【第九十一話】その男、最後に爆弾を落とす
上下が決まりはしたものの、それは契約という側面でしかない。
汗で髪が濡れた沢田は彼に対して明確な警戒を抱きながらも、まだ純粋な肉体差では有利を握っている。一喜は着装をしているが故に負けることがないだけで、勿論四六時中メタルヴァンガードを纏ってはいられない。
彼女が漸く立ち上がってアパートにまで着くと、自室ではなく隣の部屋の扉を叩く一喜の姿があった。
三回叩いた後に五秒待機し、そして次に四回叩く。意図的な動作に狙いがあるのは一目瞭然で、扉は一喜が開けることなく勝手に開いた。
中からは女の姿。その姿を視界に収めた時、沢田はまさかと目を見開いた。
それはカメラ越しに見ていた綱吉も同様だ。彼はノートパソコンを掴み、扉から現れた自身の身内の姿に正しく驚愕した。
「望愛様!」
事前に監視だけはしていた。メイドを動員させ、両者が何かを企んでいたことだけは沢田達も把握している。
しかしその内容については解っていなかった。加えて言えば、監視による警戒を無駄に煽るような真似も控えていた。
望愛が一喜の部屋に入ったのは把握している。その後、望愛が出て来ていなかったのも確認済みだ。
しかし沢田は彼女が一喜の部屋の何処かに隠れていると考えていた。過度な接触を控えるようにと伝えられた彼が迂闊に彼女を室内に留めたままにするのも考え難く、主に望愛からの積極的な行動によって彼は自室に残す結果となり、そうして約束の時間を迎えてしまったのだと結論を出していた。
異世界については誰しもが疑ってかかる話題だ。当然、もしも実在していたとなれば胸中を支配するのが何であるかを一喜は解り切っている。
実際に一喜もその感情に支配されたのだ。そして、厄介なことに大きな感情の前では小さな違和感などまるで目立たない。
隠れている存在が一体何処に居るのか。その深い部分にまで思考を巡らせば、冷静だった沢田や綱吉なら答えに行き着いていただろう。
「……沢田だったのね、確認役は」
望愛と顔を合わせた沢田は、その表情に疑問を覚えた。
無表情で、しかし感情的でない訳ではなく。彼女は己の感情を必死に押し殺して冷静であろうと振る舞っている。
まるで内に眠る火山が噴火の時を迎えようとしているかのようだ。
「はい。 実務経験と望愛様からの信頼の側面によって私が選ばれました」
「私からの信頼? ――それっていざとなれば私の安全の為に先輩を殺すってこと?」
「そんなことは……」
無い。
そう言い切りたかった口は、しかしそうであると断じることが出来なかった。
沢田も綱吉も、最優先は望愛だ。異世界に関する取引は機会があったから行われたことであり、もしもあの会話の時点で一喜が望愛に何かをしたと知れば沢田達は怒りを露にしていただろう。
大事な大事な、虐げられていた娘。美しく、逞しく、そして純粋な天使。
その顔が曇らぬように守護らねばならぬ。その瞳から悪意を取り除かねばならぬ。
一心で考えた愛。
果たしてそれは、どうしたって糸口・望愛を見てはいなかった。
「聞こえてるでしょ、兄さん。 私はこんな結果が欲しかった訳じゃない。 私の兄さんは信頼に足る人だと思ってたのに、どうしてこんなことになるの」
『望愛、それは……』
「私に説得力が無い? そうだね、その通りだよ。 私は異世界について確かな証拠を兄さんに見せてはいなかった。 対価が十分じゃなかった? そうだね、私がどんな会社の次期社長と婚約を結んだって、兄さん程の成果は出せないと思う」
望愛の言葉は正しい。
異世界についてを馬鹿正直に話したところで、やはり頭のおかしい人間と見られるだけ。
経営についてを詳しく知らない彼女では、何処かの会社の次期社長と婚姻を結んでも関係性の強化を確実に行ってくれるとは限らない。
彼女は積極性の塊だから、どうしたって夫となる者へと自分の意見を口にしただろう。
夫婦とは互いの意見を激突させるものでもあるが、彼女の場合はその勢いがきっと他とは異なっていた筈だ。故に、彼女そのものの魅力は見た目以外は大して高くない。
