【第九十二話】その男達、夢を見る
――理解したんならさっさと消えて。もう電話はしないから。
心底失望した。
望愛の冷たき相貌から放たれる言葉は、彼女を愛している者には特効だ。
綱吉は何も喋らず、沢田は力無く望愛を見てはアパートを通って帰っていき、気付けば向けられていた無数の視線は消えた。
車が遠ざかっていく様を一喜は望愛と揃って見据え、夜闇の静けさが辺りに満ちた段階で二人は大きく息を吐く。そして顔を見合わせ、望愛は微笑を送った。
「これで、もう帰れませんね」
「……ああ、少なくとも数年は帰れないだろうな。 関係性は完全に壊れたと言って良い」
糸口・望愛はこれで実家に帰ることは不可能となった。
綱吉と沢田との関係を断ち、両親との仲は悪く。実家に戻れることがあったとしても、そこには気まずいものしか有りはしない。
一喜はそれを別に望んではいなかったが、結果的に綱吉の嘘がこの事態を招いた。
望愛からの信頼を完全に喪失した今の彼では本気など出せよう筈も無く、あるいは彼の代では業績は悪化の一途を辿るかもしれない。
しかし、それ自体は一喜の知るところではないのだ。結局は彼は敵であり、望愛は悪と断じた。
悪が滅びるのは世界の誰もが望むこと。故にこれで綱吉が破滅への道を歩いたところで一喜にはどうでもいい。
今目を向けるべきは別のことだ。
一喜は顔を見合わせたまま、顎を片手で擦ってさてと呟いた。
「報復をする気が無ければこれで暫くちょっかいを仕掛けてはこないだろうな」
「今はまだ精神的に立ち直れていないですからね。 半年は大丈夫ではないでしょうか」
「出来れば二度と来ないことを願うんだが……」
今この場では取り敢えずの解決を見せたが、将来的にはそうではない。
一喜自身の不利は続いたままだ。望愛が関係の断絶を望んだ以上、感情を別にすれば綱吉はもう何も遠慮しなくて良い。
両親と相談し、そのまま此処の不動産を現在の権利者から購入して自身の土地であると主張しても問題が無いのである。それどころか、一喜を秘密裏に処分する行為にも躊躇を覚えなくなる。
全力で排除を行う理由が出来上がったのだ。彼等が立ち直った時、その時こそが第二の争いに繋がる。
これを解決するには、彼等に負けない力を獲得するしかない。
武力、知力、人力に権利。およそ社会で真向から戦っていく上で、これらは絶対に必要な要素だ。
「――こりゃ、本気で大物を目指すしか方法がないな」
「すみません。 私の所為で……」
頭を下げようとする望愛を手で制する。
謝ったところで事態は解決しない。謝罪されるよりは、彼女に行動による成果を稼いでもらう方がよっぽど価値がある。
糸口・望愛は自身に然程大きな価値が無いように感じているが、一喜からすればそれはとんでもない話だ。
本気で取り組まれていないにせよ、彼女はお嬢様としての教育を受けている。これは一喜では身に付けられない要素であり、ルックスも良いので広告塔として使うには申し分ない。
加え、彼女は一般の女性に比べて怪物的な人間との接触経験が多い。その経験は異世界においても十分に有効になるだろう。
「やらなきゃならないならやるまでだ。 手札にある脅迫も何時まで有効かは解らないしな」
「では最初に何を?」
「――嘘を本当にするんだ、なるべく近い精度でな」
一度部屋に戻ろうと告げ、一喜は携帯を操作する。
自室の中にあるパソコンは使わず、冷蔵庫から飲み物を持って来てくれと頼んで望愛は二本のペットボトルを机の上に置いた。
一喜は床に座り込んでいる。そして望愛も椅子に座らず、彼の横に腰を落した。
直ぐ傍にまで近付いたのは無意識の行動で、一喜もまた望愛の行動をまったく気にもせずに画面にネットの一ページを表示させて彼女に見せる。
画面にはメタルヴァンガードの公式サイトが映り、その下にあるオールドベースの紹介文が現在は掲載されていた。
