【第七十六話】その男、後輩の思いを聞く
「先輩」
太陽は完全に沈んだ二十二時半。
街灯が照らす街並みの中、一喜は外に出てコンビニの近くで待機していた。
店長からの電話で糸口と話をする約束は既に取り付けてある。糸口は迷わずに彼との話し合いを望み、そして仕事を無事に終えた彼女は足早に外へと歩を進めた。
一喜を視界に収め、近付きつつ彼を呼ぶ。彼もまた彼女に目を向け、ポケットに突っ込んでいた手を抜いた。
一喜の眼差しは鋭い。なるべく激情をそのままの形で発露しない為にと抑えているが、自身の本意ではない現状に憤激が漏れ出ている。
殺意は無い。ただ敵意が出ているだけだ。それでも糸口にとっては恐怖を感じる程で、このまま自分はどうなるのかと考えずにはいられない。
二人は向かい合わせで立ち、一喜が一つ頷いた。
踵を返して歩き始め、彼女もまた彼の後ろについて足を動かす。優しい彼だけではない姿に気を引き締め、彼女は頭の中で状況を好転させる言葉を練る。
一喜が向かったのは公園だ。彼女の正体を知ることになった公園は夜になると人通りが消え、秘密の会話をするには都合が良い。
古いベンチの近くにはこれまた古い自販機が置かれ、そこで一喜は飲み物を二つ買って片方を糸口に投げ渡した。
彼女は突然投げ渡された飲み物に慌てながらも受け取り、何故と視線を向ける。
「ベンチに座れ。 長い話になるぞ」
一喜が飲み物を渡したのは単に長い話になるからというだけだ。
決して優しさからではなく、彼女が座るよりも先に彼は先にベンチに座った。
糸口は暫く立っているべきか座っているべきかを迷い、静かに一喜の隣に座り込む。
飲み物はミルクティーだ。二人が蓋を開けて一口飲んでみると、思いの外甘い味が喉を通り過ぎていった。
「――俺が前に言ったことを覚えているか?」
「……はい」
片手で飲み物を持ちつつ、一喜は静かに口火を切る。
糸口はそれに対してまったく間違えることなく、嘗て約束した内容を脳裏に過らせた。
あの異世界について、一喜は他の人間に教えることを禁止した。絶対に他所にバレないようにしろと告げ、彼女はそれについて確かに了承している。
実際、彼女は職場で誰かに教えてはいない。親しい友人にも語らず、仲が良くなってきた渡辺にもメタルヴァンガードについてを伝えてはいなかった。
そうだ、彼女は何の理由も無しに約束を破ることはない。
付き合いがまだまだ浅いものの、彼女の性根は異世界での子供との会話である程度は掴めていると一喜は思っている。
激情のまま心は彼女を潰せと囁いていた。けれど理性は潰す前に理由を問えと訴えている。
そのどちらが正しいのかを比べれば、未だ冷静な部分の残る一喜は後者を選択する。
「覚えていてどうして語った。 君の身内、恐らくは君の兄にあの時の事を語ったんだろう?」
「そうです。 両親には話したくないですし、話したところで理解なんてしないでしょうから。 兄なら私が真剣な口調で語れば真偽は兎も角として、一応は耳を傾けてくれます」
「……まだ向こうは嘘か本当かを解っていないと」
「多分嘘の割合が多いと思いますが、それでも家出をしている私のことを兄は特に気遣っています。 そんなことを突然真剣に話しだしたとすれば、例え嘘だろうとも調査に乗り出すと確信していました」
一喜の顔を糸口は見れない。一度見てしまったら、その目に異世界の殺意が宿っていたなら、彼女は恐ろしさで話が出来なくなってしまう可能性がある。
だから前だけを見て、彼が最も気にしている理由についてを語る。
そうすることが一喜の救いになると信じて。自分の力だけでは現状を覆すことが出来ないと確信して。
「私が兄に全てを語ったのは、貴方がこのまま破滅すると思ったからです」
「……」
