【第百六十八話】その男、笑みを作る
見知った建物が見えて来ると、現地に滞在していたメイド達の姿も見えてきた。
彼女達は揃ってメイド服を着用し、汚れは視認する限りでは確認出来ない。明らかに洗濯も大変な状況であるにも関わらず、彼女達は汗一つ流すことなく当然のように最初の時と何も変わらなかった。
横一列に並んだ女性達の年齢はバラバラだ。二十代と思わしき少女から三十代に届いているだろう女性達が望愛の姿を視認した瞬間に一斉に頭を下げる。
主である少女に対して彼女達の忠誠心は厚く、その姿に世良は唖然とする他ない。
一喜はそんな世良の姿を視界の端で捉え、彼女達が取り付けてくれたライトの光やソーラーパネルに視線を移した。
用意された品物は外に置いてあることで砂埃に塗れているが、錆や破損自体は見受けられない。
持って来た物は新品か、或いは美品だったのだろう。中古品で安く済ませなかったのは彼女達の安全を重視したからであり、万が一故障を起こせば修理は困難だったに違いない。
今は夜であることでパネルは停止状態だ。集めた電力はバッテリーに蓄積し、今はライトを照らす為に使われている。
光量自体は強くはあるものの、周囲の全てを照らすには至らない。街灯のような明りは少々心許無く、けれども夜間で目的地を示すには使えるだろう。
「一週間ご苦労様でした」
「は、有難うございます」
「特に問題は無かったと報告を受けましたが、外部からの接触者は居ましたか?」
「この拠点に直接接触を図る者はおりませんでした。 ですが……」
沢田の労いの言葉にメイド達は顔を綻ばせながら言葉を紡ぐ。
通信時点では問題無いと語ったが、問題に至らないだけで将来的に問題になりそうな要素は既に生まれていた。
メイドが続けて報告するのは、街内に出現するキャンプの人間だ。
彼等は一喜の存在によって恐怖を覚えているが、それでも一部の人間は欲しい物を求めて今も街中で彷徨っている。
積極的に行動する世良達に対して話しかけたり襲撃を仕掛けることはないものの、最近では様子を伺いにこの近くにまで接近することがあったという。
結局は何の工作もしなかったのでメイド達は物陰から観察するに留めたが、ボロの服を纏った者達が漂わせている雰囲気は正にホームレスだ。
金が無く、家が無く、家族が居ない。
無い無い尽くしの人間を現代では無敵の人間と呼ぶが、キャンプからここまで様子を見に行っている者達は総じて何もかもが無い。
仮に家族が居たとしても、養うなんて真似はほぼ不可能だ。キャンプを取り仕切るジャックの怪物達が食料を供給させなければ、歩くことすらも既に出来なくなっていただろう。
であればこそと動いたのだ。無気力に支配された中で生存本能を滾らせた、無謀極まりない人間が。
彼等はこの中に入り込めば食い物を手に入れることが出来ると信じている。そうでなくとも、悪漢から身を守れる場所になると確信を抱いている。
その前に世良達に殺されることも当然ながら知っているのに、それでもやるのだと今頃考えているのかもしれない。
「私達の武器で脅迫することも考えましたが、それで止まるとは思えませんでした。 ……あれはもう限界でしょう」
「面倒なことになりました――と言うべきですか?」
メイドの報告を聞き、沢田が横の一喜に流し目を送る。
一喜の顔に焦りは無い。恐怖も不安も、凡そ思考を鈍らせるに足る感情を表に出すことはなかった。
ならば、これは予定調和。そうなることを事前に推測していた。
「早かったが、まぁ予想通りだな」
一喜は普段のまま言い切る。
断じた姿勢に揺ぎ無く、凡百だと自称する男はそのまま滑らかに口を動かして自身の知り得た情報を吐き出していった。
「この街の傍にキャンプがあることは知っているな?」
「はい、案内をしてくださった時に」
「あそこは無気力な人間と一部欲望に忠実な人間で別れている。 毎日が平穏無事とはいかない貧しい生活を余儀なくされ、ホームレスめいた格好をしているのも日常茶飯事だ」
大地震や津波が起きて多くの人間が避難施設で暮らしている風景を想像し、グレードを十段階中最下層にまで落としたものがキャンプでの生活だ。