「俺は現状、メタルヴァンガードという作品内の組織であるオールドベース所属の人間ってことになってる。 これは異世界を歩く上で結構便利な設定だったんだが、勿論嘘だ」
「嘘を本当にするとは、つまりこれを現実のものにするということですか?」
「端的に言うならそうなる。 異世界ってのは怪物が存在するとはいえ、それ自体が俺達にとって可能性の宝庫だ。 支配する人間によって幾らでも形が変わる」
一喜にとって、いやこの世界の誰しもにとって、異世界とは未知だ。
解らないものばかりであり、しかして中身を知れば崩壊した社会に絶対悪が存在する創作作品めいた世界であると解る。
つまり、あの世界の人間を救う手立てはわりと簡単に見つけることは出来るのだ。
何人もの創作者が作り上げた崩壊後の世界の立て直し方を調べていけば、例え殆どが使えなくとも一割の部分を寄せ集めて復興を済ませることは可能となる。
であれば、見据えるべきは社会の形。此方では出来ないことが出来るようになる社会を築けるとなれば、そこに眠る可能性は限りなく多いと言っても過言ではない。
異世界版のオールドベースは既にある。けれども一喜はそちらを使うつもりはない。
自分達を頂点とした組織を作らなければ社会の基盤を構築する側にはなれないだろうと考え、支配者になることを選んだのだ。
必然、これは一喜が最も望まない展開となる。
厄介事は無数に襲い掛かるし、それでなくとも国一つを立て直していく行為は困難極まりない。
彼が生きている内に最低限の形となれば万々歳。最悪、自我の強い人間や怪物による横槍によって何もなせないまま終わりになるだろう。
低確率で良い結果を引くというのは、運が無いと思っている一喜には絶望的な話だ。
その不安も恐怖も少なくはなく、ともすれば自分の吐いた言葉に怒鳴りたいくらいである。
お前では無理だ。社会の荒波を泳ぐことを断念した己にそんな偉業を達成することは出来ない。
諦めて死ぬ寸前まで旅をすれば良いのだ。こうなったことも自分の所為ではないのだから。責任の全てを彼女に任せ、自分は自由に生きれば良い。
理性の言葉は正しく、それでいて欲望にも満ちている。
生きようとするだけの理由が一喜には無い。家族とは別れて長いという程でもないが、既に関係としては希薄だ。
実家に帰るとなれば正月くらいなもので、身内の誰しもが彼に対して金を入れることを要求しなかった。
日々何事も無く生きていればそれで良し。
放任主義的な面が強い両親であったからこそ、彼は選択に対して自由だ。
これで何か天才的な部分でもあればその道を極めんとした可能性もあるが、少なくとも彼自身は凡人だと認識している。
そして凡人であるのだから、普通に生きて普通に死ぬのが未来だろうとも断定していた。
今は異世界によって僅かに揺らいではいるものの、根底の部分だけはそうそう容易く変わる訳でもない。
自由に生きて、理不尽に死ぬ。
こうなるのであれば、そうなるまで自由に生きることの何が悪いというのだろう。
「――糸口。 お前はこれから何回でも危険な目に遭う。 知らない方が良かった事実を数々知ることになる。 俺を恨むことだってきっとある」
「はい」
「その上で、俺はお前に命令するぞ。 全ては自由に生きれる未来の為に」
だけれども、一喜は今正に胸に満ちていくものを感じていた。
普段の日常では感じることのない感情が空虚となった心を満たし、根本から彼の在り様を変えんとしている。
自身に強制を課した夢。無謀極まる挑戦に、どうしてか心が躍っている。
やってみたいと幼い冒険心が顔を出し、自然と言葉も強くなった。
彼女は見た。彼女はそれを知覚した。同時、未来の彼を想像して小さく震えた。
「何でも言ってください。 私も頑張ります」
彼女はその目に、夢を見た。




