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エピローグ

 執刀医の先生が、銀色のハサミを包帯の隙間に差し込んだ。


「少し音が響くよ」


 チョキ、という重たい音が彼女の耳元で鳴っている。結花は静かに、その時をじっと待っていた。切り刻まれた白い布が、看護師さんの持つトレイに次々と吸い込まれていく。

 その様子を、私と結花のお父さんはベッド脇で、固唾を飲んで見守っていた。


 結花の長かったエキスパンダー治療も終わり、今日は再建手術後の包帯が初めて取れる日だ。

 普通は家族しか立ち会うことができないけれど、結花とお父さんが主治医の先生に強く頼み込んでくれたおかげで、私もこの場にいさせてもらうことができた。


 大丈夫、きっと、うまくいっている。

 私は祈るような気持ちで、結花の顔を覆っていた「壁」が剥がれていくのをじっと見つめていた。

 やがて、すべての包帯が解かれる。


「準備はいいですか?」


 介助していた看護師さんが、少し大きめの手鏡を結花に手渡した。

 結花はゴクリと唾を飲み込んで、手鏡を受け取る。その指先は、微かに震えていた。


「大丈夫だよ」


 私は結花の手をそっと支え、彼女の瞳を見る。

 不安そうに揺れる視線。私は微笑んで、深く頷いた。二人で一緒に、ゆっくりと手鏡を裏返す。


「これが、あたし……?」


 左頬にそっと手を添え、声を震わせる結花を、私はたまらず抱きしめた。

 先生やお父さんの前だけれど、そんなことは関係ない。


「綺麗だよ、結花」

「――うん」


 いまにも涙がこぼれ落ちそうな結花が、ゆっくりと頷いた。

 彼女の肌にはまだ縫い目が残っていて、少し赤く腫れてもいたけれど。

 そこには、私にとって世界で一番可愛い女の子が、確かに笑っていた。

 愛しい結花。誰よりも綺麗な、私の恋人――。


◆◆◆


「ねえ、結花。どこへ行きたい?」


 包帯が取れてから二日。

 無事に退院した彼女と一緒に、残り少ない冬休みを堪能するため、正月気分が抜け始めた繁華街を歩く。

 結花は手術のためにクリスマスも正月も病院で過ごすことになった。その分を取り戻すため、彼女を目一杯楽しませるのが今日の私のミッションだ。

 いつもの賑やかな街が、今日は特別に輝いて見える。


「やっぱり、まずは美容室かな。綾乃は、あたしにどんな髪型にしてほしい?」

「髪型? 結花ならなんでも似合うと思うけど」

「だーめ。綾乃の好きな髪型がいいの」

「そうだなあ」


 せっかくなので、真剣に考えてみる。

 手術後の結花の顔には、結局細い縫合の線が残ってしまっている。これは、火傷の跡を切除して新しい皮膚を縫合した以上、仕方のないことだ。

 けれどメディカルメイクでその跡も綺麗に隠されていた。今の彼女は、誰が見ても文句なしの美少女だ。

 ショートボブでも、ウルフカットでも。いっそこのまま伸ばしてストレートの姫カットもいいし、三つ編みだって……。

 うーん、迷う。でも、やっぱり。


「じゃあ、今のまま前髪だけ整えてもらおうかな。急にイメチェンして、クラスのみんなが結花に惚れちゃったら困るし。ただでさえ美の化身なんだから」

「綾乃、あたしのこと持ち上げすぎ。メイクを落とせばあたしの顔はブラックジャックみたいなんだよ?」

「あそこまでツートンカラーじゃないし、それ以前にBJ先生はめちゃくちゃ美男子だよ。結花も同じ! 傷があってもなくてもきーれーいーなーのー!」

「はいはい。じゃあ、前髪だけ整えてもらうことにするね」


 結花は呆れたように笑って、自分の髪に触れた。

 今はカチューシャで留めているけれど、下ろせばまだ顔の左半分を隠せてしまう。思えばこの前髪は、私にとっては花嫁のヴェールのようなものだったのかもしれない。

 だとしたら、もう必要ない。誓いのキスは、もう済ませたもの。


「髪を整えたら、デパコスを見に行きたいな。服も見たいし、アクセサリーも。カバンにつける小物も欲しいし、おしゃれなカフェにも行きたい。それから――」


 子供のようにはしゃぐ結花。まるで、小学生の頃の彼女がそのまま帰ってきたみたいだ。


「……あのね、綾乃」


 不意に、結花が私の右肩にぴたりと体を寄せてきた。


「あたし、まだちょっとだけ不安だから……今日一日はまだ、左側にいてもらってもいい?」

「もちろん。言ったでしょ? 私が結花の左にいてあげるって」


 私は結花の左手を握り、微笑みで返した。傷があろうとなかろうと、私は一生、彼女の隣に立ち続けると決めているんだから。


「ありがと、綾乃。だいすきよ」

「私も。結花のこと、大好きだよ」


 もう、私の弱さが彼女の言葉をかき消してしまうことはない。

 この先、意見が合わなかったり喧嘩をしたりすることもあるだろう。周りの偏見に苦しむこともあるかもしれない。

 けれど、右だろうと左だろうと、私はこれからもずっと、結花の隣にいる。



「あ、ねえ綾乃。クレープ食べよ」

「いいね。あそこの、美味しいんだよね」


 通りがかったクレープ屋に立ち寄り、テイクアウトを注文する。私はいちごとカスタード。結花はチョコバナナ。


「ねえ、覚えてる? 昔、綾乃のお母さんに連れられてここに来たときのこと」

「ああ、あったね。ずっとあるよね、この店」

「あのときさ、綾乃があたしのクレープ、勝手に一口食べちゃったの、覚えてる?」

「え、そうだっけ?」

「なに、覚えてないの?」

「うーん……そんなことも、あった……かな?」

「もーっ……えいっ!」

「あ!」


 ぱくり。

 結花は私のクレープ……よりによって、一番上に乗っていた一番大きないちごを、一口で食べてしまった。


「ゆ、結花ぁ!?」

「ふふ。いつか復讐してやろうと思ってたんだから」

「そんなぁ……!」


 嘆く私に、「ごめんごめん」と笑いながらチョコバナナのクレープを差し出してくる結花。

 なんだ。幼馴染で元親友のあの子は結局、私に復讐したかったみたい。

 お互いの笑い合う声が、冬の寒空に消えていった。






『幼馴染で元親友のあの子は私に復讐したいはずなのに!』

 <完>


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