物語のその前に
――――火がはぜる。
闇を煌々と照らす赤い煌めきを背に、長い廊下をひた走る。
息が切れ、肺が軋み体が悲鳴をあげているのが分かる。でも止まるわけには行かなかった……。
「っ、早く!早く走ってください殿下!追い付かれますよ!」
「っそ、そんなっ事をいわれてもっ!っ!」
「っ!伏せてっ!!」
ヒュンッと耳を掠める風切音。
繋いだ小さな手を問答無用で引き寄せその小さな頭を抱き込んだ。
憎いほどにキューティクルが輝かしい灰色の髪を顔に張り付かせ恐怖に青ざめる子ども。涙が滲む褐色の瞳がみるみるうちに真ん丸に開かれるのを見て、そんな場合じゃないのについ口角が上がるのを止められなかった。
足を止めること無く、豪華な贅を尽くしたであろう廊下を眺める暇もなくバタバタと足音を立て駆け抜ける。
パチリ、パリチと火花が空に立ち上り消えていくのを視界の端に入れつつ走る先は真っ暗な闇の中。まるで誘うように広がる暗闇は口を開けて待ち構えていた。
「お、おっお前!けけ、っけが!」
息継ぎすら難しいのに子どもは必死に言葉を繋げる。
でもそんなものを悠長に聞き返す暇など無い。
「そんなん言ってる暇あったら死ぬ気で走ってください!貴方に死なれちゃ困るんですよ。 王 子 様 !」
ずきりと痛む体は無視して隙無く辺りを見回す。
体を掠めた矢はまるで警告を促すように目の前の柱に刺さり存在を主張していた。
背後に庇う守るべき小さな主。
未だに我が儘で生意気な悪ガキだがその身に背負わされた責任は重く、押し潰されそうな程に大きいもの。だがそれを知りつつも必死に前を向く子どもに未来を託したいと思った。
この国の未来を、この世界の未来を。歴史の中に埋もれるような小さな事でも、彼ならば歴史に刻まれる偉業とするだろう。それが不思議と予感として胸に浮かぶ。
――ならばやることはただ一つ。
「っおい!いきなり何を!」
「うるさいですよ。騒がないでください」
自分の大事な首飾りを子どもの首に無理矢理かける。乱暴にしたからか嫌がって暴れる子どもを押さえ付け、ついでに色々と加護の術を行使した。
大小様々な円が彼を囲み装飾が施された文字が空中を踊る。それと同調するように目に見えない力が少しずつ抜けていく…。
不可視の盾に結界、恒常的な治癒術に気配察知など逃げるためのありとあらゆる思い付くだけの術を彼と首飾りに、抜けていく力――<魔力>をありったけ込める。私の魔力は質も量も常人を軽く凌駕するほどにあるので、私が死ぬ気でかけたこれらの術は半永久的に続くだろう。だからこそこの王族の中でも特別な王子様の護衛なんてやっているのだから…。
それに聡明な彼は気付いたのだろう。
その術をかけた意味を。その首飾りを渡されたという理由を。
彼は口端を噛みしめ涙目で私を見上げる。
何かを決めたような、覚悟したようなその険しい表情は彼には似つかわしくなく、つい憎まれ口を叩いてしまった。
「…正直、貴方のお守りはもうこりごりなんですよ。我が儘だし生意気だし“あの方”の子どもじゃなきゃとっくの昔に地に沈めて放り出してるところです」
「っお前!オレを誰だと!」
「――でも、私は貴方といるのは嫌いじゃなかったです」
「っ!」
「貴方はこれからも色んなものを見て、知って、聞くでしょう。でも、惑わされないで下さい。迷わないで下さい。」
溢れ落ちそうなほど彼の瞳を潤ませる綺麗な涙。
これから彼は様々な事を知るだろう。世界は綺麗事だけでは続かない。優しい穏やかな城という名の世界しか知らなかった彼は色んな汚いことを知っていくだろう。世界は無慈悲で裏切りや汚いことであふれている。彼もまたそれを判断しなければならない立場にいるし、それを考えなきゃいけない時が来るだろう。それを支えてやりたいと思った未来はもう、ここで終わる…。
私が体が動くままに、痛みを訴える体を我慢し彼に手を伸ばす。
くしゃりと撫でた頭。しかし残念なことに手が血で汚れてたために彼の頭も薄っすらと色がついてしまった。良く見ればさっき抱き寄せたせいだろうか、走っていたときには無かった色が彼の体を彩っていた。
綺麗な彼を汚したことに罪悪感を浮かべながらもどうか伝えたいことを口にする。
「私は無知は罪だと思います。だから知ってください。色々な事を、この世界は貴方が思うほど優しくはありません。でも、だからこそ私はこの世界が綺麗だと思うし、好き、なんです…」
バタバタと段々と近付いてくる足音と怒号。
追っ手がついに来たのだ。折角離した距離ももうあってないようなもので背後から感じる殺意がじわじわと恐怖心を煽る。でも私は彼を守らなければ。この小さな命を。
私だけが守れるこの子を……。
「そして生きて下さい……。地べた這いつくばって泥水を啜っても。――――惨めでも、辛くても、生きろ!この私が守った命を生かしてみせろ!何がなんでもなっ!」
ドンッと突き飛ばした先には光輝く魔方陣。
「なっ!」
今まで気付かなかったのか自分が突き飛ばされた先の魔方陣に目を見張る彼。
抗うように身を捩るけど、もう遅い。
「――私の分まで生きてみせろ!じゃないとあの世でお仕置きだからな!!」
一際光る陣の中に消えていく子どもを見送り叫ぶ。精一杯の虚勢だ。意地だ。でもあの子にとっては強い私でいたい。だから叫ぶ。笑う。笑え私!
