【第二十七話】その男、和やかな時間を過ごす
「暇だ……」
平日。
コンビニ内で少数の客が居る中、誰にも聞かれないように小さな声で一喜は不満を言葉にして発する。
一週間の内の二日だけとはいえ、その時間は平日よりも濃い。楽しいばかりではないものの、それでもこれまでとは異なる刺激を一喜に与えてくれた。
刺激的な生活を送っていると、比較的平和な時間が存外貴重に思えてくる。退屈であるのはそうであるし、脳味噌は異世界についてあれやこれやと思考するが、それでもやはり無くなっても良いとまではいかない。
この平和があればこそ、向こうが刺激的な世界であるという段階で留まることが出来る。
完全に向こうの世界の色に染まるようになれば、流石にもっと準備に必死となっていただろう。
流れるように客を捌き、納品物を慣れた手付きで棚に並べ、足りなくなり始めた揚げ物や中華まんなどを新たに入れていく。
全てが全て、今更順序を思い出す必要も無い。コンビニ業務を始めてから既に数年と経ち、今ではすっかり無意識でも全てを終わらせることが出来る。
特筆すべき事柄は何も無いのだ。今日も当たり前のように仕事を終え、適当に御飯を食べながら此方で集められる情報を集めて寝る。
人生の重大な目標を今の彼は手にしていた。何も目標の無い日々は死んでいたようなものだったが、今ではそんな過去が酷く恥ずかしくも感じている。
結果論ではあるものの、こうなると解っていればもっと出来ることはあった筈だ。
それは例えば知識を蓄えることであったり、肉体を鍛えておくなどと基本的な部分にまで至る。
歩き回っているお蔭で基本的な肉体性能に翳りは見えない。
これが三十代を迎えれば体力の低下などが見えるのだろうが、出来ればその時までには異世界ウォーキングの成果が出てほしいものである。
「大藤さん、今ちょっと良いですか?」
「ん?」
ぼんやりとしていると、横から聞きなれた後輩の青年の声がした。
顔だけそちらに向ければ、普段と変わらぬ制服姿の彼の傍にもう一人見知らぬ人間の姿もある。
若々しい金髪の女性だ。後方で一つ結びにした十代後半に見える女性は、人好きのするような明るい笑みを浮かべて一喜を見やる。
そういえば、と彼は数時間前の記憶を遡った。
此処に来た段階で店長から新人が新しく入ることになったと言われた。生憎と関わり合いになることはないと直ぐに気にしていないようにしていたが、流石に挨拶くらいはしておくべきだったなと自身を戒める。
異世界の方が主軸になりつつあるとはいえ、自身の世界は此方だ。疎かにして良い部分と駄目な部分については確り線引きをしておかねばならない。
「さっきの新人さんだよね?」
「はい! 糸口・望愛って言います!」
「俺は大藤・一喜って名前だ。 挨拶をしにきたんだよな? 悪いな、気を遣ってもらっちゃって」
「良いんですよ。 何か考え事をしている様子でしたし」
青年が一喜の謝罪を気にするなと告げる。
実際、異世界の事を知ってから一喜は考えることが増えた。仕事中でもそうでなくとも、思考は容赦無く彼に疑問を投げ掛けていたのである。
これから自分はどう動くか。敵が現れたとして、どのように立ち振る舞うか。現地の何でもない人間と会話をする時、どういったバックストーリーを仕立て上げるか。
異世界人である以上、向こうの常識を此方は知り得ない。故に対策パターンを幾つか作り、彼はそれをストックしている。
何時使えるかも定かではないが、使える時があれば使う。設定厨が設定だけ作り上げて脳内に保存しておくようなものだ。
「もう直ぐ二十二時だから上がりだよな? どうだい、初日の感想は」
「慣れないことばかりですけど、皆さんとても良い人達だと思います。 お客さんも新人の名札を見たら優しくしてくれますし……」
「それは君の顔が整っているからだろうな。 俺が新人だった頃は容赦無くクレーム対応をされたよ……」
「それ僕もやりましたよ……」
「え? え?」
