【第七十五話】その男、元の世界でも苦労する
物事が動くのは突然の場合が多い。
一喜が以前勤めていた会社を退職に追い込まれた時のように、今回もまた突発的な出来事によって全てが終わってしまった。
もう一緒に行動することは無いだろう。あれだけ拒絶の意志を示したのだから、直接的には関与を避ける筈だ。
一喜はそう判断して、思った以上に心理的なダメージを受けていない自分に苦笑した。
人を完全に信じない。この意識のお蔭で裏切られても拒絶されても心にはある種の余裕が生まれている。加え、一喜はこれから物資を置けば好きなように行動出来るようになるのだ。それは彼にとって素晴らしい情報である。
「さぁて、そうなら予定を変えていかなきゃならんな」
元の世界の自室にある椅子に座り、一喜は暗い室内の照明とパソコンの電源を点ける。
もう癖のようなものだが、電源の点いていないパソコンを見ていると少々の不安を覚えてしまう。
特に追加で買いたいものが無いというのに、それでも彼はパソコンを立ち上げて複数の通販サイトを開いていた。
ランキングを眺めながら脳裏を過るのは、相手がどのような行動を起こすのかだ。
世良達は問題は無い。向こうから離れることを選んだ以上、再接触には十分な理由が必要となる。
彼が異世界から来ているという証拠が無ければ、彼等は再度接触を図ろうとしないだろう。そして異世界についての証拠を獲得するのは至難の業だ。
唯一の繋がりは彼と同様に異世界から来たと思われる人物だ。
先ず間違いなく、その人物は世良達の世界で立ち上がったオールドベースに所属している。今回の一喜との接触によって向こう側も動き出し、何れは世良達にまで話を聞きに来るだろう。
その時になって初めて彼等も真実を知ることになるが、一喜としてはそうなる前に街から離れておきたい。
今はまだ物資を提供しなければならないものの、食料が現地で調達出来るようになれば物資を渡すことも無くなる。そこで繋がりは完全に終わりだ。
「あそこら辺は今や危険地帯だからな。 流石に怪物をあそこの人間が倒せるとも思えないし、そこは俺が掃除するしかないか」
彼等が無事に生活することまで一喜は阻害したくはない。
故に、自身が原因となって来るであろう怪物の相手はこれからもするつもりだ。オールドベース側が接触的に倒してくれるのであれば万々歳だが、神崎の武装で限界だとすると根本的に強化が図れなくなる可能性がある。
そちらの情報についても掴みたくはあるも、迂闊に踏み込めば藪蛇だ。知らないままでいた方が良いこととて当然ながら世の中に存在する。
あの世界で少しでも安全な道を進むとするなら、人との関りを可能な限り減らして障害は確実に潰すことだ。
生き残らせて恨まれては堪らない。班目はその点で満点の行動を起こしてくれたが、全員が全員共に彼と同様の真似をする筈も無いだろう。
「平穏は未だ遠く、か。 ま、自分で蒔いた種みたいなもんですけど」
独り言を呟きつつも、一喜は通販サイトを眺めることを止めて動画投稿サイトで適当な動画を流し始めた。
自業自得。その言葉は実に正しく、彼が居た結果としてあの街は危険地帯になった。
一喜としては火の粉を払っただけでも、向こうにとっては予想外の敵の出現だ。
自分達を倒しうる存在が出現したとして攻撃を行うのは必然。オールドベース側も似たような真似をするのなら、正しく世紀末のような戦いがこれから繰り広げられる。
何人生き残るのかは不明だ。全員かもしれないし、僅か数人の可能性もある。
他者の死を一喜は別に望んではいない。邪魔をしないのであれば何処かの誰かが別の誰かを害したところで構まわないのだ。
故に、一度助けた存在が害されるのは嫌なものである。出来れば無事にこれからも生きていてほしいものだと願いつつ、一喜はこの降って湧いたような休日で一先ずは身体を休めることを脳内で決めた。
少し昔の時のように動画を見て、誰かの生配信をテレビ代わりに流しつつ、室内に置いてあった缶詰を適当に幾つか開けては纏めて買った割り箸で食べる。