光り輝く魔方陣は遠方に移動するために使う転移陣だ。その行先は私が安全だと保証できる場所と人がおり、彼にとってもいい経験になるだろう…その場所にいる人が性格的にいい人かは保証しないけどな!
転移陣は魔術の中でも高位の術式であり、この術を扱えるのも数少ない。私にとっても最後の切り札。
光の中に消えていく彼を視界に入れる。
体から、足から歪んでぶれて魔方陣は彼の姿を飲み込んでいく。それに最後の最後で彼は何かを叫んだようだけど残念だが声も魔方陣に吸い込まれ消えていった。
これで彼はもう大丈夫だろう……。
安心に力を抜くとすぐ近くに敵の姿を見た。
「さぁ――最後の幕引きだ。付き合ってもらうぞ!」
怪我をしたのは数え切れぬほど。でもまだ動く、まだ行ける!私は腰に下げた飾りものの剣を振るう。舞い散る赤が私のものか敵のものかも判らぬまま、最後の悪あがきに私は敵の前に立ちはだかった……。
*
――それからどれくらいの時間が経ったのか。それさえも判らぬまま私は全身を真っ赤に染めていた。
嗚呼、肩が痛い。腹が痛い。
肉が抉れる。血が噴き出す。
殴られ、蹴られ、四肢を剣で刻まれた。
でも怖くなんか無い!!
そうして私の意識は闇に飲まれた。――そう飲まれたはずだった。
******************
『やっとこれであいつらを見返してやれる!これを視ればあいつらだって僕に平伏すんだ!!』
アハハハッ!と狂ったような笑いが聞こえた。
『人類初の偉業を僕は成し遂げたんだ!!人工生命体の誕生だ!!』
いつの間にか閉じていた瞼を上げる。
そこは乱雑な部屋だった。
様々な言語で書かれた書物や書類。用途不明の機材に正体不明の生き物が所狭しと部屋を彩る。そんな私の目の前にボサボサな髪に血走った目の変態がいた。
『僕は、僕は神になった……』
『――落ち着け変態』
『――ぐふっごへっぶべっ!』
なんか取り敢えず、いきなり自分自身を崇め出した男が怖くて私なりの痴漢撃退三大術(〇的、裏拳、平手打ち)をかまし男を地に沈める。
―――それが私こと人工生命体のリディとその創造主であり錬金術師のエディタ・アクスティリアの初対面だった……。
まさか真っ裸な美幼女とそれを前に高笑いする半裸の男の場面に男を変態と呼んだ私は間違ってない。断じて。そしてそんな幼女に生まれ変わったのか、私はリディになる前の記憶を持ったまま生まれた。
憑依ともいえるその現象にエディタも頭を抱えて嘆いていたが(本当はもっと大人しい魂を作った筈だと泣いていた)幸運なことに私は生前の記憶と共に魔力や知識まで引き継いでいるらしい。
これにはエディタも喜んでいた。
まぁ王族を一人で護衛出来る実力(本来は二人一組で組むのがセオリーだ)に一応私は仕えていた国では隊長を務めていた。なので実力は申し分ない。
でも違和感は拭えなかった。
真っ黒だった髪は白銀の美しい髪の毛になり、真っ黒な瞳で目つきのキツイ釣り目だったのが深海のような澄んだ深い藍色の瞳にたれ目になり、何より背が子供のように小さくなってしまったのだ。
女にしては長身で成人男性よりもひとつ高かった背がいきなり半分以下になってしまい、見上げるという行為が本当に子供以来で違和感が果てしない。
しかしせっかく再びもらった命。
これが運命なのか神様の悪戯なのか、それは分からない。でも例えそれが作られたものであっても、私にとっては唯一の宝物。
だから、精一杯また生きてみようと思う。
いつか、あの子と出会えることを夢見て今日も私はエディタの尻を蹴りつける。
「仕事しろ!この飲んだくれ!!」
「いてっ!お前、主人になんたる仕打ちを!」
「主人面する前に、人としての役割を果たせ!」
END?