世界と自分の温度の差
最近、理想と現実の区別がついていない人間が増えたように見える。
動画のコメント欄を開けば、
「私ならこうするのに」
「こうしたら良いのに」
そんな軽い言葉がいくらでも並んでいる。
まるで人生の正解を全部知っているかのように、
まるでどんな人間にも同じ手順が通用すると信じているかのように。
私はそれを見るたびに、胸の奥が少しざらつく。
人間は、そんな簡単にまとめられる生き物じゃない。
育った家の空気も、聞かされてきた価値観も、
怒られ方も褒められ方も、
守られた量も傷ついた量も、
みんな違う。
その違いが積み重なって、
考え方や行動の癖や限界が形づくられる。
それなのに、誰もが同じように動けると思っている人が多すぎる。
そして、自分の中の“普通”を、世界の常識と錯覚してしまう。
たまに本気で、
「いつか世界から戦争はなくなる」
なんて言う人がいる。
願う気持ちは否定しないけれど、
世界はそんなに素直でも綺麗でもない。
人間が人間である限り、衝突は完全には消えない。
それを知らないまま希望だけ掲げる姿を見ると、
その幼さよりも、世界を知らないことの怖さの方が気になってしまう。
あなたの家が幸せだったのは、
あなたが幸運だったからだ。
それ以上でも以下でもない。
その“恵まれた環境”を平均だと思い込むのは危険だ。
自分の当たり前を他人に押しつければ、
相手の傷を見過ごしたまま正論を武器にしてしまう。
理想を語ることが悪いわけじゃない。
ただ、現実を知らずに理想だけ掲げる人間が増えたとき、
世界は少しずつ歪む。
自分の基準しか見えなくなった若者や大人が増えれば、
その歪みはもっと大きくなる。
正しいつもりの言葉ほど、
人を傷つけるものはない。
そんなことを思いながら、私は画面を閉じる。
軽々しく世界を語る声に溺れないように、
自分の呼吸だけを確かめるように。
理想と現実の距離を知っているというだけで、
少しだけ世界の温度が正しく感じられる気がした。




