【第八十九話】その男、予想通りに嘆く
小さな出来事はあったものの、一喜と沢田の両名は恙無く街内をある程度見て回ることを完了させた。
元より制限として二時間が設定されている。その範囲内では戻るまでの時間を加味すると全てを回ることは不可能であり、よって彼女が見ることが出来た部分は少ない方ではあるだろう。
それでも一喜は見せるべき部分は見せた。怪物の出現については運任せであるも、キャンプや倉庫街を遠目で確認することは出来ている。
世良達に出くわさなかったのは偶然か、はたまた倉庫街に戻った瑞葉が外に出るなと言ったからか。
どちらかは不明であれ、会わないで済むのであればその方がずっと良い。
時間はまだ朝と呼ぶには早く、今から戻ればゆっくりと眠る時間が確保できるだろう。流石に案内を終えた後は一喜とて寝てしまいたい。
「時間が許せる限りは見せた。 少なくともこれもまた現実であるとは解ってくれたと思うが……」
「疑う余地はありません。 これでなお疑うのであれば精神的に病を抱えているとしか言えないでしょう」
家への道を歩きつつ、沢田と認識を合わせる。
これで糸口家内の人間の内、三名が異世界について信じざるを得なくなった。
望愛は勿論、綱吉や沢田もまたこれを聞き次の行動を考えるだろう。嘘が嘘でないとなった今、沢田が行動する機会は現段階でいくらでもある。
腰に装着してあったベルトに無意識に手が伸びた。鈍色の光沢を放つベルトにはまだカードは装填されてはおらず、一枚のカードが腰ポケットに入った状態だ。
着装の弱点は銃の装填同様、準備を整えるまでに若干の時間が求められる。その間に一喜が無力化されるか、カードかベルトのどちらかが奪われれば途端にメタルヴァンガードは実現不可能と化す。
そうならないように警戒はしても、一喜自身は別にプロでも何でもない。事前にそうなるだろうと見越して、それでも相手の動きに完全な対応が出来るかは未知数だった。
「――さて、私達の次の交渉内容については既にお伝えしましたが」
家まで残り僅か。
沢田は足を止め、少し前に行ってしまった一喜が振り返る。
彼女は此処に来てから内心の感情は別として表では無表情を貫いていた。あらゆる考えを悟らせぬように振舞い、今この瞬間も一喜には沢田が何を考えているかがまったくと読み取れない。
完璧な表情の消し方は見事に人形という印象を与える。近くに操り糸でもあるのかと思う程に作り物めいていて、美しさとは様々な方法で活かせるものなのだと明後日の方向に思考が飛ぶ。
両者の間で無言となり、ふいに携帯が鳴った。一喜ではなく沢田の携帯が振動を続け、それがメールの類ではないことを知らせる。
沢田が携帯を取り出すと、やはりそれは着信だった。
相手は当然ながら綱吉。一喜を見ながら通話ボタンを押して耳に当て、直ぐに彼女は挨拶抜きでスピーカーモードを命令された。
「切り替えが終わりました」
『有難う。 ……では、大藤さん』
「はい」
カメラ越しに二人は顔を合わせる。
綱吉は今、自身の家のリビングに居た。目の前にある一台のノートパソコンの画面にはカメラの映像が今も映り、一度も通信状態が悪化することはなかった。
彼は一度たりとも映像から視線を外してはいない。見えるもの全てから情報の入手に尽力し、映るものが嘘ではないかを確かめ続けた。
とはいえ、それが嘘であるか否かについては最初の段階で消えたと言って良い。
道程は彼が人を使って調べたルートと大きくは変わらず、建物の幾つかにはまだ営業している筈の店が物理的に潰されていた。
規模も非常に大きい。沢田が見せた遠くの景色には街一つ分が廃墟に沈み、これを政府が無視するとはとても思えなかった。
驚きはある。同時に、興奮もあった。
何せ異世界、異世界だ。数々のオカルト話で登場するような世界が、今正に遠隔とはいえリアルタイムで確認することが出来ている。
興奮するなという方が彼には難しい。なまじ社会という暗い現実と戦い続けているからこそ、真偽が判然としない概念を極少数が知っている事実に心が躍った。
まるで自分が世界を牛耳る秘密結社に参加したかのようだ。
