【第三十話】少年、未知を体験する
喧嘩に発展したのは少年にとってこれが初めてではない。
キャンプでは荒事は日常茶飯事であったし、彼自身が謎の言いがかりを付けられて殴られる例は幾度となく存在していた。
その度に殴り返すか逃走していたものだが、今回に限って言えばその内の後者が選択出来なくなっている。
襲い掛かる拳の質量は過去最高。回避を選択しつつも、他の大人共からの蹴りや横殴りにも意識を巡らせつつ仲間の状態を気にかける。
少年は十代も半ばの中学生と呼ばれる程の若さだ。必然的に肉体も完成に至ってはおらず、当然ながら他者から奪って生活していた男よりもパワーという点ではまったく勝てない。
それが少年にだけ向いているのであれば良いものの、他の子供に向けられては最悪だ。まだまだ小さい子だって居るのに殴られては死にかねない。
「オラァ!」
「! っは、遅いんだよ!!」
最初に啖呵を切った以降、大人達は一斉に少年を狙った。
勿論それを見て少年は強気な態度を維持し、彼の仲間である高校生二人組も参戦して油断した男女の側頭部を殴り、蹴り飛ばす。
他の中学生組や小学生組も参戦しようとしたが、それは高校生の内の一人に目で制された。
何もするな、小さい奴等は隠れていろ。
言外の内容を理解していたのは僅かだが、それでも高校生組はこの中で最も現実的な思考展開が出来る存在だ。少年には出来ない大人代わりもしていた以上、小さい子達は渋々と従う他無い。
複数の少年を捕まえる手を軽やかに避け、誘導しては邪魔になるような位置取りを心掛ける。
武道の心得は少年には無い。無いが、喧嘩における少人数不利な場合の立ち回りについてはこれまでの経験が理解している。
相手は軍隊ではない。組織だっての行動が出来る程高度な訓練をしていない以上、連携は皆無だ。互いが互いの攻撃を通そうと躍起となり、一つの点に無数の手が伸びる。
それが示すのはどん詰まりだ。彼等は決して同じ大人を傷付けるつもりなど無かったし、ましてやリーダー格を張っていた男に攻撃するつもりなど毛頭無い。
――誰かの攻撃が男の脇腹に命中した。
子供を狙った攻撃に男が割って入り、避けるコースに変更など出来なかった。鍛えられた訳でもない拳故に然程威力は無かったが、しかし不快感を男に与えたのは事実。
怒りに飛び出そうな眼球が殴った相手に向き、殴った大人が弁明する前にその顔面に盛大な一撃を貰って瓦礫の山へと吹き飛ぶ。
その大人の身体は枝のように細かった。注意だけすれば良かったのに、怒りで全てを攻撃対象にしかねない男は手加減抜きの一撃を放ってしまったのだ。
「はは、仲間割れしてやがんの! 人望無いなあんた!!」
「は、最初から仲間な訳ねぇだろ!」
少年の安い挑発に、男は激の声を発しつつ本音を放つ。
元より此処に居る集団は信頼関係によって成り立っているのではない。男が怖いから、男が生み出す利益に群がりたいから出来上がった烏合の衆だ。
仮に此処で何名か死んだところで僅かな痛痒も感じないだろう。根が悪性であるが為に、男の行動は常に自分本位だ。
鼻息も荒く男は少年に拳を振るい、蹴りを放ち、首を掴もうと伸ばす。
その悉くは過去に少年が体験したものばかり。世の中とは残酷ばかりで、ここまで荒廃が進めば頼れるものは己の戦闘力か集団での戦闘力だけだ。
瓦礫を駆けて攻撃を避け、避ける毎に一発程度男の身体に攻撃を決める。頑強な男の身体では大きな怪我を与えるには至らないが、相手の理性を蒸発させることは可能だ。
その間に何か殺し切る術を模索しなければならない。
しかし、露骨に武器を持っては男に警戒されるだろう。相手は馬鹿ではあるが、少年同様に荒事には慣れている。流石に目の前で武器を持てば幾分か理性を取り戻し、少年以外をターゲットにしかねない。