本来ならここで競馬の一つでもしているところだが、とてもではないが予測を重ねるあの作業をしたいとは思えなかった。
それはこれからも変わらないだろう。何せ本来の目的を果たすのであれば、ゆっくりとしていられる道理は無い。
既にあの街は大体眺めた。今更新しい風景が見えるとも思えず、であればこそ目指すは別の街か村だ。
世界があのような状態では街の機能は似たり寄ったりだろうが、そこについては別段何も期待していない。重要なのは、一喜を楽しませてくれるような異世界じみた光景を目にすることが出来るかどうか。
タイムスリップをした人間が自身の時代と見比べて楽しむようなものだ。
街とは長い時間を掛けて形を変えていくもので、昔の街並みを歩くだけでも中々に新鮮とノスタルジーの両方を感じることが出来る。
とはいえ、身の危険は特大だ。中でもオールドベースが一番面倒臭い案件である。
悪漢であれば兎も角、相手はメタルヴァンガードのシステムを一部とはいえ使用出来る存在だ。
そちらに襲われることだけは可能であれば避けたかった。
「――ん?」
動画が流れていく中、置きっぱなしで放置していた携帯が震えた。
異世界に行く過程で自然と放置するようになった携帯がバイブレーションを鳴らし、一体誰だと電源を入れて視界に入れる。
大体が仕事先であるコンビニからだが、今回もやはりコンビニからの電話だ。
通知名に自身の職場の名前が書かれ、少々嫌な予感を感じながらも出ない訳にはいかないだろうと通話ボタンを押した。
「もしもし、大藤ですが」
『あ、もしもし? 悪いね、突然』
「いえいえ。 また誰か急に?」
通話の相手は店長だ。
コンビニの従業員は殆どがパートやアルバイトであり、社員と呼べる存在は少ない。必然的に責任の量が異なり、バイトの中にはいきなり休みを入れる者も居る。
幸いと語るべきか、一喜の働くコンビニでは一週間前に休みを入れる者の方が多い。店長も早めに予定を入れてくれるお蔭で穴埋めもし易く、突発的な休みについては中々起こり得なかった。
起こった場合は大体において一喜が穴埋めをしている。暇な時間はあるに越したことはないが、金を稼げるチャンスを見落としたくもない。
一喜の何時もの返答に、店長はいやと声を絞った。
『急に電話が来てね。 糸口さんの身内だと名乗る人物から君と話したいことがあるって尋ねてきたんだ。 ……何か覚えはある?』
「……あるにはありますが、糸口さんからは何か?」
『彼女もこの件については把握しているみたいでね。 電話が終わった後に僕に頭を下げてお願いされたんだ。 どうにも必死な様子だったけど、何をしたんだい?』
「プライベートな問題なのでその点は言えません。 一度糸口さんと話がしたいんですが、出来ますか?」
『もうじき彼女のシフトは終わるから、その時に聞いてみるよ。 ちょっと待っててね』
「はい」
一度電話が保留になり、軽快な音楽が一喜の耳に届く。
しかし、一喜本人はその音楽を聞いてはいなかった。――――何故なら、糸口・望愛は大藤・一喜の頼みを裏切ったのだ。
拳を握り締める。力の限り、ただただ強く。
唐突な出来事は事態を急変させる。それを彼は解っていて、それでも完全に全てに対して余裕に振る舞える訳ではない。
彼女についても完璧な釘刺しが出来てはいなかった。こうなることは可能性の中では高い部類だったのに、一喜は深くまで脅しはなかった。
あの世界を見て、糸口は邪な感情を口にはしなかったのだ。
それが無意識に一喜の手を緩める要因になったのかもしれない。まだ完全に消えなかった良心が、誰かを信じたいと思ったのかもしれない。
「ハッ」
馬鹿だ。馬鹿だ。
ただただ、愚か者だ。こんなことを知った彼女がどうするのかなんて、あのバックを知っていれば幾らでも予想出来ただろうに。
最早流れは変えられない。せめて少しでも傷を浅くしなければならんと、早期での彼女との接触を一喜は狙った。




