オーディション直前の控室にて
事務所からオーディション参加の打診が行われた日から一週間後、オーディション本番の日が訪れた。
「雪宮さん。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。未熟な身ですが、しっかりと皆さんのパフォーマンスを見させていただきます」
スタッフさんに挨拶をして、スタジオの控室で今日の進行表や課題を見ながら時間を潰していた。
歌もダンスも台本も、参加者の人たちは前日に課題を渡されたようで、たった一日でどこまで仕上げられるかも審査対象に入っているようだ。
とはいっても、歌とダンスは俺たち雪月花の曲のだし、動画など練習の材料は多いから、ちゃんとダンスと音楽をやっている人であれば最低限の出来には持っていけるだろう。
そして芝居も、パッと見た感じ長いセリフではないから、遅くとも一時間あれば全部セリフを覚えて演じられると思う。
正直、結構シビアだとは思うけれど、前日に代打として作品に出演することが決まることもあるから、これくらいできないとやっていけないという意図があるんだろう。
実際にもし俺や優斗、龍が同じことをやれと言われたら、何の問題もなく熟せると思う。
さてさて、どれくらいの人が最低ラインを乗り越えてこれるかな……。
なんてことを考えていると、控室のドアがノックされた。
そのノックに反応し返事をすると、ドアが開き、訪問者が顔を覗かせる。
「唯くん、お疲れ様。今いいかな?」
「ああ、絢さん。お疲れ様。どうぞ」
その訪問者は絢さんだった。
絢さんも今回はゲストの立ち位置なので、他の参加者とは違って別室を与えられていた。
彼女は失礼しまーすと入室して俺の対面へと座った。
「どうしたの? あと少ししたらオーディション始まるけど」
「いやーあはは。ちょっと緊張しちゃってさ」
絢さんは苦笑いしながらそう答えた。
「緊張ねぇ。ちなみに課題はどう? 歌とかダンスの振りやセリフはちゃんと入れられた?」
「あ、うん。それは大丈夫。前に唯くんから覚えるコツを教えてもらったし、ずっと歌もダンスも自主練してきたから」
もしかしたら課題を覚えられなくて不安だから緊張しているのかと思ったけれど、絢さんはあっさりとそれは大丈夫と告げてきた。
実際に歌もダンスもある程度型があるから、基礎がある程度固まっている人ならリズムの動きや音の動き、そして全体の流れで覚えることはそれほど難しくない。
その後に自分が苦手なところや気になるところをブラッシュアップして完成度を高める工程に移る。
これは去年のうちから絢さんに教えていたことで、彼女はずっと忘れずに基礎を磨いていたようだ。
「じゃあ、何が緊張するの?」
「ほら、私って今回トップバッターでみんなの指標になるわけじゃん? だからさ、この準備期間でその期待通りの完成度のパフォーマンスができるのかが不安でさ」
「なるほど。そういうことね」
俺の想像していたレベルの不安ではなく、人の見本になれるようなパフォーマンスができるかどうかの不安からくる緊張だったようでちょっと感心してしまった。
「気持ちはわからなくないけど、気負いすぎでしょ」
「でも……」
「夏の映画撮影や自分の未来が決まるオーディションを思い出してみて。それと今、どっちのほうがプレッシャーを感じる?」
「それは前者のほうが緊張したけど」
「それにさ、見本になる人が緊張してたら、後に続く人がもっと緊張するでしょ?」
「うっ……確かに……」
「だから、下手だったらどうしようとか、見本になれなかったらどうしようとか考えずに楽しんでやればいいんだよ」
俺は思ったことをそのまま絢さんに伝えた。
正直、例えここで絢さんが失敗したとしても、オーディションの結果にはなんにも関係ないし、むしろ過剰に緊張している人の緊張がほぐれるかもしれない。
ここで一番問題なのは絢さんの緊張が他の仮所属のメンツに伝染して、他の人たちのパフォーマンスの質を落としてしまうことだ。
気を引き締めさせるのと緊張を与えてしまうのは全く違う。
トップバッターの実力で気を引き締めつつ、緊張を解すならどうしたらいいか。
それは絢さんがパフォーマンスを楽しむこと。これが必要不可欠だ。
「俺が太鼓判を押してあげる。君は大丈夫。だから、審査とかカメラとか全部忘れて思いっきり今の絢さんを俺に見せつけてみてよ」
絢さんの手を握り、優しく彼女にそう告げた。
すると、彼女の強張った顔つきがだいぶ柔らかくなっていく。
「……うん、そうだね。今の成長した私を唯くんに見せるよ!」
「楽しみにしてるよ」
そして俺たちは微笑み合う。
「雪宮さーん、そろそろスタンバイお願いしまーす」
「あ、はーい。わかりましたー」
ノックと共にスタッフさんから声を掛けられ返事を返した。
「じゃあ私は自分の控室に戻るね」
「うん。またあとで」
そう言って絢さんは控室から出て行った。
俺も軽く身嗜みを整えて、スタジオへと向かうのだった。




