2 お妃様、招待状を受け取る
「……というお話がありまして、王子はどう思われますか?」
思わず眠たくなってしまうような、穏やかな昼下がり。
政務の間を縫って離宮を訪れた王子と、のんびり二人でティータイムです。
本日のデザートはりんごのタルト。横にはそっとバニラアイスも添えてあります。
とろとろに溶けたアイスにタルトを絡めて食べると、とっても美味しいんですよね……♡
なぁんて舌鼓を打ちながらこの前のお茶会の話をすると、王子は呆れた表情を隠そうともせずに吐き捨てた。
「絶世の美形の海賊だと? 実にくだらないな。そもそも、その海賊船の存在自体が疑わしいことこの上ない。どうせ暇人がでたらめに流した噂だろう」
あらら、取り付く島もない。
まぁ、お気持ちはわかりますけどね。
「もしこの国にもやって来たら……」
「どうせ何かの見間違いだろう。昔からよくあることだ。仮にその海賊船が存在するのだとしたら、さっさと捕まえて船舶税と通行税を払わせてやる」
「ふふ、その通りですね」
夢見がちな王子様の現実的な言葉に、私は思わず笑ってしまった。
「でも……本当にその海賊船が存在するのなら、少し見てみたい気持ちもありますね」
エラは不審者……じゃなくて魔法使いと例の海賊船を探しに行く際に「アデリーナも一緒に行こうよ!」と誘ってくれた。
でも、私はこのお城に残ることを選んだ。
なんていっても、お妃様ですから。
その選択に後悔はないけれど、やっぱり珍しい物は見てみたいんですよね。
てっきり王子も同意してくれるかと思いきや、彼はどこか不満げな顔でじっと私の方を見つめている。
「あの……なにか――」
「君は、そんなに絶世の美形の海賊とやらが気になるのか?」
「えっ?」
思わぬ言葉に驚く私に、王子はずい、と顔を近づけて畳みかける。
「見過ごせないな、アデリーナ。残念ながら俺は、妻が他の男に心を奪われても笑っていられるほど寛容ではないんだ」
しなやかな指先で顎を掬いとられ、至近距離で視線が合う。
確かな熱を秘めた声が耳をくすぐり、仄かに香るバニラの香りに……ぶわりと体が熱くなり、くらくらと眩暈がした。
「あ、あああのっ……ですから私が気になるのは船の方で――っ!」
必死に紡ごうとした言葉は、唇を撫でる指先に封じられてしまう。
ほとんど額がくっつくような至近距離で、王子は蠱惑的に囁いた。
「教えてくれ、アデリーナ。君は、誰の妻なんだ?」
ああぁぁぁぁぁ破壊力が強すぎる!
こんなの、逆らえるわけがないじゃないですか……。
「ア……アレクシス王子の、妻です……」
ほとんど消え入りそうな声でそう呟くと、王子はくすりと笑って私の耳元で囁いた。
「……いい子だ、俺だけのアデリーナ」
ひゃあああぁぁぁ!! この人は本当に……もう!
真っ赤な顔で俯く私に、王子は満足げな笑みを浮かべる。
既に私の頭の中からは、いるかいないのかわからない海賊なんて吹っ飛んで行ってしまった。
◇◇◇
本日も、忙しい中王子殿下が離宮においでなさるとの通達があった。
もちろん、お出迎えの準備です!
「つい先日オレンジを頂いたでしょう? それでパウンドケーキを作るのはどうかしら」
「素敵です、お妃様!」
「妃殿下、紅茶の茶葉も混ぜてはいかがでしょうか」
「良いアイディアね、ダンフォース卿!」
私が貢ぎ物で王子殿下の好感度を稼ごうとしたように、一応「王太子妃」という立場にある私にも結構な頻度で貢ぎ物が届く。
コンラートさんに確認したところ、私のもとに届く前に危険がないかどうかチェックしてるので、好きに使っていいとのこと。
もちろん、届くのはここに来るまでは縁のなかったような高級品ばかり。
最初の内は恐縮していたけど、食べ物は食べなければ腐ってしまう。
というわけで、今はありがたくお料理やお菓子作りに使わせてもらってます!
みずみずしいオレンジに包丁を入れると、柑橘類特有の爽やかな香りが鼻をくすぐり、それだけでよだれが出そうになってしまう。
余った部分をそわそわするロビンに分けてあげると、飛び跳ねて喜んでいた。
ダンフォース卿がいさましく茶葉をゴリゴリとすり潰す音を聞きながら、私は着々とパウンドケーキ作りを進めた。
予定の時間よりも二時間も早めに、王子殿下はやって来た。
まだエプロンドレス姿だった私は慌てて着替えようとしたけど、そのままでいいと制されてしまう。
「どんな格好でも君の魅力が削がれることなどありはしないさ」
そう微笑まれて、頬に熱が集まるのを感じた。
うぅ、私としてはせめて少しでも綺麗な格好で王子殿下の前に立ちたいのですが……そう言われてしまうと、反論なんてできるわけがないのです。
コホンと咳払いをして、私は慌てて話を変えた。
「今日はいい天気ですので、庭園でのティータイムはどうですか?」
「そうだな、外に出ようか」
天気は快晴。吹き抜ける風も爽やかで、こんな日はやっぱりお外でのんびりしたくなるものですね。
ガーデンテーブルに出来立てのパウンドケーキを並べて、ささやかなお茶会の始まりです。
「これは美味いな……! 君の畑ではオレンジの栽培も始めたのか?」
「いいえ、このオレンジは先日商会の方から頂いたものなんです。なんでも東の《栄光の国》からの輸入品だとか……。ふふ、ディミトリアス殿下やヘレナ様はお元気でしょうか」
「あぁ、今日はその二人のことで来たんだ」
そう言うと、王子は控えていたコンラートさんから何やら受け取り、私に見せてくれる。
よく見るとそれは、招待状のようだった。
「……中を拝見しても?」
「あぁ、構わない」
おそるおそる招待状を開いて、中を見ると……なんとびっくり。
そこに記されていたのは、妖精の郷で会ったお二人――ディミトリアス王子とヘレナ様の結婚式へのご招待だったのです!
「わぁ! 早いですね……!」
「ディミトリアスの奴が相当張り切っていたからな。またこじれないうちに大々的にお披露目をしたいのだろう」
あの二人はすれ違いから破局寸前まで行ってしまったこともあったけど、今では二人の仲も安泰のようだ。
「ふふ、なんだか私、自分のこと以上に嬉しいです。よかったぁ……」
招待状をよく見れば、王子と私の他に、なんとロビンやペコリーナの名前まで書いてあるではないですか!
これで大手を振ってペコリーナを連れていけそうだ。よかったね、ペコリーナ!
「そうと決まったら準備をしなきゃ……ロイヤルウエディングのドレスコードってどんな感じなんでしょう!? お土産は何をお渡しすれば!?」
「落ち着けアデリーナ!」
わあぁ、私と王子の結婚式の時なんて一瞬で終わって周りを見る余裕なんてなかったから、全然王族の結婚式がどんなものなのかわかりません!
テンパる私を、王子が必死に宥めてくれる。
「君には優秀な侍女たちがついているだろう。彼女たちと相談して決めれば、何も心配することはないさ」
「そ、そうですよね王子!」
ふぅ、焦った……。 ここに来る前までお妃様なんて夢のまた夢な生活を送っていたから、こういう時はどうしてもテンパっちゃうんですよね。
本番では落ち着いていなければ……!