表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツクモ白蓮  作者: きな子
10/244

第四章:こわいひと ―長月― 其の壱

 自分が生まれた瞬間を、覚えている。



 その時に見た色はとても鮮やかで。綺麗で。



 その時にね、思ったんだ。



 誓ったんだ。



 僕は自分に、誓ったんだ。


 

 ああ、僕は、絶対に────。



* * *



 奏一郎は、じっと空を見ていた。ほんの少し前から太陽の光に照らされ始めた、温かみを含む雲が浮かぶ。夜の凪から明けを知らせる風の音。その音に呼応するように、畑の野菜たちはゆらゆらと輝く。

「いい、天気だな……」

 そう呟けば、頭上から降ってくる声。


「奏一郎さん、おはようございまーす」


 小夜子が、廊下の窓から身を乗り出していた。彼女の表情は明るく、その声にも張りがある。

「ああ、おはよう。早起きしたな」

「はい。早寝したので……」

 ふと、奏一郎の抱える籠を見る小夜子。

「畑のお手伝い、しましょうか?」

 奏一郎は畑を一通り眺めてから、再び彼女の方に向き直った。

「そうだな。身支度したら、降りてきてくれ」

「はーい」

 そう答えると、彼女は窓から姿を消した。


* * *


 部屋でパジャマを脱ぐと、汚れても目立たなそうな藍色のTシャツを段ボール箱の中から引っ張り出す。中学の修学旅行の時に買ったものだ。以来何度も着用しているため、首周りや袖はややくたびれている。

「……我ながら、色気無いなぁ」

 姿見を見つつ苦笑する。ふと、壁際にハンガーで掛けられた制服を見つめる。黒いセーラー服のスカートの裾を、なんとはなしに小夜子はきゅっと掴んだ。


 今日から新しい学校でのニ学期が始まる。小夜子にとっては初の登校日だ。

 転入が決まった当初は、自分がうまくやっていけるのか不安だった。だが今は、少しだけ希望が持てる。きっとそれは、この新しい環境──奏一郎が与えてくれる、この環境のおかげだと小夜子は思う。


 奏一郎の店──『心屋』に小夜子が下宿し始めて、今朝で早三週間が過ぎる。彼との生活には何の不満も、不安も無い。肺の病を患う小夜子にとって、空気の綺麗なこの環境はこの上なく良いもので。慣れない畑仕事も、理屈抜きに楽しくなってきていた。

 それに奏一郎が言っていた、『自分で生命を創り出し、それを味という形で実感する』。その魅力に、すっかり小夜子は取り憑かれてしまっていたのだ。


 一つ、不安なところを強いて挙げるとするならば、それは──奏一郎の正体だ。

 心屋の商品の中には、“意志”を持っている物があるのだ。小夜子が出会ったのは、ただの水筒、ではなく、『とーすい』という名を持つ“意志”を持った水筒であった。

 『奏一郎が自分を創った』と、彼は言っていた。奏一郎がいったい何者なのか、人間なのか、はたまたそれとはまた別の何かなのか──。小夜子にはわからない。しかし、


 ──僕は人間だよ、そういうことにしといてくれ、今は──


 奏一郎は、そう言ったが。

 それって、『自分は人間じゃない』と暗に言っているのではないか、と。



「ごめんくださーい!」

 階下から、知らない男性の声が響く。

「はーい」

 返事をしつつ、身支度を整えたのを確認すると、小夜子は胡桃色の髪を風に躍らせて階段を降りた。

 店のシャッターを開けると、ヘルメットを被った郵便配達員。まだ年若い男性が爽やかな笑顔で立っていた。

「おはようございます。郵便です」

「おはようございます。配達、ご苦労様です」

 手渡された茶封筒は奏一郎宛てのものだった。小夜子は振り返って、裏庭の彼に声をかける。

「奏一郎さーん。どなたからか届き物がありますよー?」


 その声に、奏一郎は微笑んだ。誰からの、どのような手紙なのか、彼にはわかっていたから。

「そこに置いておいてくれ。後で読むから、たぶん。今は畑を手伝ってくれー」

「た、たぶんって……。はい、わかりましたー!」


 ──……いいのかな。『重要』って、判が押されてるんだけど?