けれど、それでも兄に話を繋げさせることが出来る材料はあった。
彼女は一度だって兄に対して真面目に向き合っている。苦労を重ね、将来のトップに君臨する者へと家族として相対し続けた。
社長と後継者としてではない。父と息子のように、兄と妹として家族と呼べるものを確りと構築していたのだ。
ただでさえ冷え切った家族の灯。それが限界を迎えるまで守ったのは、紛れも無く望愛の側である。
「だけどね、いきなり仕事の話にしないでよ。 これを仕事の話にしたいなら、私はあの人達にも話をしてた。 あくまでも家族として話をしたのに、どうして兄さんは利用出来るかどうかでしか考えていないの?」
『それは違う。 決して仕事としてだけで考えていた訳じゃない』
「遅いよ。 兄さんは先輩を利用することを最初から決めてた。 家の周りに居る皆もいざとなったら先輩を抑える為だったんでしょ? ……沢田も、その話に乗ったんだよね」
「お、嬢様――」
「言い訳は要らない」
全ての結果は一喜がメタルヴァンガードの姿になったことで証明された。
これは戦闘を目的として作られたスーツだ。戦闘以外にも使えない訳ではないが、やはり用途としては戦闘が第一となる。
これを使うのは一喜が襲われた時のみ。それ以外で彼は望愛に展開することはないと事前に告げてあった。
そして、今の望愛には一喜の言葉が全て事実に聞こえている。
周りの何もかもが信じられない中、彼女は一喜の言葉だけを心底から信じていた。
「もう、私に関わらないで。 助けてほしいとか頼まないから、取引をしようとも思わないから、私の前に二度と姿を見せないで」
沢田も綱吉も口を噤むしかなかった。
最早望愛に二人の言葉は響かない。何もかもが手に出来ぬまま、二人は大切なものを取りこぼした。
一つの家族は崩壊し、二度と元には戻らないだろう。力づくで傍に置くことは出来ても、それでは彼女の心は離れるだけだ。
終わったなと一喜は一人思う。
どんな集合体でも、根底に必要なのは信頼だ。利害関係でも主従関係でもなく、固い結びつきを作れるのは信頼関係のみである。
この一件で望愛は不安を抱かせない関係性がどれほど希少であるかを知ることになるだろう。
強固な関係を作るのがどれだけ難しいものであるかを理解し、彼女は漸く大人として社会に乗り出していくのだ。勿論、その傍には一喜が居るのだろうが。
『――話は纏まった、でいいか?』
「はい。 ……ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
一喜の言葉が間に入り、望愛は深く深く頭を下げて謝罪した。
この問題の切っ掛けは望愛だ。望愛が一喜を厄介事の渦に引き込み、結果として碌に何も手に出来ないままで終わることになった。
一喜としてはこのまま相手側に口を噤んでいてもらいたいものだが、果たして本当に約束を守るかは疑わしい。
二度と勝手に喋らないよう、今の内に弱味を握っておきたいところだ。
『今回の話は全て他言無用だ。 とはいえ、俺はあんた達に関する弱味を何一つとして握ってはいない。 出来れば弱味の一つや二つは欲しいところだが……』
ちらりと、一喜は意味深に望愛に目を向ける。
望愛はそれに対して一つ頷いた。楔を打ち込むのであれば、今正にここであろうと。
「私が知り得ている限りの両親の問題行動を画像付きで伝えましょう。 家出をする際の交渉材料として用意してあった分で良いですか?」
『それはどれくらいの効果がある?』
「少なくともあの人達が二度と社長と社長夫人の座に収まらない程度には効果があります」
『よし、ならそれを後でくれ』
「喜んで――――先輩の為ならいくらでも」
絶望する沢田の目に、一喜へと微笑みを浮かべる望愛が映った。
それは天使と呼ぶにはあまりに黒く、純粋と呼ぶには欲が深い。男女の間柄であればよく見ることになる、俗に言う女としての顔だった。




