ep.7
「これは...」
眼前に広がる光景に若干の眩暈を覚えながら私は呟く。
ラズさんに師事する事となったところでオズを後にして家に帰ったのだが、扉を開くとそこには家とはギリギリ呼べないような環境が広がっていた。
形容するなら物置の方が近いだろうか。
床は踏み場が全くない上に、積み上げられている物も多いためそもそもの道が狭い。生ごみの類は一切ないので埃っぽくはあるが異臭はしないのが唯一の救いだろうか。
外から見た通り中は相当に広く、部屋が幾つもあるがそのすべてが完全な物置化していて部屋によっては扉が開かない始末である。
「あの、どうやって生活したらこんなことになるんです?」
「...一回ここまで来ると手が付けられなかったんだ。それに人間は割と慣れる」
「あのですね...」
確かに人間は慣れる生き物だが、だからと言って劣悪な環境に甘んじるのは如何なものか。
やや呆れながらも半分説教すること五分弱。ラズさんはすっかりしぼんでしまって「ごもっともです」と繰り返すロボットになってしまった。
「兎に角、私たちではどうにもできませんし、業者の方を呼びましょう」
「ごもっともです」
「...その間は家に入れませんがどうしましょう?」
「ごもっ...痛っ、痛いから、すみませんでした」
いつまでもごもっともロボットで居られては困るので両頬を引っ張って我らがラズさんを奪還しておく。
「そうだな...あぁ、魔法院に登録しに行くか。正式に弟子取りましたってヤツ」
「具体的には何するんです?」
「大したことはしないぞ。書類書くだけ」
「書類だけ...えー」
「なんで不満そうなんだよ」
つまるところ書類や法的な拘束力こそあるものの魔法を使っての生命的な拘束力まではないという事だろうか。
魔法使い同士の契約と聞くと反故にした場合の跳ね返りが恐ろしそうだが、あくまで師弟関係は書面上の物らしい。
「あぁ、慣例としてお互いの魔石を使った装飾品を身に着けるってのがあるにはあるぞ」
「魔石?」
「お前魔石も知らずにここまで...」
ラズさんがまたこめかみを抑えているが、嘆きたいのはこちらもである。
それに恐らく魔法関連の知識に関しては本当にすっからかんらしいので一々呆れられても困るのだ。
ちょっぴり不満を露にしつつ肘でラズさんの脇腹を押すとカチリと体を固まらせた後に咳ばらいをして話を続ける。頬がほんの少し赤いのは照れたのだろうか。
「...魔石ってのは魔力の結晶体みたいなもんだ。作る人によって色が変わるのが特徴で、厳密に言えば同じ色が二つとないから親しい間柄の贈り物なんかによく使われるな」
「なるほど...それ私も作らなきゃいけないんですよね?感覚で作れるもんなんです?」
「普通だったらそうはいかないが、魔石生成は魔法の基本中の基本だから火やら水やらなんなら氷まで使ってるお前にできない道理はない。イメージはひたすら魔力を圧縮していく感じ」
「...それで出来なかったらちょっと気まずいですね」
「ははっ。お前気まずいとか言う感情あったんだな」
...なんと失礼な。どれだけ図太いと思われているんだろうか。ラズさんをキッと睨むと片手で頬を挟まれて口から空気が出た。どうやら頬に空気を溜めていたらしい。
さらにへそを曲げる私を見てラズさんはくつくつ笑ってるのでたまったものではない。
「もーいーですから、早く魔法院行って登録しちゃいましょう」
「あいあい」
腕をぐいぐいと引っ張る私にラズさんはやる気のなさそうな声で返した。
魔法院はラズさんの家から程なくした所にあった。
町役場のようなものを想像していただけに眼前に広がる優美で壮大な建物にはつい足が止まってしまう。
「綺麗...」
「なかなかイケるだろ?俺も外装は好きだ」
何故かちょっと誇らしそうなラズさん。「行くぞ」と先に歩いて行ってしまうので慌ててついていくと門の方からひそひそとした声が聞こえる。
「見て...あれギフテッド様じゃない?」
「本当ね、珍しい。一緒に歩いている子は妹...にしては似てないわね」
「もしかして弟子...とか?」
「ギフテッド様に限ってそれはないわよ」
...聞こえてますよーと言ってやりたい所だが、如何せん自分が聴覚過敏なためあちら側に非はない。声量もこちら側にはまず聞こえないものに抑えられているためなおさらだ。
好奇の目にさらされるのは些か苦手で、額に皺を寄せているとラズさんが「どうかしたのか」と此方を見てくる。
ギフテッド様という単語が気になったが、その響きが諸手を上げて喜ばしいというような響きではなかったため「なんでもないです」と先送りにした。
門をくぐって建物内に入ると外見に勝るとも劣らないこれまた豪勢な内装が私たちを迎えた。
一階のエントランスは円環状になっていて真ん中のカウンターの両脇から吹き抜けの二階に続く階段が繋がっている。そのさらに横側は書庫のようになっていて、数えきれないほどの本棚と休憩用の椅子があった。
「すごい建物ですね」
