【第九十九話】その男、バイト仲間と口を交わす
「先輩!」
明るい声が開店直後の喫茶店に響いた。
時刻は午前九時を少し過ぎたあたり。平日特有の人通りの少ない歩道を窓から見つつ、望愛からの連絡によって集合した一喜は常と変わらず緑茶を飲んでいた。
一口を含み、視線を向かい側に座る望愛に定める。
彼女は喜色満面といった表情で彼を見つめ、その様は褒めて褒めてと甘えてくる犬を彷彿とさせた。
「もう少し時間が掛かると思っていたんですが、店長さんが社員さんやバイトさん達の予定を弄って私の土日シフトを別曜日に変えてくれました。 これで漸く同行することが出来ますね!」
「声を落せ。 流石に店に迷惑だ」
あ、すいません。
注意の声に我に返った望愛は謝罪を口にし、事前に注文していたレモンティーを飲む。
飲み物の隣にはショートケーキが一つ置かれていた。
未だ欠けている様子も無い甘味に彼女は目を向けることはなく、そのまま話は継続される。
今回集まった目的は先に述べた通り、彼女の暇と一喜の暇が重なった事の報告だ。
望愛はコンビニ内で確かな戦力となっている。コンビニなんて簡単だと気を抜く真似をせず、今のところは客からのクレームも届いていない。
寧ろ逆に、彼女は困っている客に積極的に手を伸ばしている。忙しい時では流石に業務を優先するが、それでも彼女は交流することに意欲的だ。
これは別に彼女が聖人になった訳ではない。
優しい乙女は当の昔に消え去り、彼女は目的の為に優秀で優しいイメージを強く周囲に見せ付けていた。
笑顔を振り撒き、シフトに穴が出た際には積極的に埋め、客の信用を取ることで店の利益に大きく貢献する。
益が増えれば増える程に店は彼女を逃したくはなくなるだろう。今はまだ社員達程の影響力を齎すことは出来ないが、店長の目から見ても優秀なバイトとして既に視認されてはいる筈だ。
そうだからこそ、彼女の望みを店長は叶えた。その裏に一人の男が関わっていると確信に近い域で予想しながらも。
良い働きには良い報酬を。
これは人間関係を潤滑に回していく上で常識的な要素だ。この前提が守られていなければ、優秀な人間は次の場所を目指して転職していく。
店長は有能な人間の残し方を理解していた。週に一度の会議の日に社員達とシフトの調整に乗り出し、他に穴埋めをやってくれそうなバイトに頼みながら土日の休みを彼女に与えたのである。
これで彼女は店に対して不満を覚えることはないし、彼女も態々辞める選択を取ることもない。一喜が居る以上は辞める気は毛頭無かったが、それでも中々望みを叶えてくれない環境にストレスを溜めていたことだろう。
「お前が参加してくれるようになったのは素直に有難いと思う。 引っ越しの予定はどうだ?」
「もうじきですね。 二週間は見ていただければ確実です」
「よし、なら次だな。 ――お前が参加出来るなら、作業を分担させよう」
当初考えられていた予定よりも早めにシフトが変わった。
ならば、やることを前倒しに進めるべきだ。ただでさえ制限時間が定かではない状況なのだから、やれることは迅速にやらねば間に合わないかもしれない。
望愛も緩んだ表情を引き締め、首肯した。
自身が積極的に関われるようになれるとくれば、当然話し合っていた業務の一部を今後は任せられることになる。
その彼女の仕事は、第一として陣地構築だ。
「既に蜘蛛を使ってアパートを中心に建物の修復は始まっている。 建物のサイズがまちまちな所為で正確な時間は解らないが、まぁ小さい建物から使っていけば囲いを作るくらいは問題無い」
「だとすると、残りは生活品ですかね? 此方で購入するよりは安上がりですし」
「そちらは街に行っていくらか集めてある。 どれが良いかはお前の趣味だが、最低限の物はある筈だ」
「……それも私の仕事だったのでは」
