日常の象徴
「……わかった。それほど思い詰めて今のやり方に希望を見出しているのなら、もう止めろとは言わない。でも約束して。演技が終わったらすぐにいつもの絢さんに戻ってこれるように心がけると」
「え……」
唯くんは私の両肩を掴んで、少し苦い顔をしながらそう語り掛けてくる。
多分納得はいってないんだろう。
でも、私が上辺だけで唯くんの言葉に頷いて、芝居がぐちゃぐちゃになるくらいならと譲歩してくれたんだと思う。
「今の絢さんは、カットが掛かった後も、自分の出番がない時もずっと役に自分が乗っ取られていた。その証拠に俺が声を掛けた時も素っ気なかったし、水野さん相手には特にそう感じた。そんなのは絶対に認めるわけにはいかない」
「で、でも、役作りってそういうものじゃ……」
「それはちゃんと自分を持っている人がやることだ。役に引っ張られ続ける人がやれることじゃない。それに、もしこれから先君が同じ時期に色んな作品に携わることになったら、一つの作品の役を引っ張ったまま、他の役を演じるのかい?」
「それは……」
確かに唯くんの言う通りだ。
今回みたいなやり方で演じ続けるのは、これから先、長く女優をやっていくなかで障害になってしまう。
それこそ唯くんがいうように、同じクールで別の作品に出演することになった場合、今の方法に頼ることはできない。
でも、そんなにすぐに切り替えられる方法なんてあるのだろうか。
「じゃあ、どうしたらいいの? どうしたら役に潜ったままじゃなくて、いつもの自分に戻れるようになるの?」
今はそれ以上のショックがあったから素の自分でいられるけれど、もしあの再会がなかったら役に沈んでいたままだったと思う。
「切り替えるスイッチを作るんだ。何かを目印にするのでもいいし、自分の動作、例えば顔を叩いたり、目を閉じて深呼吸をするでもいい。そんなスイッチをこの撮影中に作る。それしか方法はない」
「スイッチ……」
「絢さんがいつもの絢さんに戻ってこれるような、そんなものはない?」
「私がいつもの私に戻ってこれるような……」
唯くんの言葉を考える。
私がいつもの私に戻ってこれるようなもの。
私の心の中で一番大きいもの。
それを認識したら、どれだけ深く役に入っていてもいつもの私に戻ってこれる。
そんな予感めいたものは感じる。
でもなんだろう。
私にとっての日常は、朝稽古をして、学校に行って、授業を受けて、友達と談笑して、レッスンを受ける。
それが私の今の日常。
そんな日常の象徴は……。
「唯くん、写真、撮ってもいいかな?」
「は?」
突然の私のお願いに、唯くんはちょっと間抜けな声を上げた。
いや、私もいきなり何を言ってるんだとは思う。
でも、私の日常にはいつも唯くんがいて、私が一番自然体でいられるのは唯くんの前だから。
だから、唯くんを見たら、いつもの私に戻ってこれると思う。
本当は本人がいつもいてくれるのが一番いいけれど、彼にだって仕事があるし、この現場だってずっと見てくれるわけじゃない。
でも写真ならいつでも見ることができる。
だから私は唯くんにそうお願いした。
「あー、なるほどね」
「ダメ……かなぁ?」
そう説明すると唯くんは苦笑いを浮かべていた。
流石にプライベートの写真を撮られるのはNGなのかもしれない。
やっぱり唯くんが嫌なら……。
「オッケーわかった。俺が言い出したことだし、絢さんがそれでいつもの絢さんに戻ってこれるならいいよ」
「本当!? ありがとう、唯くん!」
「ちょ、絢さん!?」
唯くんは参ったというように両手を挙げて了承してくれた。
私は嬉しくなって、勢いで唯くんに抱き着いてしまう。
というかその勢いでベッドに押し倒してしまった。