逃げたいと思うのも必然であり、けれどこの世界は人間には優しくない。
何も準備出来ず、何も準備させず、纏っている服だけで荒野を歩く。その過程で誰かが歩いている姿を目撃しても、助けることは決してない。
故に、もしも助かる可能性がある場所が万に一つでもあったならば。
枯れていた生存本能が息を吹き返して脳を回転させる。肉体に普段よりも活力を与える。
それが極々小さいものであっても、溢れるものがあるならば人間は行動するのだ。
「行動した連中の考え方は二通りある。 一つは救済、もう一つは占拠だ。 助けてほしいと懇願する人間と奪って全てを独り占めしたいと考える人間が一斉に動き出し、俺が居ない瞬間を狙っている」
「私達は姿を見せていません。 見掛け上は子供達しかいませんので、彼等はいけるのではないかと考えている可能性は高いでしょう」
「同感だ。 このままなら、何れ奴等が此処に大挙してやってくるぞ」
可能性の高い未来は半ば確定された予測されるだ。
一喜の断言する様に誰しもが戦いの気配を静かに感じ、メイド隊の目つきも自然と鋭いものへと変わってくる。
救済を望む者も、支配を望む者も、総じて彼等は叶わないと思った段階で自暴自棄になるだろう。そういった連中が取り得る手段は想像の外をいき、低い確率であれど一喜達を傷付ける。
ならば受け入れるべきか――否だ。断じて否である。
彼等は救われたいだけだ。そこで対価を求めたところで、彼等が反発するのは目に見えている。こんな目に合ったのだからと免罪符を掲げてやってくる大群に碌な素質は無い。
「拠点は歪な円を描く形で構築した。 沢田、一応だが向こうに戻って報告を」
「解りました。 現状は今居る者達で限界です。 人的増派は無いと考えてください」
「構わない。 現地に残ったメイド隊でも十分だ。 その上で糸口、お前には全体を見てほしい」
「メイド達が危機に陥ったら武器は使っても良いですか?」
「ああ、こんな始まったばかりの段階で怪我を負うなど論外だ。 潰して構わない」
即座に指示を下し、その瞬間に沢田は駆け足で離れる。
降って湧いたような事態が始まったことで話を聞くだけだった世良の背にも緊張が走り、それは直ぐに子供達にも伝播していくことだろう。
次の戦いが始まろうとしている。それも今度は、救済を望む者が。
彼等はまともな生活が出来れば何もしなかった。飢えが、衰えが、彼等に判断を奪い去ってしまったのだ。
「一喜」
思わず、世良は一喜に声を掛けた。
メイド達が次々に離れていく様を見ていた彼は世良に視線を向け、彼女の瞳に不安が渦巻いていることを知る。
彼等を殺すことを、世良は望んではいない。引き込めるのであれば引き込みたいと、彼女は言おうとした口を開きかける。
されど、それは言い切ってしまってはならない。それを言ってしまえば、彼女の意思が場を掻き回すことになってしまう。
彼等は世良達と自分達が平穏に暮らす為に戦おうとしているのだ。多くを受け入れるにはまだ準備が必要な段階では、キャンプの人間を飲み込むことは出来ない。
無理なことは無理なのだ。どれほどこの時代からかけ離れた技術があっても、事前の備えが無いままでは容易に破綻を迎える。
「……あ、と……その」
「――助けたいか?」
「う、え……」
このまま指示を下し続ければ、彼女達が殺す。一喜が命じたことで望愛もまた殺すことに舵を切った。
変えるなら今この時のみ。それを強調して一喜は問う。
「ここでやれば、とんでもない労力を伴うぞ。 失敗なんて許されない状況で、碌な備えの無いまま突き進めば不足は発生する。 そうなった時、責任を取るのは一体誰だ?」
輝く目が世良を貫く。
嘘など要らぬ、真実を口に出せ。語るべきを語って納得させてみろ。
一喜の言葉の悉くは厳しく現実的だ。夢想を望まぬ姿勢で明日を考え、誰の胸にも明るい未来を想起させた。
だから、これが世良の望み以上のものではないことを彼女は自覚している。
言えば我儘な子供と同列になると理解して――そんな彼女の肩に一喜はそっと片手を乗せた。
「……仕方ないなぁ」
俯き始めた彼女の顔は、置かれた瞬間に再度持ち上がる。
そして、彼女は見た。子供の我儘に、苦笑しながら許す大人の姿を。