「自覚はしていると思います。 誰かを支援する行為そのものは尊敬すべきではありますが、それが出来るのは資本に余裕がある者だけです。 今の先輩に、長期的に支援が出来るだけの余裕がありますか?」
彼女が異世界に来たのはあの一回だけだ。
情報としては一喜が体験したことや、異世界の風景を見たことや子供と話した内容くらいなもの。
決して多い訳ではなく、にも関わらずこのままでは不味いと彼女は察した。
彼女自身は多くの資産を持った家の娘だ。そういった生まれの子供は物の価値を正確に掴めなくなり易いが、両親からの冷遇によって彼女は物の価値を普通の子供よりも正確に把握している。
守銭奴程に金に執着する訳ではないまでも、それでも金は大事な物。何処から金が生まれ、どのように金が巡ってきているのかを知ろうとするのは彼女の境遇では当たり前の行動だろう。
故に、彼女には一喜の懐事情がある程度解ってしまう。
服装を見て、支援品の内容を聞いて、そして職場の給料を計算して。正しい月給までは解らないまでも、それでもかなり近いところまで糸口は一喜の月給を把握している。
到底、長くは今の生活を続けることは出来ないだろう。出来たとしても最終的には借金漬けの生活になるのは目に見えている。
そんな末路を彼に惹かれている彼女は認めなかった。
素晴らしい行いをする人間が苦労してほしくはない。行いには同等の行いが返るべきであり、ならば一喜は幸福にならねばならない。
「私は、先輩の行いを聞いて尊敬しました。 子供との触れ合いは兄弟みたいで、でも私が知る理想的な父親のようでもある。 私が欲しかった父親の愛を、先輩は確かに子供達に与えていたんです」
彼女は自身の異常を理解している。誰かを好きになったからとて、そんな相手の何もかもを知ろうとするのは普通ではない。
互いに付き合い、ゆっくりと知っていくのが普通だ。一喜も糸口も恋愛経験を持っていないものの、普通の範囲は十分に理解している。
理解しているからこそ、彼女は異常性の全てを表には出さない。
代わりになる出すのは別の理由であり、これもまた彼女の本音だ。
一喜はあの集団の大黒柱で、彼なくして完成しない輪を構築していた。一喜は支援の名で皆を守り、その様は正に全員の父だろう。
一喜自身に自覚は無い。言われた内容についても、正直に語るのであればピンと来ることも無かった。
「大藤先輩。 貴方は私の知る中でも素晴らしい人です。 大多数が手を伸ばさない中でも手を伸ばせる優しい人です。 そんな人が破滅するだなんて、私は理解出来ません」
「だから君の兄に連絡をしたと?」
「……破った事実については申し訳ありません。 相談ぐらいはした方が良かったと思いますが、それを言ったら先輩は断っていたでしょう。 なんといいますか、先輩は誰かに頼ることを極端に嫌がりますから」
「――――はぁ」
溜息が夜の空に響いた。
彼女の話を全て聞き、一喜はどうしてこうなるんだと思わずにはいられない。
どれだけ秘密を貫こうとしても、何時かは秘密は露見する。
それが組織的なものか、誰かの感情的なものか。どちらにせよ露見してほしくない側からすれば最悪であるのは間違いない。
そして今回において、一喜は非情になりきることが出来なかった。
これがただ単に利用されただけだったのなら話は簡単だ。罵倒の限りを尽くし、確りと関係のブロックをするだけである。
けれども彼女は、このまま終わりに向かうだろう一喜を心配していた。その心根が素晴らしいと尊敬し、助けなければと考えてしまった。
どちらが悪いと言われれば、一喜はあの日秘密を語ってしまった自分だろうと思っている。
故に、憤激は静かに散っていった。怒ったところで情けない男になるだけだと理解して――――それでも言わねばならないことは言う必要があると口を開けた。




