2話 生きてくため
「『受け取れい!』って何?あのジジイ最後、『受け取れい』って言ってたよな。何ももらってねえよ。まあ、いいや」
俺はとりあえず、クロスクメのジジイが言ってたゴーザの街へ向かうことにした。
ちょうど朝日の中に『ゴーザ→』の立て札が浮き上がってきた。
不思議と身体が軽く、草原を駆け抜ける風が心地良かった。
俺は長い髪を風になびかせて颯爽と歩き続けた。
(ちょっと待て、……俺に髪はないはずだ。あれ? 服も着てる? さっきまでパンツ一丁だったよな?)
道の先に、小さな橋が見えた。
(川だ! 川がある!)
俺は全力でダッシュする。
既に頭頂部を触って、確信があったのだが……
(見たい! この目で確認したい!)
橋の上から、身を乗り出す。
「オ~~~! 髪よおおおおおおおお!」
俺は涙を流して叫んだ。
水面に写ったのは、16才ぐらいの俺だった。
額と頭頂部のハゲがもう少しで合体するところだった俺は、実のところ、ハゲ防止の薬を飲み続け、インポになってしまい、近年はメンタルをやられていた。
今、あのジジイ……いや! 『髪様』に心から感謝している。
顔も元々より整って、背も伸びた気がする。
ただ、少し体型が細すぎたが、文句は言うまい。
(なんということでしょう~♡)
気を良くした俺は、不安を忘れ、意気揚々と町を目指した。
(考えてみれば、さっきの立て札は異世界語だったよな。『髪様』はちゃんと必要な知識も与えてくれたんだな)
歩きながら、改めてクロスクメの神に感謝した。
のどかな景色を眺めながら歩く。
この世界に来て良かったのかも。
そう思いかけていたが、そんな気持ちは直ぐに消えることになった。
ルンルン気分で口笛を吹いて歩いていたが、俺はピタリと止まる。
…………。
一気に顔面から血の気が引いていく。
それまでの楽観的な気持ちが一瞬で恐怖に叩き落される。
眼前の道が真っ赤に染まり、人の身体の一部が散らばっていた。
何か巨大な猛獣が食い散らかした、そんな感じだった。
馬や馬車のものと思われる残骸も同様にあった。
「……うっ! オウェエエエエエエッ!」
俺は膝を折り、その場にゲロを吐く。
(ヤバイ。……ヤバイ! ヤバイ!ヤバイ!)
俺は心臓の辺りを両手で鷲掴み、押さえつける。
(落ち着け! 落ち着け!)
目を閉じて深呼吸する。
(……まだ、近くにいるかもしれない)
俺は落ち着いてあたりを見回した。
( !!! )
目ん玉が飛び出そうになる。
(何だよ、あれは……)
この惨事を引き起こしたであろう化け物は直ぐに分かった。
森の影から巨大な蛇の、否、恐竜の尻尾と思われるものがはみ出している。
(ふざけんなよ、あのジジイ。何が『比較的安全』だよ)
馬車の残骸に身を隠し、静かに観察するが動きがない。
微かに気味の悪い寝息が聞こえる。
(餌を喰らって昼寝か? 今なら静かに移動すれば気付かれずに通り抜けられるかもしれない! よし! 街までそう遠くはないはずだ。行くしかないな)
俺は腰を落とし、つま先でゆっくり歩き始めた。
尻尾の直ぐ横に差し掛かると、どんどん鼓動が早くなる。
(デ、デカイ! どんなバケモンだよ……)
どんな姿なのか全容を見てみたい気もしたが、今はそんな余裕はない。
まさにビルの屋上で綱渡りしている心境だった。
少しずつ、化け物との距離が離れて行くにつれ、走り出したい衝動に駆られる。
(まだだ、焦るな、焦るな!)
俺は流行る気持ちを抑えて、静かに歩く。
100mは距離をとった辺りで、少しずつ、安堵の気持ちが大きくなる。
(よし! 今だ! いっきに走り抜けるぞ!)
そう思って、俺は全力で駆け出す。
しかし、直ぐに嫌な予感がした。
振り返ろうとするのと同時に、足に何かが絡まり盛大に転んだ。
(ゲッ!)
足には6mくらいの大蛇が絡まって、鎌首を上げていた。
しかし、俺の注意は直ぐに森の方へ向けられた。
木々が倒れる豪音と同時に化け物の上半身が森の上空に現れる。
『ま~だ、いたのね~』
(ぎゃあああああ! ふっ、ふざけんな! 何だあれはよ!)
