第十四話 健やかなるときも、病める時も
「――結花」
「……綾乃」
私たちの思い出の、あの小さな公園に、結花はいた。
ブランコに座って、気が抜けたように、呆然と空を眺めている。
「ゆか、よかっ、た……やっと、みつけ――」
結花の家からここまで全力疾走してきた私は、膝を震わせ、息も絶え絶えに彼女へ近づく。
「ちょっ、綾乃!? 大丈夫? 水、いったん水飲んで!」
結花は公園のすぐ近くにあった自動販売機に駆け寄ってペットボトルの水を一本買い、私に手渡した。私たちは公園のベンチに横並びに座り、水を飲み、呼吸を整える。
「落ち着いた?」
「ああ、うん。大丈夫。ちょっと、落ち着いた」
まだ若干呼吸がゼイゼイするけれど、なんとか話ができる状態にはなった。
……我ながら、そそっかしいというか何というか。一刻も早く結花と話がしたい一心で走ってきたのに、結局こうして息を整えていたら、歩いてくるのと大して時間は変わらなかったじゃないか。
「あのね、結花」「あのさ、綾乃」
話を切り出そうとしたら、結花も同時に声を上げた。声が重なり、思わず視線が絡み合う。
「えっと……」
「そっちから、どうぞ」
「いや、結花から」
「ううん。綾乃から言って」
「「……」」
だめだ。なんだか気まずさが高まっていく。
結花の顔を見ると、彼女は伏し目がちに黙り込んでしまった。
このまま私も黙ってしまっては、何も始まらない。改めて、こちらから話を切り出すしかなかった。
「えっと、休んでたの? 大丈夫?」
「うん。体は……なんともないの。ただ、綾乃と会うのが、ちょっと気まずくて」
「……ごめん」
「なんで謝るの! あたしが悪いのに」
結花は今にも泣きそうな目で、私を見た。
ああ、違うのに。そんな顔をさせたくてここに来たんじゃないのに。
「違うよ……悪いのは、私」
「どうして? どうしてそこまで自分を責めるの? 綾乃は何にも悪いことしてないのに」
「したよ。だって私、結花が命がけで守ってくれたこと、さっきまで忘れてたんだ」
「え――?」
「結花に怪我させたって罪悪感で、記憶に蓋をして……結花に傷を与えた加害者として、結花の言うことをなんでも聞けばいいって思ってた。結花が私に復讐してくれたら、そんな罪悪感は消えて、初めて結花と対等になれるって思ってた」
「綾乃……」
「馬鹿だよね。本当に必要だったのはそんなことじゃない。私が一番最初に言わなきゃいけなかったのは、そんな言葉じゃなかったのに」
私は結花の両手を包み込み、その瞳をまっすぐに見つめた。
潤んだ右目と、前髪に隠れた左目も。結花と、本当の意味で向き合うために。
「結花、私のこと守ってくれて――助けてくれて、ありがとう。それから、忘れてて――ごめんなさい」
「――いいよ」
掠れた声でそう言って、結花は私の体を強く抱きしめてくれた。
「いいよ。あたし、綾乃のことだいすきだから。何でも許してあげる」
「――うん」
「あたしの方こそごめんね。あの事故のことで、綾乃がずっと苦しんでいたのに、気づいてあげられなくて」
「――いいよ、私も。結花のこと許してあげる。だって、だって――」
私も結花の背中に手を回し、その細い体を抱きしめ返す。
思えば、仮にも恋人になったのに、私は結花にこの言葉を一度も言っていなかった。言ってはいけないと思っていた。こんな想い、許されるはずがないと思っていた。私には、結花を幸せにする資格なんてないと思い込んでいたから。
でも、それでも本当は、私はずっと前から、結花のことが――。
「私も、結花のことだいすきだから」
結花の手に、ぐっと力がこもる。私の肩に、彼女の涙がぽつぽつと熱を持って落ちてきた。
「ばかぁ……」
「うん。馬鹿でごめん」
「謝らないでよ……ばか」
「じゃあ、どうしたら許してくれる?」
「もう一回、言って」
「結花、大好き」
「足りない」
「結花。大好き。大好き。大好き。キミのことを、世界で一番、愛してる」
「ばか。あたしも、綾乃のこと愛してる」
自然と腕の力が緩まり、私たちは顔を見合わせて笑い合う。そして、そのまま吸い寄せられるように、当たり前みたいに唇を重ねた。
結花の、熱くて甘い唇。私の身も心も、甘く溶けていく。
再び強く抱きしめ合って、お互いの体温を、想いを、思う存分に確かめ合った。
◆◆◆
「あのね、綾乃」
夕闇の迫る公園のベンチで、結花は私の太ももに頭を乗せて横になっていた。
「なあに、結花」
「あたしたち、今日からまた、やり直さない?」
「今日から?」
「うん」
結花は私の手を取って、指先をおもちゃみたいに弄ぶ。
「だって、お互いに『好き』って伝え合えたのは今日が初めてじゃない。この間までのあたしたちはやっぱり、本物の恋人同士じゃなかったように思うの。だから改めて。今日が、あたしたちの記念日」
「ふふ、結花って記念日とか気にするタイプなんだ」
「気にするよ。だって、綾乃ともう一度出会えてからは、毎日が記念日だもん。……今日は、本物の恋人になった記念日」
「……そうだね」
私の方から、結花の指に自分の指を絡める。ぎゅっと、力を込めて恋人繋ぎに握った。
結花の左目と、視線が合う。私は彼女の体を優しく起こし、正面から向き合った。
「綾乃……?」
「じっとしてて」
私は、結花の顔の左半分を隠している前髪のヴェールを、手の甲で丁寧にめくり上げた。
痛々しいケロイド状の傷跡が、夕陽に照らされて露わになる。けれど、もう怖くはなかった。この左目は、ずっと私のことを見守っていてくれた瞳なのだと気づいたから。
「健やかなるときも、病める時も。結花を愛し、敬い、慈しむことを誓います」
そう言って、私は結花の左頬に口づけた。
普通の頬のような柔らかさはなかった。少しだけ盛り上がった、滑らかで硬い質感。まるで熱で溶けて固まった蜜蝋に触れているような、不思議な弾力が唇に伝わる。
唇を離すと、結花の顔は耳まで真っ赤に染まっていて、彼女は恥ずかしそうに目を伏せた。
「それじゃ恋人じゃなくて、結婚するみたいじゃない。ばか」
「いいじゃない。どうせ一生一緒にいるんだから」
「ばか……」
結花は改めて顔を上げ、私の目をまっすぐに見つめ返した。
「健やかなるときも、病める時も。綾乃を愛し、敬い、慈しむことを誓います。……これでいい?」
「うん。ずっと一緒にいようね、結花」
「ばか。あたりまえじゃん……」
空が真っ赤に燃え上がり、公園の街灯がぽつりと灯り始めた頃。
私たちはもう一度唇を交わし、強く、強く抱きしめ合った。




