第八話 まさか、結花。からかったの?
六月の陽光が、生い茂る木々の隙間から鋭い光の束を投げかけている。昨夜のニュースでは梅雨入りしたと言っていたけれど、今日は見事な快晴だ。
かつて私と結花が泥だらけになって駆け回ったこの公園は、遊具こそ新しいものに整備されたものの、あの頃からほとんど変わっていない。
今日は私たちの交際が始まって、最初の週末。初めての休日デートだ。待ち合わせ場所は、私たちが交際することになった、思い出のこの小さな公園。
パフスリーブの白いブラウスの裾を何度も整え、ルーズサイドテールにまとめた髪の先をいじくりながら、私は大きく深呼吸をした。
今日の私は、バイト代をはたいて買ったデニムのタイトスカートに、背伸びをしてリップまで塗っている。普段しないおしゃれをしてしまったせいで、なんとも言えない気恥ずかしさが付きまとっていた。
いつもの制服なら気にならないのに、結花がおしゃれをしてやってくると思うと、ありふれた格好はとてもできなかった。それでも、こんな格好で結花の横に立って「公開処刑」みたいにならないか不安でたまらない。顔の傷なんて関係ない。結花は、誰もが振り返るような美少女であることに変わりはないのだから。
「綾乃、お待たせ」
そうこうしているうちに、結花が現れた。
深いネイビーのロングワンピースが、初夏の風にさらさらとたなびいている。透け感のあるグレーのサマーカーディガンが、腕のラインをあざとく隠していた。公園の鮮やかな緑と、彼女の纏う「夜」のような深い紺色の対比が、息を呑むほどに美しい。
「ううん、今着いたところだから」
これは定番の返しだろうか。
実際には待ち合わせ時間の二十分ほど前には着いていたのだが、言わぬが花。
「よかった。……綾乃、今日も可愛いよ」
「ゆ、結花も、きれい。とっても」
結花が私の顔をまっすぐ見つめて、屈託のない笑顔で褒めてくれるから、私はいつもみたいに照れくさくなって、顔を伏せてしまう。
「ふふ、ありがと。それじゃあ行きましょ」
私たちは並び立って、歩道へと踏み出した。
雨でも晴れでも関係なく遊べるからという理由で、今日は映画館に行くことになっていた。
繁華街には大きなシネコンが三つあるが、向かうのはスカイタワーという超高層ビルだ。そこには『リーブルシネマ』というミニシアターが入っている。
私たちの自宅からは徒歩圏内のため、ゆっくり歩いて向かうことにした。
「うちの学校の卒業生が初監督した映画が上映されるんですって」
鞄から出したフライヤーを手に、結花はニコニコと上機嫌で私の左隣を歩く。
この街の学校で育った監督の作品を、この街の映画館で観る。映画の内容がどんなものであれ、それはきっと特別な体験になるだろう。私も内心、楽しみにしていた。
「リンネ先生も確かうちの学校出身だし、もしかして金蓮って文化方面に強いのかな」
「リンネ先生って?」
結花が小首を傾げる。
「結花、知らないの? 私が好きなホラー小説家だよ」
「ホラーかあ。あたし、あんまり読んだことないのよね」
「じゃあ、今度貸すよ。あんまり怖くないやつ」
「うん。綾乃が好きな人の本なら、読んでみたい」
はにかむ結花に、私の心臓はまたどきりと高鳴る。
結花は、可愛い。最近、そんな当たり前のことを実感する機会が増えすぎている。
もし顔に傷がなければ、どこかの事務所にスカウトされ、あっという間に芸能界を席巻し、たちまちトップアイドルまで上り詰めていただろう。
だからこそ、私はもっと自分の罪に自覚的にならなければいけない。
世界で一番の美貌を損ねた罰は、きっと命を懸けても贖えない。
仮に私が自分で同じような傷をつけたって、まるで釣り合わないのだ。自殺なんてもってのほかだろう。結花自身が一番満足する方法で、私に復讐を果たしてもらわなければならない。
そんなことを考えていると、不意に結花が私の顔を覗き込んできた。
「貸すといえば、綾乃。この間の小説はどうだった?」
「うっ……。あれね」
頬を染めて顔を逸らす私を見て、結花はニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべた。
「ふふ、綾乃にはちょっと刺激が強すぎたかしら」
「……まさか、結花。からかったの?」
「ふふ、さあねえ。どうだった? 気に入ったプレイはある?」
「プレイって……もうっ!」
こ、こいつ……! 宿題とか言いつつ、私の反応を見て楽しむためにあの本を渡したな!?
ぐぬぬ、普通なら怒るところだろうけれど、私は結花に逆らえない。ここは怒りを抑えて耐えるしかない。そんな私の様子をどう解釈したのか、彼女は私の左腕にぎゅっと抱き着いてきた。豊かな胸が私の二の腕に触れて、脳裏に数日前に見てしまったあの夢の光景がよみがえる。
「ふふ、綾乃、顔真っ赤。かわいい」
「~~~~っ!」
「ふふ、ごめんてば。許してよ、あ・や・の」
結花はさらに私の腕を引き寄せ、あろうことか耳元にふーっと息を吹きかけてきた。
「ひやぁっ!?」
「あはは! 綾乃、あなた本当に可愛いわね」
「むぅ……っ」
くそお、これがきいろならズタズタになるまで反撃してやるのに。
結花が相手では、私はただされるがままになるしかない。
「ねえ、綾乃。怒ってるの?」
私が自分を抑えてロクに反応を返せないでいることに不安を感じたのか、結花は眉をひそめながら、上目遣いに私の顔を覗き込んできた。
うう、可愛い。その角度は反則だ。なんだか最近、傷が見えても罪悪感に押しつぶされるより先に、最強の可愛さに心がジャイアントスイングされてしまう。
「怒ってないよ。結花が可愛すぎて、見惚れてただけ」
「あら。嬉しいこと言ってくれるじゃない。このこのーっ」
半分本心、半分リップサービスだったが、こんな言葉でも結花の顔はパッと明るくなり、私の頬を人差し指でつんつんとつついてきた。
はあ、全くどこまで可愛いんだ、このお姫様は。
私はこんな調子で、スカイタワーにたどり着くまでの二十分間、ひたすら彼女に翻弄され続けるのであった。




