【第三十五話】その男、後悔する
「何やってんだ俺……」
少年達と今後についてを話し合った後、一喜は一時的に家に戻って来ていた。
扉を開けて元の世界に戻り、冷蔵庫に入れてあった飲みかけの緑茶を飲み干し、乱暴にゴミ箱に投げ捨ててから前髪を掻き上げる。
表情には苛立ちが宿り、収まらぬ激情に盛大な舌打ちが鳴った。
室内を満たす音は一瞬で、それが消えてしまえば後に残るのは静寂だけ。
愚痴を聞いてくれる誰かも、協力してくれる誰かも居ない。望んでそういった環境を構築した筈なのに、今だけはそれが腹立たしくも感じてしまった。
リュックサックを近くの床に投げ捨て、外の恰好のままやはり乱暴に椅子に座り込んではパソコンを起動する。
然程性能の高くない一喜のパソコンでは起動までに数分の時間が必要となり、完全に立ち上がるまでの間にあの時の自分の行いを振り返った。
子供を助ける。
口で言うのは簡単だが、実際のところ子供を助けるというのは覚悟のいる行為だ。
生活に必要な品を用意するのは勿論、心身が健全に育つように確りと向き合う必要がある。その中には教育も混じり、子供を育てることがどれだけ難しいかは世間の親であればよく解るだろう。
明るく、優しく、そして力強く。
子供が最も無垢に安心出来る相手とは、即ち頼りになる両親だ。無意識でも子供に甘えて良いと思わせる大人でなければ、基本的には何処かで歪みが出る。
かといって甘やかすことが最善という訳ではない。時には確りと叱り、子供に常識を教え込むのも親の責務だ。
親の在り様そのものが、子供の性格を決定付けると言っても過言ではない。
少年達は最低でも小学生だ。高校生二人が疑似的な親代わりということになるが、勿論高校生達が完璧な親になどなれる筈もない。
本当に親代わりとして動けるとするなら、それはあそこで助けてしまった一喜のみだ。
二十歳を超えてフリーターをしている一喜こそが、あの場における唯一無二の大人だった。故に、立道も一喜に願ったのだ。
せめて独り立ち出来るまでの間、親であってほしい。それが出来ないとしても、親戚のような関係でいてくれと。
立道自身はそうは言っていないが、言外の願いは正しくそれだ。高校生という年齢であればまだ甘えても良い筈で、無意識にでも立道はそれが漏れ出ていた。
「悪い奴等じゃない。 ……本当に、悪い奴等じゃないんだ」
立ち上がったパソコンを操作して、検索エンジンを始動させる。
指は自然と動き、子供に必要なものは何かをひたすらに検索していた。生活環境や食事、医療、教育――向き合い方。
どれも一喜には縁の無い情報ばかりで眩暈の一つでも起きそうだったが、それでも彼は懸命に情報を頭に詰め込んでいく。
少年達は悪い人物ではない。悪事を働くにせよ、その根幹に根差しているのは生き残ることのみだ。
誰かを陥れることを望んでいる訳でもなければ、一喜の食料を利用したいと立道本人が直々に口にしている。
隠し事の無い正面からの頼み事が出来る人間を、一喜は悪人とは思えなかった。相手は見知らぬ子供だぞと胸の何処かが指摘しても、良い奴が悪い目に合っているのはおかしいだろうと情報を探し続けてしまう。
そうだ。良い奴は良い目に合ってほしいんだ。
悪い奴には悪い目に合ってほしくて、善良な人間が楽を出来る社会であってほしい。それが難しいと理解しつつも、それでも道端で打ち捨てられる犬のような末路を良人が辿るのは絶対にあってはならないのだ。
食料はまだ残っている。予め大量に購入したお蔭で不足からは暫くお別れ中だ。
テントも予備の分を購入してあるが、一喜サイズなので子供が二人か三人くらいしか入れないだろう。
彼等全員が一時的にでも住める場所を探しつつ、最終的には自給自足が行える環境を構築する。
それが理想であり、その為にもと休み明けに早速用意すべき物を脳内でリストアップした。
「らしくないなぁ、本当に。 ばっかみたいだ」
他人などどうでも良いと言いつつ、それが善人であればつい助けてしまう。
まるで何処かの誰かのようだなと自嘲しながらも、使えそうな品物をお気に入り登録してからパソコンを閉じた。
そして次に、投げ捨てたリュックサックを拾って中のゴミを全てゴミ箱に入れてから新しい食料を詰め込んでいく。
最近の缶詰というのは意外にシンプルだ。白い無地に商品名が入った缶詰が通販では当たり前のように売られていて、コンビニによってはエコを理由に剥き出しのペットボトルだけで販売していることもある。
蓋に商品名が印刷されていることが多く、それ故に販売会社や製造場所の特定を避けることに使える。
ただし、商品自体が向こうの世界に存在しないのであればまったく意味が無い努力だ。隠すことが出来るのであれば隠しておいた方が良い。
シンプルな缶詰達は総じて値段が安い。バリエーションは豊かではあるものの、缶詰だけではどうしても何処かで飽きが出て来るだろう。
少しでもマシにする為に果物等を取り入れあるが、正直一辺倒では限界がやって来る。
早い段階で向こうで食料を安定的に増やせる算段を付けたいというのが彼の本音だ。そうすれば此方で事前に用意する必要も無くなる。
具体的には採取から始まり、栽培や狩猟まで持っていけるようになれば最高だ。原始的なやり口になるが、人類文明が極端に衰退している現在ではそういった方法でしか肉類を獲得出来ない。
あるいは、地道に酪農生活をしている者が居る可能性がある。そちらから肉を購入することが出来れば、安定供給には繋がるだろう。
「一先ずはこんなもんか」
今はまだ何かを作り出すことは出来ない。
取り敢えずは子供達の安定した生活だ。一喜の収入だけでは遠からず何も用意出来なくなるし、一喜自身も生活が不可能となる。
缶詰が一個百円程度なのは翻って良かったのかもしれない。下手に価格が高い物を購入して慣れてしまっては、安い物を受け付けなくなっていたに違いない。
時刻は既に夜になっていた。流石に一夜を向こうで過ごすのは今回が初めてだが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
リュックを肩に乗せて玄関を通り抜け、事前に子供達と約束していた場所にまで進む。
街灯の無い闇の中は不気味だ。携帯のライトを使って照らしてはいるものの、それが無ければ先ず目的地に辿り着けるか定かではない。
星の明りも今は無かった。曇り空になってしまったのか、ただただ暗闇が辺りを支配するばかりだ。
目的の場所までは十分もすれば到達する。暗闇に対する不安を誤魔化すように歩みを早め、やがて見えてきた元ファミレスだったろう廃墟の中へと静かに入り込む。
人の気配は無いように感じるが、これは元々隠れているようにと指示した結果だ。合図として二回不自然に地面を蹴れば、近くで同様に足を蹴る音が三回鳴った。
「来たぞ。 全員出て来い」
携帯のライトを街灯代わりに壊れかけの机の上に置く。
僅かに明るくなった空間からゆっくりと子供の姿が見えていき――――しかしそのどれもが恐怖に顔を凍らせていた。
その表情を見て、瞬時に一喜は何かあったのかと悟る。一番負けん気を発揮していた少年ですらも恐怖に表情を曇らせ、一喜は直ぐにライトを消した。
「……何があった」
「ば、化け物が……」
震えながらも出て来た少年の答えに、なんてことだと天を仰ぐ。
次の問題は既に目前にまで迫っていた。もう逃げることは出来ないだろう。
「何処に居た?」
「この近くの……飯屋っぽいところ……」