「出来る範囲だったからな」
何でもないように口にする一喜だが、台車を使用して運び込んだコンテナの数は合計で三桁に上った。
重量は一つ一つ違うものの、瓦礫を乗り越える際などには当然コンテナを自分の手で運ばなければならない。必然的に筋肉にもダメージを与え、今の彼は見事なまでに筋肉痛に襲われていた。
それをおくびにも出さずにいるのはただのやせ我慢である。情けない姿を彼女に見せて弱いと思わせたくないのだ。
だが、望愛は想像力が不足している女ではない。兄に対してだけは期待によって曇ったが、彼女は本来最悪を想定することが出来る。
きっと彼は苦労したことだろう。そのダメージに今も苦しんでいる筈だ。
今回は彼女は肩代わりすることが出来なかったが、次は出来る。寄せてしまいそうな眉を意識して広げ、彼女は努めて心配の念を表に出すことを抑えた。
「……これからはあんまり黙って行動するのは止めませんか? 私達は一組織を作っていくのですから、報連相もまともに出来ないのは健全とは言えません」
代わりに、彼に秘密を秘密のままにしないことを提案した。
個人の感情を理由にせず、あくまでも未来の組織の為にと告げる彼女の表情は極めて真面目だ。
これが冗談から出て来る訳ではないと言外に伝え、一喜もまたその内容そのものには非情に賛成である。
「上から下まで秘密を共有させるのは反対だが、組織として必要な情報を周知させる意味では確かに必要だ。 ――解った、今後はなるべくその日の内にお前にも報告する」
「はい。 その方が私も動き易いと思いますから」
メタルヴァンガードについてや此方側の世界についてを異世界の民に教えるのは危険が過ぎる。
それを秘密としてそのままにしておきたいと望むのは彼女も同意するところだ。彼の本音があまり自分の行動を把握されたくないと理解しているが、一個の集団となる以上は折れてもらう他ない。
彼女にとっては実に都合の良い展開だ。これで動きを把握して、率先して先回りをすれば彼から自分への評価も必ず上がる。
ゆくゆくは唯一無二の座を勝ち取り、他の誰もが諦めるような女となるのだ。
未だ本格的な活動に対して積極的とは言えない彼だが、一度動き出してしまえば間違いなく一喜は迅速になる。
次々に人を集め、何も知らない者は彼を英雄視するだろう。その中から常人として彼を見てくれる者は果たして何人出るのか。
出て来た者の性格次第だが、彼女は真っ直ぐ彼を見ようとする者を重用したいと思っている。
まだ皮算用の段階ではあるものの、それでも案を用意しておけば何処かで役に立つものだ。これは彼女の経験則である。
その後も彼女と彼の会話は続いた。
他の客が増えても彼等は気にするような真似をせず、結局終わりを迎えたのは午後に入ろうかという程だ。
途中途中で注文を挟んだとはいえ、喫茶店の店員は長居する二人に少々訝し気な眼差しを送っていた。
見た目には女子高生のように見える女と明らかな大人の男が真剣な顔で話しているのだ。店員の中には若い子も多く、もしやと思うのも必然である。
仮にそうであればもっと場所を選ぶと考える筈だが、所詮は何となく見ているだけの者達だ。
「じゃあ、土曜の朝に集合して行くか」
「日が変わる直後の方が良いのでは?」
「安全の為だ。 お前に何かあったら後が大変だろ」
帰る間際、会計を終えて外に出た一喜と望愛は次の時間を決めた。
望愛を気遣った一喜の言葉に彼女の内心に暖かい風が流れ込む。例え好意からではないにせよ、そうやって意識の何割かを向けてもらえるのは彼女にとって嬉しいものだ。
一喜は両親とは違う。兄とも違う。
打算の割合が多くとも、それでも彼女は明確に他とは違うと感じることが出来たのだ。
これが盲目なのかもしれない。彼女は彼と別れた後、何となくそう思った。




