【第九十三話】その博士、希望の糸を求める
「……、…………ッ」
白い部屋があった。
白いベッドが置かれ、室内唯一の窓は閉じられている。緑のカーテンが外を隠し、照明は質が悪いのか点滅を繰り返していた。
ベッドには人が横になっている。――いや、それを人と呼んでも良いのかは定かではない。
病院着を纏っているとはいえ、その物体には人間として欠けている部分が多かった。
皮膚が、四肢の一部が、神経が、内臓が。
およそ死が確定している程に損傷を負い、しかし心臓がある部位は今も常と変わらず稼働を続けている。
異常な程の生存力。加え、身体は今この瞬間も修復を続けている。
ゆっくりと着実に、治った部位が悲鳴を上げながら。常人であればショック死しかねない激痛を今もこの肉塊は受け、それでも精神的には死に至っていない。
苦しく、痛い。されど、それでも治るのだ。
肉塊は完全に修復の果たされた頭で記憶を呼び出す。嘗て受けた講習で説明された内容が、この状態でも死ぬことはないと伝えてくれる。
彼女は全体の約三割が人間ではなくなっていた。それは一重にカードによる汚染であり、同時に彼女に対する祝福でもある。
今この世界で、脆い人間は然程必要とはされていない。
求められるのは強い人間。それも、カードの汚染に早々に負けてしまわないような肉体を持った人物だ。
肉塊は――女は、その条件に合致していた。
「……麻酔の一つも無しですかい。 こりゃ治るまで随分とトラウマを刻まれますよ?」
白い部屋の上部には一台の監視カメラが設置されていた。
その映像を見ることが出来るのは専用の監視部屋のみであり、窓が無いモニターだらけの空間には男が二人居る。
白衣に身を包んだ男と、茶色の薄汚れた革ジャンを着た男だ。
共にモニターの一つを見て、革ジャン男は心の籠らぬ言葉を漏らしている。
「薬も無限ではない。 それに、彼女に使ったところで何の意味も無いだろう。 新しく構築された神経が痛みを伝えてしまう」
「眠らせれば良いじゃないっすか。 寝ている間に治っちまえば問題無い」
「意識を落す薬がどれだけ貴重なのかは君も知っている筈だ。 眠ることに恐怖を覚え、夢へと逃避したがる者は今も増加している」
「現実逃避をしたって何も解決しないと思いますがね……」
「皆が皆、精神的に強い訳ではない。 弱い者が何かに縋ろうとするのは自然だ」
呆れた声を出す革ジャン男に、白衣の男は仕方ないと今にも溜息を零しそうになりながら反論する。
その様子に決して弱者を擁護したいと思っている訳ではないと察することが出来てしまい、同時にそう語るしかない現状に置かれているのも革ジャン男は解ってしまう。
白衣の男は椅子に座っている。立っている革ジャン男はその姿に、初めて会った頃とは随分と様子が変わったと少々の悲しみを抱いた。
「……昔の貴方なら、もう少し前向きなことを口にしてましたよ。 少なくとも、彼女に対して薬を使おうとトップに意見具申するくらいには」
「……ポジティブにはもうなれんさ。 あの日の敗北と死を経験した今の私ではな」
白衣の男は息を吐く。
それが嘆きであるか、ただの溜息であるかは革ジャン男には解らない。
解るのは、この男の見た目が非常に若々しいことだ。その肌は瑞々しさを保ち、顔には皺の一つも見受けられない。
自己紹介の時には既に四十には到達していると本人は語っていたが、今の白衣の男は二十代も半ば程度の様相だ。
しかし疲れ切った雰囲気は老人を思わせる。
なんともアンバランスな姿を保った人物は、懐に手を伸ばして折り畳まれた一枚の紙を革ジャン男へと差し向けた。
「だが、状況は変わった。 未だ希望と呼ぶには儚いが、もしかすれば我々をも救い出す存在が新たに現れたかもしれない」
「――例の男ですか」
白衣の男が語る内容を革ジャン男は理解している。
