電車にて
「お~、美代ちゃーん、おっはー」
「おっはー。……って、いつの時代よ、その挨拶」
七月二十日。午前九時。
出勤ラッシュもようやく落ち着いた時刻を見計らって、あたしたちは最寄りの駅に集合した。
歩いて二十分もかからない距離だったのに、あたしはすでに汗だくだ。
それもそのはずで、今日はまさに絶好の旅立ち日和。雲ひとつない快晴だったからだ。
吸い込まれそうなほど青い夏の空。太陽はぎらぎらと輝いていて、ありがた迷惑なことに、さらなる猛暑を予感させる。
「ふい~、今日も暑くなりそうねー!」
「そうやな~、お天道様があんなに輝いて、絶好の出発日和やな~!」
弥生も空を見上げて、嬉しそうにそう言った。
どうやら今日の体調は良さそうだ。とりあえずあたしはそのことにホッとした。
と、あたしは来る途中でちょっと気になったことを弥生に訊いた。
「ところで弥生、あんた、携帯の電源切れてない? 途中で電話したけど、繋がらなかったわよ?」
「充電が切れてたんや。宿についたらちゃんと充電するから、安心してや」
「まったく。旅の初日からこれなんだから。先が思いやられるわね」
「えへへ」
それから、あたしたちは駅に入り、電車に乗った。
近くにある大きな駅で新幹線に乗り換え、そこからさらに、聞いたこともない名前のローカル線に乗り換える。
あとはこのまま二時間ほど電車に揺られていれば、目指す白海に辿りつく。
「いや~、やっぱ新幹線より電車の方が楽しいなぁ。窓も開けられるし」
対面式の座席に座り、開け放した窓の外をにこにこと眺めながら、弥生が言った。
「窓から手を出しちゃダメよ。危ないから」
あたしはまるで母親のようなことを言ってしまった。
「あはは。美代ちゃん、まるでお母さんみたいやなあ」
「うっさい」
弥生にも指摘されてしまった。しかしもうこれは癖だ。しょうがないのである。
その様子を見て、弥生がまたさらにけらけらと笑った。
それから、彼女は思い出したように話題を変えた。
「そう言えば美代ちゃん。マンガの方はどうなってんのや~?」
マンガの方、というのは、あたしの日課であるマンガの製作はうまく行っているのかという意味だ。
そう、あたしの夢はマンガ家になることである。
そのために中学生のころから出版社に原稿を送り続けているのだが、残念なことに今のところ、一作も通っていない。
先日、勇気を出して持ち込みにも行ったのだが、キャラクターに心が通っていない、だの、なにが言いたいのか分からない、テーマが伝わってこないなどの厳しいご指摘を受け、門前払いされてしまった。吉岡と言う名前の若い編集者さんだった。
諦めるつもりなんてもちろんないのだけど、自信を失いかけているのも事実なのだ。
「なかなか難しいのよねえ。ひとを感動させるっていうのは」
あたしはため息交じりに、知った風な口を利いた。もちろん単なる背伸びだ。
と、あたしの言葉を聞いて、弥生が露骨に嫌そうな顔をした。
「ええ~? 美代ちゃん、ほんまに感動マンガなんか描く気なんか~? ウチ、そういうのキライや~」
「なんでよ。いいじゃない、感動の超大作。心揺さぶるハートウォーミングストーリー!」
「嫌や嫌や~。ウチ、ギャグマンガが好きなんやもん~。感動するマンガとか、考えさせられる映画とか大っきらいや~!」
「そりゃ、あんたはバラエティ番組大好きっ子だからそうなんでしょうけど。今の時代はそういうのが求められてんのよ」
「嫌や嫌や~!」
「子供か!」
ぺちっ、とあたしは弥生の頭を軽くはたいた。
あたしが言った通り、弥生はバラエティ番組が大好きだ。
なにしろ、関西芸人の多いバラエティ番組ばっかり観ている内に、関西弁が移ってしまったぐらいである。
別に関西生まれでもない彼女が、みょ~にうさんくさい関西弁を使っているのは、そういう理由なのである。
そのバラエティ好きの反動でなのかどうかは知らないが、弥生は反対に、シリアスなテレビ番組や、感動を狙った映画などは好きじゃないらしい。
とはいえ、だからといってあたしの夢を変更するつもりは毛頭ない。
「いくら弥生の頼みでも、こればっかりは聞けないわね。第一あたし、ギャグマンガとかってあんまり読まないし」
「うう~、つれないなあ、美代ちゃん」
「そんなにギャグマンガが好きなら、自分で描けばいいじゃない。アンタ、あたしよりも絵が上手いんだから」
そう。悔しいことに、弥生はあたしよりも絵が上手いのだ。
別にあたしのようにマンガ家を目指しているというわけではないのだけど、退屈な入院生活のときなどに暇つぶしで描いていたら、いつの間にか上達してしまったのだという。
境遇はともかく、絵の才能の方は正直、羨ましい限りだ。
「うーん、でもウチ、ストーリーがちっとも思いつかんからな~。絵を描くのは好きなんやけど」
と、そこで弥生は思いついたように訊いた。
「そうや、美代ちゃん、スケッチブックみたいの持ってきてへん? なんや急に絵が描きたくなってきてもうた」
「スケッチブックはないけど、スケッチ用の大学ノートなら持ってきてるわよ」
旅先で急に絵が描きたくなるかもしれないので、念のために二冊ほど持って来ておいたのだ。
あたしはリュックのなかからノートとシャープペンシルを取り出し、弥生に手渡した。
「ほい。一冊は持ってていいわよ。あんたも絵が描きたくなることあるでしょ」
「さすが美代ちゃんや。さんきゅー。じゃ、さっそく美代ちゃんを描こう」
「なんであたしを描くのよ。景色でも描いた方がいいでしょ。せっかくの旅行なんだから」
「電車が早すぎてとても描けへんよ~。それに、これは記念写真代わりや。旅の記録を写真やなくて絵で描くなんて、なんかオシャレやん」
「むむ、そう言われると確かにそうね」
というわけで、あたしも自分のノートに弥生を描いてみることにした。
時間にして十五分程度、ふたりは無言でノートに
シャーペンを走らせた。