【第四十四話】その男、相容れず
引き摺っていた足は短時間で通常に戻った。
二本の足を立たせ、武器を向けることもせず、班目は一喜を見やる。一喜は犬を投げて壁に叩き付け、班目へと視線を固定させた。
その場に先程までの重圧は無い。殺意と戦意が無く、ただ見つめ合っている状態は怪物以外からは不気味に見えることだろう。
流線形の怪物は二人が何故戦意も無しに視線を交わしているのかが解らなかった。平穏と呼ぶには不気味に過ぎるし、勝負と呼ぶには必要な気概が感じ取れない。
――けれど、流線形の怪物は動くことを選ばなかった。声を掛けることも、出来たのなら呼吸すらも彼女は止めていた。
今この場で最強なのは一喜だ。これまでの余裕の全てを覆され、今では這う這うの体で逃げることも許されない。
気分は死刑囚だ。自分が死ぬことが確定とされ、刑がこの瞬間にも執行されようとしている。
既に三人は死んだ。幹部同士仲が良いとは決して言えなかったが、それでも生活を共にしていた知り合い同士ではある。
彼等の実力は知っていたし、唯一の共通項である班目に対する恐怖が奇妙な団結力を生み出していたのは事実だ。
同じ怪物でも程度の差がある。上位者曰く適合率云々が高ければ高い程、カードの限界を引き出すことが可能とのことだった。
だが、上位者はそれ以上何も言葉を送ることはない。彼等がどうやって怪物になったのかも、何を基準とした適合率であるかも。
『……認めたくはないけど、現状は僕達の方が不利だ』
『お前を除き――いや、お前を含めても然程実力は高くはないな』
『ッ、今は何も言い返せないよ。 だからこれから話すのは、不利と解った上での提案だ』
提案。
戦いの中でありながらそれを口にする班目は、本能でも理性でも現状の一喜には勝てないと判断した。
このまま戦ったとして敗北は必至で、生きていきたいのなら彼が納得するような条件を提案した上で引き換えに生存を許してもらうしかない。
酷くプライドを刺激されるが、時には妥協が必要だ。それに彼よりも圧倒的な強者が居る。そちらの方が班目にとっては恐怖の対象だ。
相手の言葉に一喜は無言で続きを促す。相手の提案が如何様なものであっても殺すつもりであるも、万が一生かした方が都合が良いのであれば見逃すことも視野に入れなければならない。
『君と君の仲間には手を出さないと誓おう。 加え、キャンプの継続に僕も全力を注ぐ。 君達ではあのキャンプを継続させることは出来ないだろう?』
『……そういうことか』
班目の提案は現実的だ。
一喜だけでなく、一喜を怒らせる原因になるだろう者達には一切手を出さないことを彼は誓った。その上で、キャンプが崩壊しないように尽力することを告げたのだ。
キャンプと一喜は関係が無いように見えるが、この街のほぼ外れに近い位置に件の集団は存在している。
そこに住まう人間は三桁単位であり、崩壊が起きれば取り敢えずの住居を求めてこの街のあちらこちらに点在するようになるだろう。
ホームレスのような状態になっても生きたいとするなら、即ち彼等は個別にグループを作って倫理から離れた行いを始める。
特に問題なのは品物の強奪と人身売買だ。殺人程度では既にびくともしない程に治安は悪いが、この二点が混ざることで子供達の身が危険になる。
あの子達が今も無事なのは持前の経験もあるが、街自体にそもそも人が居ないから。
もしも此処に多くの難民が潜んでいたとすれば、なわばり争いによる騒動が日夜起きていた筈だ。
班目はそれを防ぐと言っている。そして、班目は一喜が子供達を保護していることを知ってはいない。
ただ単純に、彼の気性から確信に近い推測を立てただけだ。伊達にキャンプのリーダーをしている訳ではないと一喜は内心の勝手な評価を上方修正した。
確かに、一喜にはキャンプを維持していくだけの力は無い。能力的な意味でも、物資的な意味においても不足が目立ち、保護した子供達が安息に満ち溢れた生活を送らせてあげることすらも難しい状態だ。
既存のリーダーがそのまま継続させてくれるのなら、本来なら諸手を挙げて歓迎すべき提案だ。
怪物としての存在維持にもキャンプの人間は必要不可欠。よってこれを裏切るような真似もしない。環境が劇的に向上することはないであろうが、ただ生きていくだけなら彼等が保証するだろう。
最低限の生活。それが維持出来ることがどれだけ有難いことなのか、きっとキャンプの人間はあまり深く理解してはいまい。
深く理解していないまま、彼等は己の欲のままに争うのだ。それこそが怪物の栄養になることを知らず。
『お前の提案は魅力的ではある。 此方としても戦闘を行うことはリスクそのものであるし、キャンプの人間が数多く来られても面倒だ』
『では?』
『――しかしだ。 お前という存在そのものが受け入れる余地を潰している』
班目の提案は現実的であり、なおかつ魅力的だ。
効率的になれる人間ならここで受け入れ、裏切られた場合の対策に動き出す。二度目は無いことを告げておき、その上で次回戦闘になった際にはあらゆる手を尽くして何も認識させずに殺すのだ。
だがだ。悪人を嫌悪する一喜にはこの提案は受け入れられない。
これは歪んだが故の頑固さであり、効率を考えない無駄な判断だ。明らかな損を生むと解っていながら、一喜はそれを良しと定めている。
悪果消滅。過去のトラウマは依然として消えはせず、消えないのなら付き合っていくしかない。
『怪物達は皆総じて醜悪だ。 放置してはただでさえ拡大する被害が止まる兆しを見せない。 善人が理不尽に殺されるような環境など、破壊した方が世の為だ』
『……僕達の中には既存の方法で全てを変えることが出来なかった者達も居る。 そういった者達までも醜悪だと否定すると?』
『当然だ。 俺を含め、使ってはならぬものを使っている。 ――弱肉強食の世界で負けた側は、敗者らしく生きるのがお似合いだ』
善人が嬲られるだけの世など普通ではない。されど、社会構造は弱者を嬲ることを基本としている。
強い者は強くなって、弱い者は弱くなるのだ。成功者を引き摺り落とさんとする亡者の群れは愚かだが、しかしてそうせねば全てを巻き返すことは出来ない。
そして最後まで足掻き、どうしようもなくなった時。
最早犯罪しか手段が残されていない段階まで行き着いたのなら、諦めてしまった方が良い。
過去の栄光は身体を焼く程に眩しいが、完全に負けてしまったのであれば敗者らしく慎ましく生活していこう。今度は此方が亡者になってしまわないように。
善人が世の中に蔓延ってほしい。なのに負けたのであれば諦めるべきであると一喜は思っている。
挑戦と挫折が天秤の上で横に並び、傾きを見せていない。通常は挑戦に傾く筈の思考が、過去の出来事によって横並びになってしまっている。
矛盾した思考を本人は自覚していた。何を言っているのかと、一喜は自身の放った言葉を不思議に感じている。
【Over】
ベルトのレバーを倒す。
両腕の砲門が、両肩の機銃が、共に青白い光を放ちながら班目に向けられる。
交渉の余地は無い。相容れないことを証明するように、向けられた必殺の武器群に班目を除いた他の面々は即座に逃げ出した。
その中で下半身を失ったダーパタロスを回収し、残るは班目のみとなる。
二人の間に待機中の重厚な音が響き、しかしそれについて班目が突っ込むことはしない。
静かに顔を見合わせ、諦めたように息を吐いた。
『なるべくキャンプから離れるよ、次は――』
『――そうしろ、じゃあな』
【Non standard. Try metal vanish!】