50mはありそうな大蛇の頭部に巨人女の上半身が付いている。
女の肌は気持ち悪い黒緑色で長い髪で顔が覆われている。
時々見える目玉は白目が無く、かなり大きい。
蛇女は木々を次々となぎ倒し、まるで空を飛ぶようにどんどん近づいてくる。
足に絡みついた蛇を振りほどこうと必死にもがいていると、蛇は自分から俺の足を離れた。
俺は直ぐに立ち上がろうとしたが、一瞬で蛇女の右手に握られてしまった。
全身の骨がきしみ内臓が破裂しそうだ。
「ゲッフ!」
全身に激痛が走り、口から血が出る。
「いい子ね~、よく捕まえたわ!」
蛇女が蛇を左手に乗せると、蛇は蛇女の身体に潜り込んで行った。
「……フ、フフ、ギャハハハハハハ!」
蛇女は、俺をまじまじと観て笑い出す。
鼓膜が破れそうだ。
俺は恐怖に震えている。
蛇に睨まれた蛙の気持ちが今なら分かる。
耳まで裂けるほど、大きく広げた口の喉奥に、さっき食われた人間の頭部がこちらを見ていた。
腐ったドブの臭いと血の匂いに吐き気がする。
(今度こそ終わりだ……この世界の女は俺になんの恨みがあるんだ? イカれた女神に蛇女……人の人生を踏み躙りやがって。糞が……)
「お前、勇者だろ? 異世界人の匂いがする。こんなところで上等な餌にありつけるとはな」
「……俺は、勇者で…は……ない。……ザマア」
俺は死にそうな声を振り絞って言ってやった。
「?……。確かに、お前からは何の魔力も感じいない。……この世界の人間ではなさそうだが……。まあいい。喰えば分かることだ」
女が口を大きく開け、俺に近づいてくる。
(歯がついてるな。丸飲みなら少しは痛くなかったろうにな。あの歯でしっかり咀嚼されるんだろうな……)
股間の辺りがギュ~っと締め付けられ、苦しくなる。
金玉が縮み上がっているのだろう。
俺は観念し、目を閉じた。
次の瞬間、爆発音がする。
「フギャア~!」
蛇女の悲鳴と共に俺の身体は宙に放り出される。
何者かが俺の身体を受け止めると、骨が折れている全身に激痛が走った。
「グアア!」
痛みで目を開けると、若い女が俺をお姫様抱っこして空中を舞い、着地するところだった。
女の甘い匂いがして、形の良い乳が脇腹に当たっている。
全身の痛みがなければ、この状況を楽しめるが、流石に今はそれどころではない。
周りを見回すと剣を持った連中がざっと10人程、蛇女を取り囲んで攻撃していた。
「ひどい怪我ね。今、楽にしてあげるわ」
そう言って女は俺を地面に寝かせた。
(楽にしてあげるとは、苦しまないように殺してあげるって意味か? だってこの怪我じゃ助からんだろうしな。同じ死でも蛇女に喰われるより、介錯してもらった方が1000倍いい)
俺はそう理解し目を閉じる。
(…………………ん? ……なんか痛みが引いてく)
気になって目を開けると、若い女は俺の身体に手をかざし、目を閉じている。
うっすら光っている。
「……まさか、魔法か?」
「そうよ。まだ動いてはダメ」
「はい」
素直に従った。
周りでは土煙が上り、戦車でドッカンドッカン撃ち合っているような爆音がしている。
(なんでやねん。チャンバラごっこで出る音じゃないだろ)
だいぶ意識と視界がハッキリしてきた。
女の顔を改めて見るとカワイイというより美人だった。
美人だが、どこか……懐かしい。
「さくら! そんなゴミ無視して、戦闘に入れ!」
男の怒鳴り声が聞こえる。
(おい、ゴミって俺のことか?)
「……ごめんなさい、行かなくちゃ。歩けるところまでは回復してるはずよ。すぐこの場を離れて」
そう言って美少女は土煙の中へ飛び込んでいった。
俺はしばらくその残像をぼーっと見ていたが、ふと我に返り、足を引きずりながらその場を離れた。
なりふり構わずに逃げる。
少しずつ、戦闘音が遠ざかっていく。
必死に歩いて、相当離れたはずなのに、まだ微かに轟音と金属音が聞こえる。
(あれじゃ本当に漫画じゃないか。痛っ。身体が熱い。視界が霞んできた。意識があるうちに、今はできるだけ歩こう)
ゴーザの町が視界に入る頃に、ようやく戦闘音は聞こえなくなった。
町の入口まで来ると俺は安堵からか意識を失った。
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ふと目を開けると、知らない天井が見えた。
「おや、気が付きましたか?」
目をやると、ふくよかなおばさんが立っていた。
「……ここは、どこだ。なんで俺は生きてるんだ? あれ? どこも痛くねえ……」
「ここは宿屋です。『止まり木』という。お客さんね、丸3日、寝ていたんですよ。」
「……丸3日」
「そうです。女の勇者様が町の入口で倒れているあなたを抱えて、うちに来たんです。あなたの傷を癒やした後、目を覚ますまで面倒を見てくれって。ああ、もうお代はもらってあるから」
「……蛇女! そう、蛇女は退治できたのか?」
「蛇女? もしかして魔王種のことですか?」
「魔王種?あれが……」