 あまり釈然としないのだが、郵便配達員の男性と軽く挨拶を交わすと、小夜子はその封筒を玄関先に置いた。それが、文字通り『重要』なものであるとは知らずに──。


* * *


 男はその朝、いつもの時間に起床し、いつもの時間に朝食を食べ、いつもの時間に出勤した。同僚といつも通り手短に挨拶を交わし、いつもと同じ机に座った。

 そして、今日の仕事は──いつもと同じではなかった。一つ溜め息を吐き、今日必要な書類をまとめ立ち上がり、職場を後にする。


 いつもであれば通らない道を、男は真っ直ぐに歩いていく。暑い、暑い日。空に浮かぶ厚い雲はただゆったりと漂うばかりで、日光から、夏の暑さから守ってくれそうもない。それでも男はスーツの上着を脱いだり、ネクタイを緩めたりはしない。信条に反するし何より、気を緩めていては丸め込まれてしまう──。今日会う予定の男は、そういう男だからだ。


 しばらくして男は目的地に到着した。

 腕時計を見れば、予定の時間の一分前──七時五十九分だ。彼はこの後も、予定通りになるように願った。

 ──……それにしても、毎度思うことだが。古びれたというか、奇妙奇天烈というか、不気味かつ意味不明な店だ。


 男──『(たちばな) 恭也(きょうや)』は強くそう思った。と同時に腕時計の長針は零を差す。


「ごめんください」

 反応は無かった。しかし橘は諦めない。いる。絶対に奴はいる。そんな確信があった。

「ごめんください!」

 反応は無い。


 溜め息を吐いて、目線を上げる。そこには林檎大の鈴。神社よろしく、鈴を鳴らすための紐が天井からぶら下がっていた。

 ──……まさかとは思うが、これが呼び鈴か?


 恐る恐る、紐を掴んだ瞬間──ベリッと何かが剥がれるような音がしたかと思うと、林檎大の鈴が橘の頭に綺麗に直撃した。

「だっ」

 シャランシャラン……と、玲瓏たる鈴の音が店中に響く。その音に耳を澄ます余裕など無く、じんじんと痛む頭を抱えた。

「く……っ!」

「やあ、いらっしゃい」

 顔を上げると、問題の人物──奏一郎が蘇芳色の着物を纏って茶の間から現れた。右手には箸、左手には茶碗がある。


「さっきからずっと聞こえていたぞ」

 爽やかな笑み。何に対する笑みなのか、もしかしたら自分に対する嘲笑か、と思った橘は眉間に皺を寄せた。そしてそれを、特に隠そうともしないのだった。

「……なら何故、すぐに出なかったんです」

 ずれた眼鏡を定位置に直し、溜め息混じりに問えば、

「いやぁ、だって今、食事しようと思ってたから、な?」

 そう言って、両手のものを無邪気に見せてくる奏一郎。


 足元に転がっていた鈴を拾い上げてから、橘は鞄から書類を取り出す。

「まあいいです。そんなことより、そちらに送付した書類には、目を通していただけましたか? 遅くとも今朝には届いているはずですが」

「ああ、あれか。読む前に捨てた」

「は?」

 橘の額に青筋が入る。

 ──今、『捨てた』と。『捨てた』と言ったか、こいつ?

「い……今、ご自分が何を言っているかわかっているんですか?」

「うん、捨てた。だって興味無いんだもん」

 あっけらかんと笑い飛ばす彼。対して、橘は自分の顔が青ざめていくことを自覚した。


 ──『興味』……!? 『興味無い』で片付けるつもりか!?


 橘は怒りを抑えるのに必死だ。しかし、その時だ。

「奏一郎さん、今朝はご飯をどのくらい召し上がりますか?」

 茶の間からこれまた無邪気にひょっこりと顔を出したのは、せいぜい十六、七の少女。それも制服姿の──。

 橘は、眼前の光景に絶句した。


「奏一郎さん、お客様ですか?」

「うーん、ちょっと違うかも」

 そう言って肩をすくめる奏一郎に、小夜子も首を傾げる。すると、

「……何を、考えているんです? (ひじり)さん」

「へ?」

 耳に入ってきた橘の震える声に、二人は同時に素っ頓狂な声を上げてしまう。次の瞬間には、これにはもう我慢ならんと言わんばかりに、橘は突然、大きな声で(まく)し立て始めた。

「これはっ! もはや犯罪だ! 二十歳を過ぎたいい大人が、健全な女子高生を家に泊めるなど……!」

 一見冷静そうな橘の凄まじい気迫に、小夜子はたじろぐ。


「そ、奏一郎さん、この人誰ですかお友達ですか? そして『聖』って誰ですか」

「ああ、『聖』は僕の姓だ。教えてなかったか?」

「初めて知りましたよ……!」


 奏一郎は、橘を見て微笑む。

「何やら誤解しているようだし……紹介しておこうか? 彼女は、『萩尾 小夜子』。僕の下宿生だ」

 小夜子に向き直り、奏一郎は橘の肩に手を乗せる。

「そして、彼が『たちのきくん』。役所にお勤めでね。僕に、『ここから出てってくれ』って言うのがお仕事の人だよ」

「『たちのき』じゃない、『橘』だ! 何度も言っているだろう!」


 小夜子は思った。


 ──それってもしかして『立ち退き勧告』……!? まさか、ここ無くなっちゃうの!?


 あたふたし出した彼女の青い表情を見て、奏一郎はにっこり笑う。

「さよ、今朝は大盛りで頼むよ。ね?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