「一応魔法院の最高権力だからな。こんぐらいしてもらわなきゃ困る」
ラズさんはまたしてもどこか得意げに言うので、茶化すように「おぉ~」と言うと、フンと鼻を鳴らしてカウンターの方に歩いて行ってしまう。
「弟子の登録をしたいんだが」
「!...弟子の登録ですね。今は丁度先客もいませんので右手の階段を上っていただいて一番奥のカウンターで手続きをしてください」
弟子と聞いた途端に受付のおねえさんがそわそわしだした。
察するにラズさんは弟子を取らないタイプの魔法使いなのだろう。その割にはやけにあっさりと弟子入りできたのはやはり私が露骨におかしかったからなのだろうか。
自分の特異体質のせいで私は親元から離れてここにいるわけだが、ラズさんに弟子にしてもらえるなら大いに許せる。
「おい、行くぞ弟子」
...私はこれから弟子と呼ばれるんだろうか。
確かに師匠の事は師匠と呼ぶが、弟子と言うのは何というか...親が子供の事を娘や息子と呼んでいるような妙な違和感がある。
なんとも言えない表情で返事をした私をラズさんは気にした様子もなく階段を上って行ってしまうので、駆け足気味に追いつくと歩く速度を少し落としてくれた。
「これ書いてくれ」
「わかりました」
指定された場所で無事書類を受け取った私達は、一階の椅子に座って早速記入を始めた。
渡された書類にはフルネームや生年月日、親の名前と住所を書く欄がある。
住所...と言われても村の名前と番地でも書けばいいんだろうか。はたしてそれで伝わるのか疑問である。
「あの、住所って村の名前とかでいいんですか?」
「あー。そこは俺の住所にしといてくれ。お前そもそも以南地区の人間なんだから悪目立ちするのは確実だし、そもそも虚偽扱いされて書類が弾かれるかもしれん」
「そんなに大事というか...変なんです?」
「この何百年で事例がないんだからそりゃそうだろ。どっかのタイミングでばれるかもしれんが少なくとも今はその時じゃない。変な物好きを一蹴できるぐらいには強くなってからだな」
「物好きですか」
「その類の連中がお前のことを研究しようとするかもしれないぞ。穏便じゃないやり方でな」
確かに言われてみれば以南地区出身の魔法使いなど想定されていないのだろう。
町の看板には以北地区二丁目と書いてあるのを確認しているので、以北地区には正式な住所というのが割り振られていると考えていい。
以南地区は区画分けすらされていない事を見るに、ラズさんが言っていた以北地区と以南地区の確執は深そうだ。
「師匠が守ってはくれないんですか?」
「善処はするが俺だって四六時中お前を見てやれるわけじゃないだろ?勿論火の粉は払うつもりだが、払いきれなかった火で大やけどされたら困る。それにお前だって自分の時間はいるだろうに。どっか出かけた時とかに変なのに絡まれたら危ないだろ」
「私は自分の時間があるなら師匠と一緒に居たいですよ。迷惑ならば身を引きますが、できる限り一緒に」
これは私の本心だ。
何が私を惹きつけているのかはわからない。けれどラズさんの隣にいると自分が自分でいられる気がするし、何より居心地がいい。ラズさんの事を知りたいと思うし、ラズさんに私の事を知ってほしいとも思う。
私の言葉を聞いたラズさんはそっぽを向いて「ならいいんだが」と呟く。耳が赤いのは照明の関係だろうか。
ラズさんが書いてる書類を見て住所を書き写すと、ラズさんは中途半端な体制で固まっていた。
どうやら腕と体が触れていたのがまずかったらしく、体を離すと安堵したようなため息をこぼしている。...余りにも耐性が低すぎやしないだろうか。どうやって生きてきたらこうなるんだろう。
「師匠、書けましたから持っていきましょう?」
「あ、あぁ」
まだ顔が少し赤いラズさんに笑いかけると、まだ照れくさいのかそっぽを向いたまま返事をされる。
...ここで腕にでも飛びついたらどうなるかな、と一瞬魔が差したものの、暫くは口を利いてくれなさそうだし最悪弟子にはしないと言われたら困り果てるのでやめておいた。
「もうおうち、綺麗になってますかね」
「流石にもう少し掛かるだろ。上の階にレストランあるからそこで飯食って時間潰すか」
「いいですね。イタリアンですか?中華?和食の気分だなー」
一日動きっぱなし...というか目新しいものが多すぎて頭を使ったらしくお腹はぺこぺこだ。
あんまりにも私が楽しみにしているのを見て、ラズさんは微笑ましそうにくすりと笑って言った。
「何でもあるから安心しろ。それにどれもうまいぞ」
あのケーキ屋...ではなく喫茶店を発掘しているラズさんの事だ、今回のレストランも十二分にいい所なのだろう。
「師匠の舌は割と信用してますので、楽しみです」
「割と?」
ムムッと眉を寄せて聞いてくるので思わず吹き出してしまった。
暫くころころと笑っていたのをまじまじと見てくるので「言葉の綾です」と軽く流す。どうやらここには譲れないラインがあるらしい。
そのことがどうにも可笑しくて、私は暫くにまにまとだらしのない顔を晒してしまった。