急に渋い表情を浮かべる二人に糸口は困惑そうな声を漏らす。
実際、新人である糸口は可愛い部類の顔立ちをしている。目は丸く、口元は穏やかな笑みを形作り、金の髪は確りと手入れがされていることで輝いていた。
十人中七人は振り返るレベルだ。本人はあまりそれを自覚しているようには見えないが、可愛い存在には誰しも優しくなるものである。
故に、いきなり理不尽な対応はされない。店長としてもここで看板娘の一人でも欲しいと思ったのかもしれない。
「いや、気にしないでくれ。 負け組の悲哀さ……」
「さらっと僕まで負け組認定しないでくださいよ。 いや、事実ですけども」
擬音にすればしょぼーん。
殆ど自爆のようなものであるが、現実とはかくも厳しいものである。顔の良し悪しですらも生き方の難易度を左右するなんて、この分では平等な社会など夢のまた夢であろう。
「えーと、取り敢えずよろしくお願いします?」
「うん、頼むね。 この店意外と人がいっぱい来るから、先ずはレジの使い方からどんどん覚えていって。 解らなければ俺達が居る場合は俺達に聞いてくれ」
困った顔をされ続ける彼女の様子に、おっとこれはいかんと一喜は雰囲気を改める。
面倒臭い先輩と思われては最悪だ。最低でも変な奴くらいで留めておかねば、彼女も此処で働き続けられないだろう。
コンビニという職において、共に働く仲間は他よりもガチャ要素が強い。
ベテランは多少は使える人間を望むし、新人は優しいベテランを望む。双方がマッチしたのであれば万々歳であるが、どちらかが違えば最悪の職場が徐々に出来上がっていく。
そして、そこに女性が混ざる場合は大抵男性側の方が悪く見られがちだ。一喜としてはこんな所で無駄に評価を落したくはない。
それは後輩である彼も同じようで、直ぐに雰囲気を元の穏やかなものに変えた。
そこからは時折糸口がレジで困ることがあれば助け、遅くなった部分の業務を一喜が急いで終わらせることで無事に一日が過ぎた。
二十二時を迎えて私服姿で外に出ると、街灯があってもやはり暗い。都会のように真っ暗闇ではないものの、暗い世界は何処か異世界の雰囲気が混ざっているかのようだ。
他の二人も出て来て、糸口の手には中華まんが握られている。自分で買ったのか誰かが買ったのかは定かではないが、後輩が妙に優しくしている様子を見るに彼が買ったと見るべきだろう。
「家は近いのかい?」
「此処から十分くらいです。 遅刻が怖くて職場は近いところが良いかなって」
「成程、良い選択だ。 俺も近いところから今の職場にしたよ。 ちなみにそこの後輩君は電車通いだ。 遅刻したら存分に煽ってくれ」
「ちょ!」
あまり他者と話をすることはない一喜であるが、後輩の青年との予想外の会話から始まった交流のお蔭で今では初対面の相手にでも軽口を叩けるようになった。
糸口は小さく笑い声を発し、後輩と一喜は軽くじゃれ合い、そこに年齢差のようなものは一切感じさせない。
賑やかで、暗いものが無い。理想の職場とは正しくこういったものを指すのではないかと一喜の脳裏には一瞬過ったが、その考えは直ぐに捨てた。
理想を語るには既に時間が過ぎた後だ。今更そんなものを求めたところで何の意味も無い。
「それじゃ、道中気を付けて」
「最近また不審者が出たってニュースになりましたから、十分に警戒しておいてください。 ……そういえば、先輩が遭遇したコスプレした不審者はどうなりました?」
「この前捕まえて警察に突き出した」
「え!? さらっととんでもない話!」
別れ間際でも三人はやいのやいのと店先で騒ぎ、離れたのはそれから十分後だった。
思いの外糸口が食い付いてきたのが一喜には意外であったが、まぁ不審者との取っ組み合いなど中々聞けるものではない。
気になるのも納得出来るといえば納得出来るか――嘘だけど。
虚言は今日も絶好調だ。明日はどんな嘘が飛び出てくるのか、一喜にもまったく予想が付かないまま今日という一日は経過した。




