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絢との交流 オーディション

「さて、そろそろ直近の目標について話をしようか」


 アイスコーヒーを飲んでようやく落ち着いたので、今朝話そうと思っていた話題を切り出した。


「えっと、オーディションを受けるって話だよね?」


 俺の雰囲気が変わったからか、絢さんも居住まいを正した。


「そう。ちょうど八月にうちの事務所のオーディションが開催されるんだ。今回のは一般開催のオーディションじゃなくて、関東と関西圏の劇団や養成所、専門学校に所属している人たちが対象のやつ。それのオーディションを受けてもらいたいと思ってる」

「私、全くの部外者だけど参加してもいいの?」

「そこは俺が事務所に話を通しておくから、この書類だけ書いて今週中に俺にちょうだい。朝稽古の時でもいいから」


 俺は隣に置いたリュックから書類が入ったクリアファイルを取り出して絢さんに渡す。

 この書類は事務所にも置いてあるものだ。

 事務所の関係者が身内や目を掛けた者に渡すようのものを貰ってきた。


「わ、わかった。でも、なんでいきなりオーディションなの? 私、まだ稽古始めたばっかりだし、芸能界のことなんてなにも知らないのに」

「そんなの関係ないよ。何か光る物があれば全くの素人ですら事務所に所属できてプロを名乗るんだから。現に俺がそうだったしね」


 小さい頃に業界で勤めている親戚の勧めで事務所のオーディション、そして映画の子役オーディションを受けたのが、芸能界に足を踏み入れたきっかけだった。

 もちろん、小学校に入学してすぐの子供に演技の経験や歌の経験があるはずもなく。

 しかし、事務所の人や映画の監督がそんな俺に何かしらの可能性を見出してくれたから雪宮唯は誕生したのだ。

 それに俺だけじゃなく、雪月花のメンバーは龍も優斗も素人の状態から事務所所属になったし、複数の事務所の合同オーディションなんかは未経験者が経験者を差し置いて合格することだって少なくない。

 だから絢さんにだって、可能性はあると思っている。


「そ、そういわれたら確かに……」

「あとオーディションを提案した一番の理由なんだけどさ、絢さんには本気で芸能界を目指している人たちの空気やオーディションの緊張感を知ってほしいっていうのもあるんだ」

「空気や緊張感……」


 絢さんは小さく復唱する。

 もちろん今回のオーディションで受かってくれることに越したことはないけれど、それが叶わなかった場合のこともきちんと考えておいたほうがいい。

 一番悪いのは受けるだけ受けて、その経験から何も学ばないことだ。

 いい思い出として終わらせるのはただの逃げだし、そんな想いで参加するのは時間と金の無駄でしかない。

 一般の人たちも受ける大手の全国オーディションならそういう人たちも少なくはないけれど、今回のオーディションは本気で夢を掴むために時間とお金を使って自分を磨いてきた人たちが多数のはずだ。

 ならば、そこで駆け出しである今の絢さんが学べることはたくさんあると思っている。


「絢さんはまだ駆け出しのヒヨッコで、朝稽古を見た感じだと今回のオーディション参加者の中で一番演技や歌の技術が低い可能性は高い。オーディションでその現実を突きつけられる覚悟はできてる?」

「面と向かってはっきりと言われるとグサッとくるけどね。でも、数か月で簡単に何年も積み重ねてきた人たちを超えられるとは思ってないよ」


 少しは反論されるかなとは思ったけれど、絢さんはきちんと受け止めてくれた。


「オッケー。なら大丈夫かな。当日に現実を突きつけられたら、何かを得ようとする余裕もなくなるからね」

「まあ、確かに……」

「それにさ、一番技術も経験もないなら、周りから吸収できることだって多いはずだ。まずはさっきも言った通りオーディションの空気や緊張感を体験する。そしてオーディションを受ける人たちのパフォーマンスをちゃんと見て聞いて、その人の凄いと思うところと弱点かもしれないと思うところを探して自分と照らし合わせられたらもっといいと思う。その上で合格できたら最高だね」

