【第九十話】その男、上下を決める
相手が暴力行為によって話を通すことは予測済みだった。
独特の歩行による急加速。拳は固めず、一喜の胸倉を掴みに掛かる様は手慣れている。
その動きは一喜は目で追えていない。あまりにも急激な動作の所為で霞が動いているような錯覚に襲われ、僅かな楽観が潰されていることを証明されてしまう。
ならばと、一喜は前に出る。後方に跳ねて逃げるのではなく、真っ直ぐに相手の顔があるだろう位置に視線を向け、ただ只管に敵意と殺意の感情を叩き付ける。
この場は殺し合いには発展しない。無力化を前提とし、沢田は武器の類を一切抜いてはいなかった。
明らかな手抜きである。舐められていると自覚して、しかしそれも当然だなと内心で首肯した。
一喜は敢えて、戦闘について詳しい部分を語らなかった。
荒唐無稽な化け物が居ることを話はしても、一喜が戦ったような相手がそれであるとまでは語ってはいない。
そして沢田は見た。この世界のおよそ標準とされる人間の姿を。
銃が見当たらず、彼等自身の肉体は頑健ではなく。殺意や敵意だけしか揃っていない相手を認識し、例え頭では理解していても無意識に刻まれた。
彼等を倒すのは然程苦労しないと。
沢田は護衛役だ。時代錯誤とも言える恰好をしつつ、会社の重役を守る役割を彼女は担っている。
肉体に不備は無く、臆しない様子から経験に不足も無い。――ならば、体力という面を除いて彼女が負ける道理は存在しない。
一般人としての肉体しか持たない一喜でも武器さえあれば打倒は可能。そう判断するのも無理はない。
「……すみません」
ワンテンポを崩された。
それでも沢田の動きに迷いは無い。謝罪を口にしつつ、動きに修正を加えて服の胸元を掴んでは流れるように足を崩して投げ飛ばす。
空中を浮遊して到着するのは家々を囲む塀だ。背中から激突すれば最悪背中を痛めることになる。
地面に叩き付けなかったのは彼女なりの慈悲だ。勢い分が加味されることで痛みが増し、そのまま気絶してしまうかもしれない。
数舜の時間であれど滞空しているのであれば勢いは減る。激痛は身体を駆け巡るであろうが、それでも立ち上がれるだけの気力は残っているだろう。
そう思っての判断は、一喜からすれば実に甘い。
やるならば徹底的に。これが交渉であり脅迫であるのが明白である以上、手を抜くような真似は隙を晒すのと一緒だ。
そして一喜はその一瞬を逃すような愚図ではない。僅かな滞空を肌で感じた瞬間にポケットから抜いていたカードをベルトに装填した。
鳴り響く音に赤光。沢田を視界に捉えつつ、生身の人間には出来れば使いたくなかったなぁと脳は場違いなことを考えていた。
「着装!」
機械音が鳴り、赤光が彼の身体を包む。
装填したカードはダーパタロス。鈍色とは異なる黒色のマッシブな鎧を纏い、メタルヴァンガードとして彼は塀に叩き付けられた。
当然ながらダメージは零。いきなり姿の変わった一喜に沢田は目を見開き、手が止まった瞬間に彼は軽く立ち上がっては鎧に付いた砂埃を手で払う。
「それ、は……?」
『俺が全部を話した訳じゃないのはそっちにも解っているだろ。 これはその内の一つだ』
パワードスーツの力を引き出したことにより、今の一喜には武器と呼べるものがない。
純粋な筋力勝負となるが、一度着装に成功すれば人間に負ける道理は無い。
短く言葉を交わした瞬間、沢田は唐突に浮遊感を味わうことになる。
瞬時に周りを見渡せば建物は無い。あるのは無色の空気に、小さくなっている街の景色だ。
荒廃した街を下に見て、自身は空の人になっているのだと悟った。
真下を見やれば沢田が居た場所に一喜が居る。彼は真上の沢田に顔を向けるだけであり、落ちてくる彼女を助けようとはまるで考えてはいなかった。
「……!」
