第十話 黒曜の姫
「……あー」
眼を擦って背伸びをする。寝ぼけた頭はまだ、回転していないが顔を川で洗って水で流す。
あの三人との戦闘から数日が経った。少女に目覚める気配は無い。
心配ではあるが、こればっかりは俺にはどうしようもない。
「はぁ……」
心配と困惑が合わさってため息が出る。この子から長い間、目を話すわけにもいかないため最近はあまり動けていない。
お陰で暇だ。暇すぎてハンモックを作ったりして生活環境を整えてしまうくらいには暇である。
この近辺には魔物も人間も居らず小動物や虫が時々、姿を見せる程度である。そんなこんなでそろそろ目覚めてくれませんかねぇ。
「……ん?」
おや?
噂をすれば何とやら。俺の作った簡易ベッドで寝ている少女はゆっくりと起き上がりそして、陽の光に目を細める。何だろう、絵本の中の御姫様みたいだな。
っと、いつまでも呆けている訳にもいかない。ススっと気配を消して少女に近づく。
「?!」
寝ぼけ眼を擦っている少女は徐々に見覚えのない景色を認識し始めたのかきょろきょろと周りを見渡している。俺は丁度、死角になる位置に陣取って一通り見渡し終わるのを待った。一しきり確認し終わると簡易ベッドからは降りようとする。
「こんにちは。嬢ちゃん」
些かおっさん臭いような気がするがこの際気にしない。挨拶を聞いた少女はビックと肩を震わせ驚いたような表情になる。
が、直ぐに飛び退いて何処からか取り出した鎌を俺に向けてくる。
「ちょっと待て。驚かせてしまったことは謝るから少しお話をしよう」
調子に乗ったかもしれない。少しこの子を驚かせてやろうと思って死角から話しかけたのだが、予想以上に警戒されている様だ。
「俺には戦う意思はない」
両手を上げて降参を示す。
しかし、少女は鎌を降ろさず此方に突きつけてくる。
「そのまま話せ」
「……!!」
少しためらった後、少女が口を開いた。声は思っていたよりも低く何というか時間を感じさせる。面食らって言葉がとっさに出なかったが一つ、息を吐いて落ち着く。相手からは変わらず殺気と敵意がありありと感じられるが、それでも多少は話を聞く気はあるのだろう。
俺は慎重に言葉を選んで話す。
「分かった。このまま話すとしよう」
手を上げたまままっすぐに少女を見据える。相手も睨むように俺を見つめ返してくる。
「まずは自己紹介だな。俺はエルリア・グレイシス。お前は?」
「私はヴェル。ヴェル・ソリティア」
ヴェル・ソリティア……ヴェルか。
「ヴェル、でいいか?」
無言で頷き此方に先を促してくる。名前で呼んだらダメかと思ったが案外そんなことはなさそうだ。
「ヴェル、話す前に一つ聞きたいのだが君は何処まで記憶がある?俺と戦ったことは覚えているか?」
「ええ、しっかりと覚えているわ」
良かった。これなら面倒な説明をすっ飛ばして本題に入ることが出来る。
「なら、この状況にもある程度、推測が付くのではないか?」
そう言うと少し視線を下げる。多少、混乱しているのだろう。幾ら頭が良くても起きて急に殺し合いしていた奴がいて森の中で寝かされているなんて状況に置かれれば多少は混乱するものだ。
「貴方に私達を害す気はないと?」
「ああ。そうだ。正確に言えば君だけだが」
俺が言い換えればヴェルは怪訝な顔を向けてくる。しかし、直ぐに思い出したのかハッとしたような顔になる。さっきまでは敵意に満ちていたが今は少しの恐怖と大きな警戒があった。
「まさか……あの二人を」
「殺したよ」
きっぱりと言い放つ。特段、隠し立てするようなことでもあるまい。ヴェルの言葉を遮るようにして言う。
その時のヴェルの顔は何とも形容し難かった。憎しみと後悔と喜びと怨嗟が詰まったような。
「その上で君を殺すつもりはない」
必要以上に殺気立たせてしまったがそのまま続ける。チクチクと肌に刺さるかのような圧力がかかっているのが分かるがそれでも、あの二人に比べると見劣りする。
何でもないかのように本心で話す。
「君には支配の魔道具が使用されていた。あの時の君は本心で俺と殺し合いをしていたわけではない」
「だからと言って……」
殺さない理由にはならない。確かにそうだろう。一度、自分を殺しに来たのだ。二度目がない保証はどこにもない。
それでも、俺はこの子を殺すつもりはない。
何であれ支配されていたのだ。例えるなら人を殴れとプログラムされたロボットが人を殴ったらそのロボットが悪くなるのか?という話だ。何が言いたいかと言うと二度目はない。
一度は許す。しかし、圧倒的な力量差を見せて尚、殺しに来るというのであれば好きにすればいい。
何より、ここで殺してしまっては折角の現地人が居なくなってしまう。実力があって外見年齢も近く、見目も麗しい。
端的に言えば気に入った。だからこそ、殺さない。相手が、俺を害さないのであれば。
「……でも、私は、案内役なんてできるほどモノを知らない。だから、ガイドなんて」
「そこまでは求めていないさ。この世界での常識と魔法と異能の使い方くらい教えてくれればいい」
「そのくらいなら、出来る……そんなことで、いいの?」
ゆっくりと鎌を降し警戒を緩める。本心を話したこともあって多少、心を開いてくれたのかもしれない。それから躊躇いがちに口を開いた。
「本当に……私を?私なんかといていいこと、無いと思うけど」
「知らねぇよ。お前の過去に何があったとか、どんな奴だとか俺はほとんど知らない」
ヴェルは悲しそうに顔を俯ける。泣きそうなくらいに顔を歪め拳を握りしめた。
「何があったか知りたくない訳じゃない。でも、今に限ってはどうでもいい」
「どう……して?」
顔を俯けたまま俺に聞いてくる。さっきほどしっかりとした声でもなく蚊の鳴くようなか細く頼りのない声だった。今にも消えてしまいそうなほどヴェルは弱弱しく見えた。
相当、過去の記憶にトラウマでもあるんだろう。だとしたら悪いことをしたかもしれない。もったいぶったりせずにさっさと結論を言うべきだったかな。
「俺には今、頼れる奴がお前しかない。お前しか、頼れないんだよ。ヴェル」
そうだ。俺には何より、頼れる人間がいない。これから人里に行ってもうまく関係を築けるかと言われれば自信は無い。元々、コミニュケーションは苦手ではないが得意でもない。
そんな中、ヴェルが居たんだ。気に入ったとか、ガイドとかそれ以前に俺が頼れる人間がヴェルしか居ないんだ。
俺は、昔から人に頼るのが好きだった。自分でやらなくても他人がやってくれるから。
それ以上に、自分の頼みを聞いてくれる信頼関係が好きなんだ。
勿論、借りた分は俺もしっかり返している。そうやって作った信頼関係を感じられる。
そして、これから信頼を築く足掛かりにもなる。
それを聞いたヴェルは目を見開いた。眼からはぽろぽろと涙が零れていた。俯いていた顔は上がって俺の事を凝視している。
「だから、頼む。一緒に来てくれないか?」
そう、過去なんて関係ない。いつだって最初は何も知らない。それに、意外と第一印象ってのは意外と本質を射ている事があるもんだ。
だから、俺はこの子を信じてみたい。
例えそれが俺を殺しに来た少女でも俺は自分の直感を信じる。




