 そう言っていつものように奏一郎が笑うので、小夜子は彼の言につられるかのように、重箱の中身に視線を移してしまう。

 ひとりひとりに小皿を渡すと奏一郎は、

「作りすぎてしまったから、たくさん食べていってくれ。ただし、偏食はダメだぞ?」

 まるで子供に言い聞かせるかのように、橘と――特に桐谷に向かってそう言うのだった。彼が甘党であることは周知の事実であるし、何より彼の熱烈な視線が終始、栗きんとんと黒豆にのみ注がれているので無理からぬことである。


「ねー、心屋さん。黒豆ってどういう意味が込められてるんだったっけ……」

 桐谷の視線が黒豆をロックオンしている。先の奏一郎の台詞をちゃんと聞いていたのかいなかったのか。しかし、碧眼の彼にとってはそんなことはどちらでも良いらしく、素直に口を開くのだった。

「『マメに働けるように、無病息災でいられるように』」

 たくさん食べて、病気もなく、一所懸命に働いてくれ。そう言って、笑った。


「昆布巻きは何なんですか?」

「『喜ぶ』だね」

 今年一年が、喜びで満ち溢れるように、と。そう言って、彼は小夜子に昆布巻きを食べるよう勧めるのだった。


「海老は、何なんですか?」

 勧められるままに昆布巻きを小皿で受け取りつつ、小夜子がそう問う。

「『海老のように腰が曲がるまで、長生きを』だよ」

 そう答えた奏一郎が、なぜか橘に微笑みかけた。

「で、たちのきくんは海老、食べるのかい?」

「……遠回しに何を選択させようとしているんだ、お前……」


 早死にしろってか。嫌だなぁ、縁起でもない。


 二人のやり取りは、穏やかな、はずだ。それなのに殺伐とした雰囲気をそこに覚えてしまうのは何故なのか――胡桃色の髪が、そっと右肩に触れた。

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