ヒロイン
メリアンは6年間、ルカとリリスにつきっきりだった。
住んでいた山奥の村に子供はほとんどおらず、学校すら無かったため、二人には自分が全てを教えてあげなくてはならなかった。けれどそれは苦ではなく、メリアン自身も楽しく、同時に自分の存在価値を感じていた。
しかし、王宮に滞在するようになって、環境も、何もかもが変化し、メリアンの心にも異変が起こった。子供たちに愛情を注ぐことは、今でもメリアンの一番の喜びであるが、自分だけではない周りの人たちとの関わりで成長していくルカとリリスに触発され、自分自身も子供たちだけではなく、ちゃんと自分の気持ちに向き合いたいと思えるようになった。
王宮にほぼ強制的に連れられ、最初は戸惑った。けれど、この6年間で、こんなに生き生きとした子供たちを見たことはなかったし、ここまで充実した日々はなかった。その中で、メリアンの心の奥で眠っていた、消えることのなかった王子への想いは日々大きくなっている。
しかし、メリアンがいなくなったあの日から、王子の傍には、ずっとエレオノーラがいたのだ。
(私たちは、このままここにいても良いのだろうか。)
メリアンは、自分を取り巻く環境から離れ、一人で考える時間が必要だと感じていた。
優しくて気が利くモーリスは、そんなメリアンの悩む様子を察し、ここ数日、積極的に「モーリスとのお勉強の時間」だと言い、子供たちが最も活発な午前中に子供たちを預かってくれている。
モーリスは王子が幼い頃に、王子の教育係もしていたこともあり、知識豊富な上、子供の世話をするのも得意だった。そのため、メリアンは安心して二人をモーリスに預けることができた。
一人の時間なんて、子供を産んだ瞬間からずっと無かったメリアンにとって、この時間はとても貴重だ。メリアンは、その時間を利用して、王宮内にある数々の庭へと散歩に出たり、厨房を借りて子供たちのお菓子を作ったりしてリフレッシュしていた。
包丁を握ることすら考えられないと言われている公爵令嬢のメリアンが、テキパキとお菓子作りをする姿は、料理人たちを驚愕させた。
メリアンは子供たちではなく、そんな料理人たちにもお菓子をお裾分けすると、メリアンが作る自然の素材を生かした素朴で優しい味のクッキーの虜になった。
子供たちとは別なところで、子育てとは違う楽しさを見つけ、楽しかった。
今日は薔薇園に来ていた。ここは、王子が幼い頃に亡くなった彼の母であるフランソワーズ妃の名前がついた場所で、フランソワーズ庭と呼ばれている。フランソワーズ妃は、薔薇がたいそう好きだったらしく、ここには多種多様の薔薇が植えられていた。今ではちゃんとした庭師が管理しているが、生前フランソワーズ妃は自らこの庭の手入れをしていたらしい。
メリアンは、咲き誇る薔薇の木々の中の間を歩きながら、優雅な香りを感じていた。宮殿は各自の寝室以外、基本的にこの薔薇のエキスを抽出したアロマキャンドルが焚かれ、薔薇の香りで包まれている。
薔薇は、美しくて儚い。
メリアンにとって王子と過ごす時間も、同じようなものだ。
王子と過ごすことの出来る美しい時間には、いつか必ず終わりが来るだろう。
王子と永遠を誓ったのは自分ではないのだから。
そんなことを思う中、遠くから自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「メリアン様。」
明るくやわらかい声。
男ならすぐに振り向いてしまうような可愛げのある天使のような声を持つ持ち主は、メリアンの知る人の中で一人しかいなかった。
振り向くと、会いたくなかったが、いずれ会うであろうと思っていたエレオノーラがいた。
以前は束ねていた金色の髪を、優雅におろし、眩しいくらいの笑顔でゆっくりとメリアンの傍に駆け寄ってきた。茶色いメイド服ではなく、ふわっと広がる緑色のドレスは、彼女の印象的な目の色と同じ。彼女のためだけに作られたものだろう。
「お戻りになられたのですね、メリアン様。」
メリアンは気まずそうに下を向きながら「ええ」と答えた。
「心配しておりました。」
エレオノーラに対し、嫌なことばかりしてきたであろうメリアンがいなくなってせいせいしたはずなのに、エレオノーラは本気で心配していたような顔をしている。相変わらずのエレオノーラの優しさに、メリアンは更に戸惑いを感じた。
「エレオノーラ様も、お体の調子が悪いとお聞きしました・・・」
「メリアン様、そのような呼び方でなくとも。」
「いえ・・・あなた様は・・・王子妃なのですから。」
「もう五年が経ちますが、その呼ばれ方はいまだに慣れなくて。」
エレオノーラは顔を赤らめた。分かっていたことだったが、実際エレオノーラの口から聞くと、また違う悔しさがあった。
エレオノーラはその後、「あと、今、実は」と言いながら、腹を摩った。
「悪阻もつらかったもので、ルーシア地方にある離宮で療養させていただいたのです。そのためご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。」
エレオノーラは庶民の生まれだが、王族に嫁いだことで、今の地位はエレオノーラの方が上だ。それなのにエレオノーラは変わらず物腰が柔らかい。王子が好きになるのも分かる。だから、当時のメリアンも、王子の気持ちを変えることではなく、エレオノーラに嫌がらせすることしか出来なかったのだ。
その時後ろから「おかあさん」という声と、こちらに駆け寄ってくる二人の足音がした。モーリスに連れられ散歩に来ていたようだ。
「あら、可愛い双子ちゃんですね。銀色のお髪に、青いおめめ、フェルディナンド様そっくりですわ。私の子も、こんな綺麗な髪になるでしょうか。」
エレオノーラの余裕のある態度は、王子妃という絶対的有利な立場にいるからだろうか。
それとも単なる心の広さなのだろうか。
生まれながらにヒロインのエレオノーラの完璧なほどの性格の良さにメリアンは自分の心の狭さを憎んでしまう。
子供たちは、美しいエレオノーラに見惚れていた。
(子供たちまでもを虜にしてしまうのね)
メリアンが落ち込んでいると、遠くから、馬が駆ける音がした。
音が大きくなると、王子がエリオットや他の騎士らと共に、外から馬に乗って、こちらに向かって来ているのが分かった。王子は体を鈍らせないようにと、頻繁に騎士団と朝稽古をしていると聞いていたので、その帰りだろうか。
王子は、近くまで来ると、馬を降り、こちらに駆け寄った。
そしてまずはエレオノーラに声をかけた。
「エレオノーラ、帰っていたのか。」
嬉しそうな王子の声に、エレオノーラは優雅な笑みを浮かべた。
「はい、先ほど戻ってまいりました。」
「もう大丈夫なのか。」
「ええ、この通り。」
エレオノーラは自分の体調の良さを伝えるように、一回転してみせたが、最後に小さな石ころに、躓きそうになり、それをさっと王子は支えた。
「ありがとうございます、殿下。」
二人が目を合わせているのを見ているだけで、メリアンは胸が苦しくなった。二人の仲は相変わらずで、自分がこの場にいることが、いかに場違いであるかを感じた。
メリアンは居ても立っても居られず、その場から逃げるようにドレスのスカートを持ちながら駆け出した。
「メリアン、どこへ行く。」
メリアンを引き留める王子の声すら耳に入らない。
王子は一緒にいたエリオットや騎士団にエレオノーラのことを頼むと、急いでメリアンの後を追って走り出した。