日本のとある街で突如として発生した多数の高熱源反応。通常兵器を動かした痕跡は無く、東京側の人間に訊ねても街については何も解らなかった。
すわポシビリーズの新たな動きかと彼が所属する組織は警戒し、そして肉塊になる前の彼女と革ジャン男を含めた幾つかの部隊が動いたのである。
その際の出来事を革ジャン男は忘れた覚えはない。轟音と共に破壊された土地を、唯一怪物とまともに戦うことが出来る兵器を破壊された事実を、若干の疲れた様を見せつつも未だ余力のあった男の顔を。
彼が何かをしたのは間違いない。そして、白衣の男を含めた組織の上層部は今回の件を非常に重要視した。
もしかすれば、別世界の――或いは白衣の男が元居た世界の人間が来たのかもしれない。
その手に救済の道具であるベルトを持って。材料があまりにも不足する所為で結局完成にまで辿り着けなかった決戦兵器を、その男が持っているかもしれないのだ。
「彼がもしそうであるならば。 我々は決断する必要がある」
「決断?」
「彼の上に付こうとするか、下に付こうとするか。 このオールドベースを真に世界救済の組織に変えんとするかを、我々は選ばなければならない」
オールドベース。
その単語は、白衣の男にとってあまりにも深い想いがあった。最初に組織を立ち上げる際に白衣の男はこの名前を強く推し、上層部の面々も納得してこの名前が今も使われては本来の役割を果たそうとしている。
倒した怪物は都合数体ばかり。回収したカードは全てが白黒であり、解放された県は東京を含めても未だ一桁だ。
解放に費やした時間も一年や二年と長く、少なくとも現状において複数体の怪物を短い期間で撃破した事実は無い。
それでも、この組織は白衣の男が知る活動を継続していた。
東京の有力者を含め、各県の大小様々な勢力と密かに連携して情報収集や怪物撃破に動き、オールドベースのみが保持する技術で新たに作られた機械を用いて無窮の人々に支援を施してもいた。
全ては人類存続の為、あるいは責任を支払う為。
白衣の男は善意と責任の両方を満たす為に今も活動に精を出している。
だが、その活動に限界が生じ始めているの事実。残存している資源を含め、人々が使える資源はあまりにも少ない。
最初の頃は出来ていたことも出来なくなっていき、知らぬ間に協力してくれていた者が死んでいたなんて話もザラにあった。
最初期よりは明らかに余裕は喪失している。今ではオールドベースそのものを維持することすら難しくなってきていた。
もう、残された時間は大して多くはない。だからこそ、この突然に現れた変化に白衣の男は一筋の希望を感じずにはいられなかった。
「……世界を救うのはまたも余所者だった。 ですかい?」
「私がやったことは救済ではない。 だが、次こそは本当かもしれんぞ」
どうか期待する男であってくれ。
彼の鎧は人々を守護することを目的として作られた物だったのだから。例え元の世界とは異なるとはいえ、鋼の先導者の名を持つのであれば前へと突き進んでほしい。
白衣の男は過去を想起する。これを最初に作り上げた人物の相貌を思い出し、自分もまた彼のような人間になってみせると静かに決意を固めていく。
枯れ枝のように細くなっても、白衣の男は決して絶望に沈まることはなかった。
前を。明日を。未来を。
何時か訪れるもしもを夢見て、さながら夢想家が如くにこれからも活動するだろう。
その様に――革ジャン男は安堵の笑みを零す。
「……どうやら、まだいけそうですね」
彼もまた、オールドベースには特別な想いがあった。
いや、正確に言えばオールドベースに所属していたとある人物に対して深い想いを抱いている。
その人物が残した最後の言葉を、革ジャン男は想起した。
『源次、お前に後を任せたい。 この希望を次に繋げてくれ』
「白い希望、か。 ……まったく、異世界の連中ってのはどうにもロマンチックが過ぎる」