此処は異世界。何があっても不思議ではない世界で、彼女は同郷の人間だからと一喜のことを無意識にも下に見た。
何故同郷でありながら実力の低い彼が此処で生きていけるのかを深く思考せず、超兵器の類をまったく考慮していなかったのである。
そのツケを彼女は今正に払わされそうになっていた。咄嗟に衝撃を逃す為に足からの着地を狙うも、遥か上空からでは完全に衝撃を逃がし切れる筈も無し。
このまま落ち切れば、最高でも両足の欠損。最悪なら胸部までの肉が全て破裂する。
人間は漫画のようには動けないのだから、常人の範疇に収まっている彼女の肉体は耐え切れない。
『異世界で彼女が死んでも問題にはしない。 これを嘘にしますか?』
一喜は片手に沢田から奪った携帯を持ち、綱吉に冷酷に告げる。
望愛が大切に思っていた人間が死ぬぞ。同時に、望愛に殺意すらも向けられることになるぞ。
大切で愛しい者から恨まれても良いのか。この後も自分の望んだ通りに動くかも解らない状況で、綱吉に自身の話を押し通すのかと言外に語る。
綱吉は一喜の変貌ぶりに驚きながらも表面上は冷静さを貫いた。私人と公人の両方で利益を考え――このままでは何の益にも繋がらないと溜息を吐く。
『……解った。 今一度対等に言葉を交わそう』
『対等? ……馬鹿を言うな』
沢田の落下が加速する。
最早数秒の後に此処に死体が一つ出来上がるだろう。
『俺は彼女がどうなったって構わない。 その結果あんたの妹さんに恨まれても別に良いんだ。 対等なんてあると思うか?』
命を対価に、脅迫を行う。
冷酷無情な言葉に嘘は僅かにも含まれず、綱吉が頷かねばこのまま沢田は死ぬ。
彼は彼女が負けると思わなかったからこそ死んでも仕方ないと言い放っていた。例え怪物に相対したとしても、映像の結果から生き残る術があるのだとも楽観視してしまった。
その前提は全て覆っている。この不条理とも言える上下の逆転こそが、異世界における常識なのだ。
『わか…………解った!!』
綱吉はまだ社会と戦う化け物になりきってはいない。甘さの残る若人が相手ならば、最も大事なモノに悪影響を与えると知って躊躇を覚える。
そして綱吉は決断した。この場における主導権は一喜であると。
力強く宣言され、一喜は今にも地面に叩き付けられそうな沢田の首と腰を支えるように受け止めた。
「は……はッ、はッ、はッ」
『ゆっくりと呼吸しろ。 降ろすぞ』
地面へと彼女を降ろす。死への恐怖と冷や汗が彼女の心身を追い詰め、内臓のそこかしこが潰れるような痛みを発している。
予め準備をしていれば彼女は空の上でも平気だったろう。しかし今の彼女は、空中に対する一切の備えをしていない。
持ち込める装備にも限界がある。特に通信機器やカメラを背負いながらとなれば、女性の身では些か辛い。
彼女が目を見開いて瞬きをしない様を見下ろし、直ぐに一喜は歩き出した。
『通話内容は記録しているのでしょう。 その元データを此方にください』
『良いだろう。 それをもって抑止とすると?』
『一応は。 そっちが万が一にも諦めなければ、最悪は扉を破壊して二度と異世界に行けないようにする。 ついでに妹さんも異世界に追い込むのでそのつもりで』
『悪魔か、君は……』
『失礼な。 先に裏切ったのはそっちだろ。 信用出来ない相手に優しくする道理は無い』
綱吉は冷淡な一喜の口調に、取るべき態度を間違えたと理解させられた。
彼は危険な人間だ。人一人を殺すことを容易に是とするなど、一般人の枠組みに収めるべきではない。
寧ろ彼が属するのは此方ではないのか。
同じ怪物的思考になっているのであれば、綱吉は正しく一喜に対して見下すような真似を許してはならない。
常に何かを考え、天秤で計り、そして有益な方を選ぶ。
望愛が大事だと告げる人間に綱吉は歯噛みした。間違いなく、彼は望愛と付き合わせてはいけない人間だったのだ。