さてどうするか。大きな声を発しながら闘牛が如く迫る姿を視界に収めつつ、少年は周りに使えそうな殺傷道具を探す。
ピンチだとは思っていない。けれど、楽勝だとも感じてはいない。
一度は大量に物を食べたお蔭で身体は満たされたものの、今では過去と同様の状態にまで戻ってしまっている。
弱い身体で相手を殺し切る方法を発見するのがこの戦いの終末になるだろう。――そう思っていたし、長引くなと少年は覚悟を決めていた。
高校生の男女は互いに顔を腫らしている。近くには既に数人の大人が転がり、そちらも顔面が赤黒く腫れあがって気絶していた。
喧嘩の力量は決して劣っていない。それでもどうしようもない数が、高校生の二人を追い詰めていたのは確かである。
――――――。
羽音がした。虫がよく鳴らす、あの小煩い音が。
虫など何処ででも湧く。偶然聞こえたとして、そこに何の不思議があるのか。
だから全員は気にしないようにしていて、けれど羽音や全員の叫び声を凌駕する音が聞こえた瞬間に気にしないことは出来なくなった。
突然の連続する銃撃音。
ハンドガンではとても出せない圧倒的で無慈悲な轟音が少年と大人達の間を駆け巡り、そして殆どの大人を撃ち抜いた。
身体に突き刺さる銃弾。飛び散る鮮血。血液の一部を少年は被りつつ、いきなりの出来事に一瞬身体が硬直した。
「なんだ!? ――――あ?」
男は叫ぶ。そのまま周囲に視線を巡らせようとして、男の四肢にも銃弾が刻まれる。
吹き出る血。唖然と男は撃ち抜かれた四肢を見て、次の瞬間に襲い掛かる圧倒的な激痛に叫び声を発した。
断末魔の叫びという程ではない。ただ純粋に、痛いと叫んで大人組のほぼ全員が倒れている。反対に子供達は誰一人として怪我など負わず、彼等と同様にこの突然の状態変化に唖然としてしまった。
殺意と敵意に溢れた戦場が、途端に悲鳴に塗り潰される。
何とか起き上がろうとしても受けた銃弾の数が多過ぎたのだろう。力を込める度に走る過度な激痛は、本能的に動くことを静止させられた。
「何が……?」
驚愕、困惑、疑問。
少年の脳裏を埋め尽くすのはそれだ。他の子達も同様で、高校生二人は周りに視線を巡らせて――空中で滞空しているソレにあれと大声を発する。
皆が視線を向けた先には、定義的にはドローンに当て嵌まるであろう物体が存在していた。
細長い棒のような体躯。高速稼働で見えないが、恐らくそこにあるだろう翼。
およそトンボに見える黒い機体の下部には武器である小型の機銃が搭載され、銃口からは仄かに白煙が上っている。
「……片付いたようだな」
変化はこれだけではなかった。
トンボに目を向けていたからこそ、少年達はそこに別の第三者が居たことに気付かない。
声を掛けられて初めて視線を空から地面に落とし、そこで佇む男に少年はあっと小さい声を漏らした。
男の存在を、少年達は知っている。大人組は訝しがったが、当の男はまったくそちらに視線を向けていない。
「あんた……」
「あまり介入するのはよろしくないとは思ったんだが……まぁ、流石にな」
後頭部を掻きながら告げられる言葉を聞き、助けてくれたのがあの日食料を別けてくれた男なのだと少年達は理解した。
わっと一番小さい小学生組が男に駆け寄り、男の足に抱き着く。
表情には輝かんばかりの笑みで溢れて、下から見上げてくるその顔に男こと一喜も安心させるような笑みを浮かべて頭を軽く撫でた。
「ドラゴンフライ。 そのまま連中が何かしようとしたら遠慮せずに頭を撃ち抜け」
「――、――」
顔を上げ、厳しい口調で一喜は命令を発する。それに対してドラゴンフライと呼ばれたドローンは体躯を折り曲げて頷きを露にした。
この場は一喜によって完全に支配され、子供達以外が動くことが許されない。
未だ激痛に悶えつつ、大人達は強制的に解らされた。今此処で絶対者となったのは自分達ではなく一喜なのだと。