「うわー、気にしなきゃいけないこといっぱいだー」


 絢さんはそう言いながら顔を両手で覆った。


「そうだよー。だから今のうちから準備しておかないと」

「準備って例えばどういうことをしたらいいのかな?」


 絢さんは顔を覆った手をゆっくりと下に降ろしながら尋ねてくる。


「俺が教えた基礎はマストとして、メインのフリーパフォーマンスの練習もやりたいよね」

「フリーパフォーマンス……。なんでもやっていいってなると逆に難しいなぁ。一人芝居でもいいんだよね?」

「うん。あ、ここで一つ注意なのが、自分が目指す方向のパフォーマンスをすること。音楽をやりたいなら音楽関係の、芝居をやりたいなら芝居をって具合にね。具体的な方向性が定かではないのなら自分の得意なのでいいけどね」


 自分が目指す方向性以外のパフォーマンスをしても、審査員がその人物のことを図れない。

 自分の強みと自分の目指すものをきちんと理解してオーディションの対策を立てることが合格への第一歩だ。


「ふむふむ。じゃあ私はお芝居だね。何をやろうかな……。一人二役みたいな高度なのはできないし、アドリブみたいなのも多分無理だし」

「アドリブみたいな……ああ、エチュードか。まあそうだね。今上げたやつは今の絢さんは止めといたほうがいいかもね。基礎が固まったら挑戦してもいいと思うけど」

「だよねー。じゃあさ、ちょっとやりたいシーンがあるんだけど……」


 絢さんはそう言ってスマホを操作し、電子書籍のアプリを起動させた。

 そしてとある作品を開いて俺に見せてくる。

 スマホの画面に表示されていたのは、俺もよく知っている漫画のワンシーンだった。


「これって、絢さんが俺と公園で出会ったときにやってたやつ?」

「あ、そうそう。ていうか、よくわかったね。ワンシーンしか演じてないのに」

「まあ、実写ドラマで俺が主演を務めた作品だしね」


 ドラマが放映してたのはつい最近だったので鮮明に覚えている。

 原作自体は俺たちが物心つく前に完結した作品だけれど、アニメ化もされていて、幅広い世代にファンがいる人気作品だ。

 もしかしたら絢さんもファンなのかな?


「この作品、私の思い出なの。小さい頃に仲がよかった子と一緒に読んで、いっぱい話して、なりきりごっことかもやっちゃってさ。そんなキラキラした思い出が詰まった大事な作品。私のルーツ」


 彼女は優しい眼差しでスマホに映された作品を見つめる。

 それは過去を懐かしむようなそんな眼差し。


「そしてお芝居の世界に憧れたキッカケの作品でもあるの。だから、この作品で挑みたい。……いいかな?」


 絢さんはぎゅっとスマホを両手で握りしめて、俺に気持ちを伝えてくる。

 それだけで彼女が如何にこの作品を大事に思っているかがわかった。


「うん、もちろん。そんなに大事で大好きな作品なら気持ちも入るだろうし、俺がダメっていう理由はないよ。俺が演じた作品なら指導もしやすいしね。じゃあ、これでどのシーンを演じるか詰めていこうか」

「う、うん! ありがとう!」


 絢さんは嬉しそうに顔を輝かせる。

 本当に嬉しいんだろうな。

 そんな彼女を俺は微笑ましく思った。


「あ、でも好きなシーンとかやりたいシーン多すぎて、ちょっと時間欲しいな。明日までには決めてくるから!」

「オッケー。じゃあ、明日の朝稽古の時にでも」

「うん! お願いします!」


 これで一先ず、直近の目標であるオーディションの話は纏まった。

 オーディションまで約二か月半。

 それまでに彼女にどこまで教え込めるか、そして彼女のモチベーションをコントロールできるか。

 これは俺の腕の見せ所だな。


「よし。じゃあ、堅苦しい話はここまでにして、あとはゆっくりと駄弁ろうか。今日は交流を深めるのがメインだったし」

「はーい! あー、なんか緊張したー」


 絢さんは力が抜けたのか、テーブルに突っ伏した。

 短時間とはいえ、しっかりとした話し合いだったから、神経を使ったのだろう。


「なんか甘いものでも頼む?」

「うー、欲しいけど節約しなきゃだから飲み物で我慢するー」


 そう言って彼女は起き上がってアイスティーのストローに口をつけた。

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