【第七十九話】その男、彼女の兄に会う
アパート前には明らかにこの場に不釣り合いな高級車が置かれていた。
沢田の案内で一喜は中へと入り、僅かな間を置いて彼の左右に古典的なメイド服を着込んだ女性二人が座る。
新しいメイド達は挨拶も無しに無表情を貫いた。一喜の事を嫌っているというよりも、彼女達は職務に忠実なだけなのだろうと彼はあたりをつける。
車はゆっくりと移動を始めた。周囲の音は完全に遮断され、内部も静かなものだ。
運転を担うのはやはり沢田のようで、彼女の目は時折バックミラーに向けられている。
明らかな警戒。その理由は何なのかと予想を巡らせば、一喜に思い付くのはやはり糸口の精神に傷を付けたことか。
異世界についてを沢田が知っているとは彼には思えない。糸口の口振りでは知っているのは兄だけで、故に双方に誤解が発生している可能性は否めなかった。
最初に裏切ったのは糸口だが、訳を知らねば一喜が何か酷い言葉を投げ掛けたと思うことはあるだろう。
人間、信頼する身内には甘くなるものだ。沢田と糸口の間には確かな信頼関係が存在し、それが思考にノイズを発生させていると見ても不思議ではない。
されど、一喜は沢田の警戒を緩める言葉を言いはしなかった。
誤解するなら勝手にしていてくれ。その不仲が何処でどんな形で後に繋がるのか解らないのだから。
車は緩いまま。高速道路を抜け、およそ一時間は揺られ続けた。
欠伸の一つでもしたくなるような沈黙の空間を味わいつつ、不意に緩やかな速度を維持していた車が徐々に停止していく。
薄暗い黒のガラス越しに見えるのは、やはりというべきか見たこともない場所だ。
都会のように人通りが多い訳ではなく、かといって人工物はそこかしこに点在している。
田舎と都会の間。正しく一喜が住んでいる場所と似たような立地の空間がそこに存在し、車は静かにコンクリート製の駐車場で止まった。
先に降りたのは二名のメイドだ。品があり、且つ手早く外に出た彼女達は周囲をさっと確認してから一喜を外へと出す。
「はぁ、妙なVIP待遇だ」
自分は富裕層の仲間入りを果たしたつもりはないのだが。
そう思い呟きつつ、一喜は駐車場のコンクリートを踏んだ。
窓に置いてあった靴越しの感触は硬く、完成してから然程時間が経過していないのか罅割れや汚れが見当たらない。
「私の後ろに続いてください」
「ああ」
降りた沢田の言葉を返しながら歩き出す。
両隣を固めるメイドは一喜を護衛しているように見えて、その実逃げ出すことがないかを視線で逐一確認している。
もしも足が僅かでも止まるようなことがあれば、メイドは一喜に手を出すだろう。
それが拘束なのか暴力なのかまでは流石に解らないが、愉快なことにはなりそうにないと胸中で溜息を零す。
夜の闇の中を歩き続け、彼等が足を止めたのはそれから五分後。
見えてきた建物の沢田は一直線に向かい、一喜は少々の困惑を覚える。
彼としては何処かのホテルか、会社の一部屋だと思っていた。
だが実際に見えてきたのは純和風の料亭だ。今時珍しいとも言える瓦屋根に木製の壁は確かに店の看板をぶら下げていた。
名前は『鬼灯』。一喜にはその言葉を選んだ意味が解らず、さして興味を抱くこともなく沢田が潜り抜けた紺の暖簾を同様に抜けて行った。
「ようこそおいでくださいました」
中に入って待ち受けていたのは、白亜の着物を纏う美人だ。
少女のように若々しくはないものの、妙齢特有の熟した美を放っている。黒髪を夜会巻きにし、歩く姿は楚々と音も無く、絵に描いたような大和撫子がそこには居た。
柔和な口には薄く紅が引かれ、眉も整い皺が見当たらない。
堂に入った様子に熟練者の気配を感じるも、同時に新人のような若々しさも同居している。
言葉にするのは難しいが、何とも矛盾した女性である。
彼女は沢田と暫く話をした後、目的の部屋への案内役を買って出た。
