出会い
頬を撫でる冷たい風に目を覚ます。
「……あれ、俺…」
辺りをキョロキョロ見渡す彼の目には戸惑いが映っている。なぜこんなところにいるのだろうか。彼は痛む体を起こしながらふらふらと立ち上がる。
頭をフル回転させても何も思い出せない。
彼の長いため息が宙を舞って空に消えていく。
「…夜…なのか……」
見上げた上空に浮かぶ大きな月が彼を包み込むように照らす。暖かいような冷えるような、不思議な感覚から逃れるようにゆっくり歩き出す。
何も無い空間、唯一の月の光を頼りに足を進める。
「……一体どこなんだ…ここは…」
見慣れない景色に募る不安。そしてなにかの足音が彼に向かって近づいて来ているようだ。
彼の頭に警告音が鳴り響く。これはきっと"人間"ではない。しかし逃げなければダメだと思えば思うほど言うことを聞かない体。そんな彼の前に今にも噛み殺してやると言わんばかりに大きな口を開けた得体の知れない存在が姿を現した。
今逃げても間に合わないであろう奴との距離に唾を飲み込む彼の喉仏が緊張したように動く。
諦めて座り込んだ伊吹の耳に届く風を斬る音と共に、うめき声をあげて倒れる怪物の頭にはナイフが突き刺さっていた。一瞬の出来事に周囲を警戒する。
「大丈夫?危なかったね。」
虚ろな目で声がする方に視線を向けると軽く微笑みながら安否確認する男性が目に入る。彼の後ろにもう1人いるようだ。
「…君もここに?実は僕たちもなんだ…名前は?」
「…伊吹…」
「伊吹か…僕は蒼乃。そしてこっちは緋色。」
緋色は守るように蒼乃の前に立ちはだかり、鋭い視線で伊吹の頭の先からつま先の先まで観察する。
自分以外にも人がいた事に安堵する伊吹。ほっと胸を撫で下ろす。
蒼乃は緋色を後ろに下がらせ、座り込む伊吹を立ち上がさせる。そして彼の服についた砂を払ってあげながらゆっくり口を開いた。
「伊吹くん、ここに来たのは何故かわかる?」
「いや、わかんねぇ…何も思い出せないんだ」
「うーん。どうやら僕たちと同じみたいだね。僕も緋色もここに来る前の記憶が無いんだ。だよね、緋色」
蒼乃の言葉に静かに頷き軽く頭を下げる。
「はい。おっしゃる通りです。私も記憶がありません。」
「はぁ…記憶喪失ってこと…?それもみんな?そんなことあんのかよ…」
「…あるかもしれないし、ないかもしれない。少なくとも今はあるんだ。はは、不思議だね。」
「意味わからねぇ…」
力なく答える伊吹。蒼乃は安心させるようにポンポンと肩を叩く。
「不安になっても何も解決しないよ。前向きに考えないと。1人じゃないだろ?3人もいるんだ。きっとどうにかなるって。それに…なんかワクワクしない?記憶喪失の3人、知らない場所、得体の知れない怪物…」
ニヤニヤする蒼乃を奇異の目で見つめ、さり気なく距離をとる。助けてくれたのはありがたいがあまり関わりたいとは思えない。そんな伊吹を見た緋色が胸ぐらを掴む。
「そんな目で蒼乃さんを見るな。しかもお前は助けてもらっておいてお礼もないのか?蒼乃さんがいなければ死んでたぞ。さっさと頭を下げろ。」
「…え?あぁ…」
このままでは殺されそうな眼差しに動揺し、急いで頭を下げる伊吹。蒼乃はそんな緋色を見て呆れたように首を振る。
「…とりあえず話せるところに行こう。ここにずっといてもどうにもならない。また怪物が来るかもしれないし。まぁ、歩いていれば何かしらあるだろう。少し休もう。」
怪物の頭に刺さったナイフを抜き取って歩き出す蒼乃に2人はそっと頷く。目的のない彼ら、奇妙な場所。
3人はただひたすら前に進んでいく。