「ええ。そのことなんですが……その女の勇者様のせいで、魔王種を取り逃がしてしまったと、男の勇者様がひどく彼女を責めていたのをちょっと目にしてね。こんなことあなたに言うのもどうかと思ったけど……」
「……彼女は何処に行ったか分かりますか?」
「さあねえ、取り逃がした魔王種を追うと、男の勇者様が言っていたけど、詳しくは分からないわ。すまないね」
「いいえ、いいんです。ありがと」
「さあ、食事をどうぞ。それと後三日分の宿代まで頂いてるんでね、それまではゆっくりしていきなさいな」
「……そうですか」
俺は食事を受け取り、おばさんは部屋を出ていった。
(誰だか知らんが、大きな借りができてしまったな。『さくら』だっけか。いつか恩を返せるといいが……)
何処かで会った気がしたが、思い出せなかった。
(……ほう、コンソメスープみたいな味だな、これ。不味くはない)
ちょっと薄味だが、異世界でも味覚に大きな違いがないことに安堵した。
「は~。九死に一生を得たが、明日からどうすっかな~」
とりあえず3日の猶予はあるが、その先は路頭に迷うことになる。
(あんなバケモノに出会ったばかりだというのに、今度は生活と戦わなければならん。収入をなんとかしなければ、いずれにしても野垂れ死ぬ。生きるって本当にしんどいな)
ため息をついて、窓から町の景色を眺める。
思っていた通り小さな町だった。
町の端から端へ視線を向けて行くと『冒険者ギルド』の看板が目に入る。
どうやら宿屋の向らしい。
「薬草取り……やるしかないかよな」
俺は両手で頬をバチンと叩き、フンスと鼻息を鳴らした。
(この年でまた就職活動かよ……まあ、動くなら早いほうがいいな)
俺は宿屋のおばさんに外出することを告げ、向の冒険者ギルドに向かった。
思い切ってギルドのドアを開けると中には結構人がいた。
受付カウンターには何人か列をなして並んでいたし、掲示板の前にも人だかりができていた。部屋の奥はちょっとした休憩所になっていて、テーブルで酒を飲んでいる連中や何やら相談をしてる連中もいた。
(異世界のハローワークか。まずは登録だろ。それくらいは俺だって分かる)
俺は受付カウンターに並んだ。
何やら報酬の額で、並んでいた二人目の冒険者が揉めていたが、その後はスムーズに人がはけていき、割と早く順番が回ってきた。
「次の方」
受付嬢に呼ばれる。
うさ耳の可愛らしい女性だった。
(この耳は本物か?)
俺の視線はうさ耳に釘付けになった。
「チッ! 早くしろよ!」
そう言って、後ろの目つきの悪いガキが俺の足を踏んできた。
(痛っ。このガキ~)
俺は睨みつける。
「ああん? なんだテメェ!」
ガキは目を細めて威圧したように言った。
(俺は貴様より年上だ! まったくロクデナシはどこの世界にもいあがる! そうそう、最近やめたパートもこういう奴だった。ろくに仕事もできないくせに態度だけは一人前。だいたい……)
「あのー。後がつかえてます。ご要件は?」
うさ耳娘が困った顔で、俺の服を引っ張った。
「あ、ああ、すまない。登録して、仕事がしたい」
「ああ! 新規の方ですね。レミちゃ~ん、お願~い。新規の方~!」
「ハーイ!」
元気な声がして、カウンターの後ろのドアが開き、猫耳娘が出てきた。
「オラ! 早く行けよ! 新人!」
目付きの悪いガキが俺のケツを蹴り飛ばした。
俺は軽く吹っ飛び壁に激突した。
頭で星が回る。
「大丈夫ですか~?」
猫耳娘が俺を抱き起こす。
乳が俺の顔に当たっている。
「だ、大丈夫れ~す」
頭を振って、立ち上がるがクラクラする。
俺は一発やり返してやろうと、クソガキへ向かおうとすると、猫耳娘が、腕に抱きついてきた。
「さあ、こちらへ」
そう言って俺は別の部屋へ通される。
俺は目付きの悪いガキを睨みながら、カウンターをあとにした。
「私は新規の冒険者担当のレミと申します。災難でしたね~」
「ああ。俺はサトウ」
「サトウさん、いいですか? あの人とは関わらない方がいいですよ」
「……なんで?」
「ビンスっていう冒険者なんですけど、新人潰しで有名なんです。正直うちのギルドでも困っていて……」
「あんなヤツ登録抹消すればいいだろ?」
「そうなんですが、ああ見えて、あの人C級冒険者なんです」
「C級? なにそれ?」
「冒険者としての格を表しています。F級から始まり、A級が最上になります。例外として、勇者に匹敵する実力があれば、S級として扱われます」
「ふむ。FGDC。じゃあ、あのガキはまあまあ上の冒険者なのか……」
「そうなんです。ギルド側も新人潰しの証拠を探しているんですが、なかなか尻尾を出さないんです。証拠がない以上、裁きようがなくて……」
「なら、もっとランクの高い人に調査させればいいだろ」
「最近はこの街の近くでも、魔王種が目撃されていて、上級冒険者は警戒の為、ほとんど出払っていて、手が回らないんです」
(……あの蛇女か)
「どうかしましたか?」
「あ、いや。んで、登録はどうすればいいんだ?」
「先ずは、志望動機をお聞かせください」
「ん~?……生きてくため」