一喜やメイド達に何の視線も言葉も向けなかったのは、仕事仲間と思われたためか――或いは単に格下と判断されたためか。
どちらでも構わないことだ。
この件が終われば此処に来ることも無い。そもそも、こんな店に行けるだけの資金を彼は持っていない。
女将と思しき女性を含めた五人が列となって進み、一つの襖の前で足を止める。
此処が予約されていた場所であると女将は説明し、丁寧に一礼をした後に彼等の前から静かに姿を消した。
残るは一喜達と、その向こうで待っているであろう糸口の兄だ。
「只今到着致しました」
『――ああ、入ってきてくれ』
沢田の丁寧な言葉に返ってきたのは、低く静かな男のもの。
返された側の彼女はその言葉に対して短く返事を行い、そしてスムーズに襖を開ける。
一喜はその内部に目を向け、内心おやと小さな驚きを抱いた。
高級料亭と思わしき場所である以上、やはり室内にはそこかしこに金を掛けていると部分はある。
掛け軸や木彫り細工が主にそうだが、しかし室内そのものは広くはない。
大人が三人入った程度なら余裕だ。逆に言えば、四人以上になると少々窮屈さがあるだろう。
それを当人も解っているのか、白の座布団に座った一人の男が面白そうな表情で一喜に初めて声を掛ける。
「窮屈だと思っただろう?」
「……いえ、そのようなことは思ってはおりません。 失礼します」
一喜は頭を下げ、入って直ぐの場所で靴を脱いでから男と机を挟んで反対側の座布団に正座で座った。
光沢のある赤茶の机は横に長い分縦は短い。
横に広げた大量の料理が壁のように設置されているのを目で確認しつつ、にんまりとやはり愉快気な笑みを形作る男に意識を向けた。
オールバックの金髪に、碧眼を持った抜群のイケメン。優し気な顔立ちをしているが、目には敵意が滲んでいる。
緩やかな笑みは威嚇の顕れか。沢田達とて一喜の味方ではない現状、彼の周囲はおよそ敵だらけだと言って良い。
最悪の可能性が高まったことを内心で思いつつ、表情からは一切の感情を削ぎ落した。
仕事として男と相対し、この場から感情らしい部分を抜いていく。料理や湯呑にも手を伸ばさず、逆にその手は膝の上に置かれた。
男は些かの表情も変えない。何を考えているのかは今の段階では明瞭とはならず、ならば最初に口にすべきなのは自分からだと一喜は口を湿らせた。
「フリーターの大藤・一喜と申します」
「糸口・綱吉だ。 インペルハウルの幹部をしている。 会社について何か質問は?」
「……いえ、特にはありません」
最初の自己紹介で一喜はまず悲鳴を上げたくなった。
インペルハウルは国際的な企業だ。主に食品系に分類され、庶民から富裕層に至るまで多くの品物を世界中で販売している。
何十年も前に大地震が発生した折には率先して食事を提供していたが、ここ数年においては幹部の不祥事や食品製造トラブルと良い話を聞かない。
されど、件の会社が世界にとって必要な組織なのは確かだ。此処が万が一潰れることとなれば、出来た大穴を塞ぐまでの間に食料供給率が一気に落ちることになるとニュースの専門家は語っていた。
そんな会社の幹部。格としては上も上であり、成程糸口としてはあまり公に語りたくない身分だろう。
何せ子供が幹部で、親が舵取りを担う代表取締役。そんな家族の娘だと公で宣言すれば、あのコンビニにどんな危害が加えられるかも定かではない。
よく裏の人間が現れなかったものだ。姿を隠すことを徹底してくれたからこそ、今の彼女の平和がある。
尤も、その平和は偶然遭遇したストーカーによって一時的に崩されていたが。
「夜分に無理矢理呼び出して済まなかったね。 何せ時間が無いものだから、こんな時間でもなきゃプライベートで話は出来なかったんだ」
「では、手短に済ませましょう。 単刀直入に――何を知りたいのですか?」