だが嘘が真実となった以上、彼は一喜との約束を果たさねばならない。望愛を遠ざけ、自身もまた手を引くという約束を。
しかし。だがしかし、忘れてはならない。――これは決して、仕事である訳ではない。
『映像を見て、これは異世界であると今なら私も納得した。 そして此処に望愛を関わらせたくないのも理解した。 私としてもそちらの世界に大事な妹を関与させるのは不安が強い。 望愛を離すことは此方で尽力しよう』
「有難うございます。 そうしてくださるのであれば此方としても助かりますが……」
『ああ、ああ勿論。 君の疑心については当然了解しているよ』
望愛が関わることは綱吉の本意ではない。
現時点で一喜は怪しい人間から異世界を一番よく知る人間になった。今後異世界に関与したいと思うのなら、一喜とは特に仲良くしていかねばならない。
だが、望愛がそこに挟まる必要性は皆無だ。彼女は確かに切っ掛けを作りはしたものの、明確に異世界で何かを成した訳ではない。
最初に来たのでもなく、誰かを救ったのでもなく、彼女はただ一喜にこういう世界があるのだと説明されただけだ。
しかし、綱吉自身と一喜の関係は今非常に危うい。
沢田が語った内容が原因だが、そうではなくとも綱吉は後程に状況を変化させるつもりだった。
一喜との約束に口約束以上の効果は無く、書面で交わしてもなければ録音も録画もしていない話などいくらでも偽装することが出来る。
全てを偽装することはしないが、それでも自身にとって不利になる部分については綱吉は歪めことを想定していた。
そして今、正に仕掛けるには十分な状況だ。周りに人が居ないこの状態ならば、沢田が攻勢を仕掛ければ一般人でしかない一喜が勝てる道理は無い。
『だが言わせてほしい。 言っては悪いが、あの時点ではまだ私と君は対等ではなかった。 君はあの場で動画以上の証拠を用意することが出来なかったし、当たり前だが異世界など無闇に信用する気は此方にはなかった』
「では、あの場での約束は全て嘘であると?」
『全てを嘘とはしない。 しかしあの場でああ言わなければ、最悪望愛の情報を持った君が姿を消していた可能性も否めなかった』
物事には建前と本音がある。
今回の場合は、あの場における上下関係を綱吉は建前とした。
信じるに値しない人間に望愛がのめり込んでいる。それを家族として心配した大企業の幹部が、何とか逃げられないように約束を結んだ形だ。
客観的に見て、フリーターと大企業の幹部では信用度がまるで異なる。一喜よりも綱吉を信じる声の方が大きくなり、仮に訴えたとしても勝ちはほぼ拾えない。
その事実に、一喜は成程と熱の無い声で返す。急速に冷ややかになっていく様子に、沢田は目を細めた。
「今回はそういう形に持っていくと。 その上で、次は契約書で正式に繋がりを作るとでも言うつもりですか」
『君に不利になるような案を盛り込むことはしない。 これからも良い関係を続けられるのであれば、君自身の将来も安泰になる』
契約書を結ぶことが出来れば、その時点で一喜は縛られる。
綱吉は縛ることはしないと語るが、それを馬鹿正直に信じる程一喜は社会を知らない訳ではない。
そもそも、今この瞬間に以前の話は一部無かったことにすると突然言ったのだ。
そんな相手にもう一喜が遠慮する必要は無い。冷めた顔で彼は携帯と沢田を見て、腰ポケットからカードを引き抜く。
「……あの子は自分の兄妹の話をした時、良い人だと言っていました。 ですが今の貴方はとても彼女の語る兄妹には見えません」
『私が優先するのは望愛だ。 他の人間にまで同様の優しさを振り撒くことは出来ないさ』
「そう、でしょうね。 ならば話は終わりにしましょう――俺は絶対にお前の案を飲みはしない」
『……はぁ、沢田』
「はい」
一喜は拒絶した。
綱吉はパソコンの前で溜息を吐き、最後の指示を下す。
沢田は即座に主の願いを叶える為に動き出した。そこに本意があるかどうかは関係無しに。
望愛が望んだ状況ではないのは沢田とて理解している。理解した上で、沢田は彼女を危うい世界から遠ざける為に一喜へと足を出した。




